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水流と水神コミュの水分神(天水分神/国水分神)

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水分神(ミクマリノカミ)は水源地や水路の分水嶺などに祀られる神。
「みくまり」とは「水配り」のことで 、水の分配を司る神。
水にかかわる神ということで祈雨の対象ともされ、
水源地に祀られるものは山の神と、
水田地帯に祀られるものは田の神と結びついた。
後に、

みくまり→みこもり(御子守)

にも転訛され、子供の守護神、子授け・安産の神としても
信仰されるようになった。
天水分神(アメノミクマリノカミ)と国水分神(クニノミクマリノカミく)の
総称でもあり、水神を意味する場合もある。

《目次》
天水分神/国水分神
 ●宇太水分神社(奈良県宇陀市) 書き込み13〜17
 ●葛城水分神社(奈良県御所市) 書き込み11/12
 ●建水分神社(大阪府南河内郡)=書き込み5〜8
 ●七ヶ宿町 刈田嶺神社(宮城県刈田郡)=書き込み20
 ●美具久留御魂神社(大阪府富田林市)=書き込み18

水分神
 ●子守神社(滋賀県草津市)=書き込み3/4
 ●吉野水分神社(奈良県吉野郡)=書き込み1 /9/10

↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&geocode=&time=&date=&ttype=&ie=UTF8&t=k&om=1&msa=0&msid=113844027188609943916.000437a041c7a2fb5cb25&z=19

コメント(20)

●子守神社 境内
滋賀県草津市御倉町567

am7:00 息子とタンデムで
近江八幡で宿泊したビジネス・ホテルを出た。
気温は涼しいが、Tシャツ1枚でも寒くはない。
街で朝食のできそうな店を探すが、
それらしき外食産業はまったく見あたらなかった。
近江八幡市は来る前に想像していたよりも小さな町だ。
「琵琶湖に沿って走ろうよ」という
息子のリクエストでそのまままっすぐ琵琶湖に向かい、
食事は店の開くam10:00まで我慢して、
琵琶湖の望める奇麗な場所でということにし、
琵琶湖畔を周回する自動車道を湖南へ向かった。

湖南に向かったのは日本に2氏族しか存在しない、
自分の姓である『横江』姓の集中している
草津市の北山田町に向かうためだった。
この情報は横江姓のコミュニティーのメンバーから知った。

非常に大ざっぱな地図しか用意してなかったので、
ほとんど無計画で“感”で動く。
これが方向転換、その場駐車の自由度の高い、
バイク・ツーリングの楽しみだ。

北山田町らしき場所に到達。
その広大な水田の中に1ヶ所森があり、
南側に石製明神鳥居が立っていた(写真左)。
石柱には『子守神社』の文字。
鳥居の両脇手前には石灯籠。
社内の建物はすべて木陰に存在した。
境内に祭神や由緒の説明板は無かった。
子守神社(こまもりじんじゃ)は
水分神(みくまりのかみ)を祀っているとされ、
境内の脇には草津川の堤防がある。

子守神社の建物はクラシックで、周囲を竹林が囲み、
それを大きな樹木の枝が包み、
境内はとても落ち着く雰囲気だ。
本殿前にある拝殿の様式は独特で、
壁は桟から上の部分だけで、
四方の壁が無く、柱と屋根しかない(写真中)。
机や祭壇の類いもいっさい無いから、
神儀をおこなうつど、持ち込まれるのだろう。
拝殿と本殿の間には立ち入れるようになっていて、
鈴と賽銭箱は本殿の前に置いてあり、
そこで直接参拝できるようになっている(写真右)。

北山田町だと思っていたこのあたりは、
帰京してから調べたところ北山田町の南側にある御倉町だったが、
同じ水田地帯なので、風景に変わりはほとんど無かった。
●子守神社 水脈環境
滋賀県草津市御倉町567

写真の川の向こう岸に見える森が子守神社の杜。
子守神社の南はすぐ草津川の堤防で、
この地点が北川との分岐点になっている。
堤防に沿って水田のための細い水路が設けてある。
ここから琵琶湖湖面までは800mほどしかない。
北側180mあたりにも水田のための大きな水路がある。
このあたりの水面の川幅は80mほどあり、
水量は豊富だが水位は琵琶湖に近いようで、
ほとんど流れていないようだ。
現在の草津川は旧草津川が全国でも珍しい天井川だったために
平成になって開削されたもの。
ただ、旧草津川も200年以前には
地盤より低い場所を流れていたという。
旧草津川は新草津川の北3kmあたりに流れ込んでいたが、
現在は廃止されている。
●建水分神社(たけみくまりじんじゃ)
大阪府南河内郡千早赤阪村水分357

葛城修験道の霊峰、金剛山鎮守。
楠木氏、氏神。

中殿に、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
左殿右室に、天水分神(あめのみくまりのかみ)
左殿左室に、罔象女神(みつはのめのかみ)
右殿左室に、国水分神(くにのみくまりのかみ)
右殿右室に、織津媛神(せおりつひめのかみ)
を祀る。

地元では、水分神社(すいぶんじんじゃ、すいぶんさん)と呼ばれ、崇敬を集めている。
水分大明神(みくまりだいみょうじん)、建水分大神(たけみくまりのおおかみ)、上水分宮(かみのみくまりのみや)とも呼ばれる。
社伝によると創建は、崇神天皇5年(紀元前92年)。
本殿は水分造と呼ばれる、ここだけにしかない珍しい形式で、重要文化財(旧国宝)。
三殿構成で、中殿は一間社春日造、左右両殿は二間社流造で、各殿を渡廊で連結されている。
ただし非公開で、拝観することは出来ず、拝殿から参拝した。
この本殿は、見たい!
特別拝観とか、情報をチェックしておこうと思う。

南北朝時代、南朝の後醍醐天皇、楠木正成と、金剛山は深い関係にあった。
金剛山の大阪府側は、楠木正成の生誕の地であり、居城があった。
金剛山山頂の葛木神社には、葛木一言主、楠木正成、後醍醐天皇を祀ってる。
修験は、吉野も葛城も南朝に付いたというのがよく分かる。

きな臭い話は嫌いなのだが、旧日本海軍の戦艦「金剛」は、艦内には守護神として建水分神社を祀っていた。
艦名「金剛」から、金剛山鎮守として崇敬されてきた建水分大神が祀られた訳だが、単なる語呂合わせではないと思う。
なぜ水分大神の頭に建がついて、建水分なのか。
建が付いているので、軍神の性格を持っているということ。
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、=素戔男尊)との関係。
建は、加茂氏の系列、つまり役行者に連なるということ。
後に後醍醐天皇、楠木正成が崇敬したこと。
このあたりを考えてみるのも面白いかもしれない。
「金剛」が大阪港へ寄港した際は、艦長以下、建水分神社へ参拝したという。
●建水分神社(たけみくまりじんじゃ)
大阪府南河内郡千早赤阪村水分357

摂社
南木神社(なぎじんじゃ)
祭神:楠木正成(大楠公)
私の地元では、楠木正成公を楠公さん(なんこうさん)と呼んで親しんでいる。
地元には楠公さん戦死の地、湊川に湊川神社があり、毎年初詣に多くの人が訪れている。
こうして楠公さんゆかりの地を訪れると感慨深いものがある。

末社
金峯神社(きんぶじんじゃ)
神社のサイトでは、祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)とされているが、違うだろう。
金山毘古命(かなやまひこのみこと)か、葛木一言主神(かつらぎひちことぬしの」かみ)か、金剛山の地主神か。
いずれにしても、葛城修験と深い関係にあったことは、確かだと思う。
●建水分神社(たけみくまりじんじゃ)
大阪府南河内郡千早赤阪村水分357

神紋
神紋は「菊水」で、楠木氏の家紋と同じ。
後醍醐天皇と楠木正成、水分神の関係を、端的に顕していると思う。

磐座
本殿の脇道を鎮守の森に入っていくと、磐座が有った。
古社は、大神神社や貴船神社もそうだが、山自体が御神体だったり、磐座が点在していたりして、何度訪れても飽きない。
金剛山鎮守・建水分神社も、御神体は金剛山なのだろう。

シャガ
鎮守の森では、早くもシャガが咲いていた。
私は鎮守の森に行くと、その植生を見るのが好きだ。
人の手の入っていない、照葉樹林などに出会うと最高だ。
さて、シャガという植物は、日本原産ではない。
古い時代に、中国から持ってきたものだ。
しかも日本のシャガは実が成らない。
どういうことかというと、日本のシャガのDNAは、全て同じなのだ。
大海原を船で運んできた一本の苗を、人が繁殖させていったのだ。
誰が持ってきたかは分かっていない。
個人的には、吉備真備ではないかと思っているが、確証はない。
この地に立つと、天之日矛かもしれないという気もする。
多分、播磨の國に答えはあるんだろうなと思うのだが。
では、何のために中国から苦労して持ってきて、しかも全国に繁殖させていったのか。
食用にも薬用にもならないので、花を観賞したのだろうか。
いや、鑑賞のために命がけで船で渡ったとは思えない。
まず葉の形が、檜扇(ひおうぎ)に似ていること。
そして日本のアヤメ科の植物の中で、唯一常緑であること。
檜扇は、修験者が護摩修法の時などに使う法具である。
峰を下りてきた修験者が、緊急な祈祷の時とかに、シャガを代用したのではないか。
しかも常緑だから、一年中手に入る。
そして、シャガは神社仏閣の近くによく見られる。
これらのことから、シャガを全国に植えていったのは、修験者かも知れない。


さて、ここ水分から、金剛山と大和葛城山の鞍部、水越峠に向かう。
(不動明王トピに移動します)
●建水分神社(たけみくまりじんじゃ)
大阪府南河内郡千早赤阪村水分357

ということで、参拝してきました。
土砂降りの雨の日でしたが、神社に着くと小雨に。
参拝を終えて車に戻ると、また土砂降り。
さすが水神さん。
日頃の行いを、よく見てござる。

Pは、国道を挟んで反対側に有り。
神社側にも有りますが、狭いので、そっちのPの方が良いと思います。

楠木正成関係の遺跡がまわりに点在しているので、歴史ファンはそちらもどうぞ。
道の駅・千早赤阪も近いので、帰りに地元の野菜とかも買えます。
>書き込み1 吉野水分神社

写真をアップします。
●葛城水分神社
奈良県御所市関屋248

祭神は、天水分神、国水分神。
※案内看板の表記は、葛木水分神社になっていた。

水越峠から、大和盆地側に下りていく。
水越川沿いの九十九折りの道だ。
途中、祈りの滝で不動明王を拝し、やがて葛城水分神社に至る。
神仏習合の名残だろう。
鳥居脇には、不動明王も祀られている。 (写真右)
かつて境内社には、春日神社、八幡神社、天満神社、三十八神社、御霊神社、市杵島神社、出雲神社が有ったということだが、今はない。


※祈りの滝については、不動明王トピ・書き込み34/35を参照ください。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17539141&comm_id=2078517

※葛城水分神社については、「役小角ゆかりの場(県別)」コミュも参照ください。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17744801&comm_id=2078517
●葛城水分神社・水脈環境、水越川
奈良県御所市関屋248

葛城水分神社のすぐ左脇を、水越川が流れている。
参拝の間、せせらぎの音がいつも聞こえていた。
瀬音の神社、そんなことを思った。
水分神の神格のひとつは、瀬音かもしれないと、想像した。
水越川を遡ると、砂防ダムの多さが目に付く。
砂防ダムの写真は、祈りの滝の近くのものである。
水分神を祀らねばならなかったくらいだから、昔から鉄砲水や土砂災害が多かったのだろうと思う。
●宇太水分神社
奈良県宇陀市菟田野区古市場245

祭神は、
第一殿、天水分神
第二殿、速秋津彦命
第三殿、国水分神。

崇神天皇7年(前91年)2月、崇神天皇の命により創建されたということなので、今から約2100年前ですね。
本殿(鎌倉時代)は国宝、摂社2社は重文に指定されています。
訪れた時間も遅めだったし、天気もあまり良くなかったせいか、参拝は私一人。
ゆっくり参拝出来ました。

写真左から、二の鳥居、拝殿、本殿及び摂社です。
●宇太水分神社
奈良県宇陀市菟田野区古市場245

国宝の本殿です。
隅木入春日造としては最古のものだそうです。
また、「みくまり造り」と呼ばれる、連結社殿の原初形式を示すとのこと。
向かって右から、第一殿、第二殿、第三殿となります。
●宇太水分神社
奈良県宇陀市菟田野区古市場245

かつてこの地は、興福寺と春日大社の荘園だった時代があり、境内摂社として、春日神社が祀られています。
写真左の、右から二番目の社です。
●宇太水分神社
奈良県宇陀市菟田野区古市場245

「頼朝杉」(写真左)
水分の  神の誓を  植えおきつ  後に栄えの  老杉を見む
源頼朝は幼少の時、杉の苗を植え、苗木が大きく育つことがあれば、自分も大将軍となることが出来るであろうと占ったといわれる杉です。
(ただしこの杉は、二代目です)

「夫婦杉」(写真右)
第二殿に祀られているのは速秋津彦命ですが、この神は速秋津姫命と夫婦となり、水分神が誕生します。
その速秋津姫命(祓戸四神のうちの一柱)が降臨するとされているのが、夫婦杉です。
宇太水分神社の例大祭は、その故事によるもののようです。
速秋津姫命は、惣社水分神社の方に祀られていて、神輿渡御が行われています。
神代の神々の婚姻の儀式が、今も続いているのです。
●宇太水分神社、水脈環境
奈良県宇陀市菟田野区古市場245

「御神水」(写真左)
推古天皇が、薬狩りの時、身を清められたという湧水。
病気平癒にも御利益がありそうです。
美味しい水でしたよ。^^

「神池」(写真右)
囲いの正面は扉になっています。
禊ぎをする池のようです。
苔むした噴水が良い感じです。
>みろくさま

神社仏閣ファンだけじゃなく、歴史ファン、特に南北朝あたりの好きな人にはたまりまへんねー。
ちなみに私は、南朝側に与しております。(^^;)
●天之水分神/国之水分神(七ヶ宿町 刈田嶺神社)
宮城県刈田郡七ヶ宿町

8月初旬 午後
レンタカーに7人で乗り合わせ、蔵王刈田岳山頂駐車場に到着したが、標高は1,758m。
当然、気温は低かったが、蔵王に上がる予定を知らなかったので、
Tシャツしか持って無く、M氏にポンチョ型の合羽を借り、包まった。
駐車場はさほど、霧は出ていなかったが、
蔵王レストハウスに寄っているうちにどんどん濃くなった。
レストハウス北側の山頂に向かう無舗装の遊歩道に出た時には
霧で20mほどしか先が見通せない情況になっていた。
最初にお釜を観た時は気付かなかった整備された坂道が上方に向かっていて、
メンバーはその坂を登ってゆく。
その坂を上がり切ると、向かってきたのとは逆方向に鳥居があった。
周辺には溶岩を積み重ねた石積みがいくつもあり、
鳥居の奥に神殿らしき建物のシルエットが立ち上がっている。
地図に表記が無いことと、過去2度やってきた蔵王刈田岳山頂は濃霧で、
山頂に神社があるのを知らなかった。
七ヶ宿町の刈田嶺神社20kmほど南東の麓の蔵王町にある
刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)の奥宮だった。
冬季は11kmほど東山麓の遠刈田温泉にある刈田嶺神社(里宮)に
季節遷座する珍しい祀られ方をしている。
鳥居の正面の箱形の建物は社務所で、人が居た。
社殿は参道とは90度向きを変えているが(写真左)、おそらく南向きにしてあるのだろう。
平入りの鉄筋コンクリート造で、大きな向拝が付いており、
屋根以外は白くペイントされている。
社殿は溶岩を積んだ石垣で囲われていた(写真中)。
社殿の前に立つと、社殿と社務所の間を
夏の都会に設置されているクーリングシステムから流れる霧のように
霧が水流のように流れ、渦巻いている。
社殿と社務所の建物の間に赤いニットでスッポリ覆われた地蔵菩薩が1体立っていたが、
鮮やかな色はそこにしかないので際立った印象を放っていた。
ほかにも何か祀られているかもしれないので、社殿の周囲の隙間に入って行ってみたが、
サイドには方形の窪みが設定されていて、かつて何かが祀られていたようだが、
今は何も無かった。
地蔵菩薩が在るのは刈田嶺神社が創建時には蔵王権現の修験道寺院だったからだろう。
「蔵王山」という山名も蔵王権現に因んでいる。
かつては「白鳥大明神」、「水分神社(みくまりじんじゃ)」とも言ったようだ。
「白鳥大明神」という名称は日本武尊との関わりを示唆している。
社殿前に揃って、メンバーが般若心経をあげていると、
社務所にいた神職の方が出てきて、声を掛けてきた。
社内に上がってくださいとのことで、改めて全員が社内に入り、履物を脱いで、
敷物に上がった。
おもしろいことに、
その敷物の広さはメンバーの人数ぴったりの7人分のスペースだった。
しかもここは「七ヶ宿町(しちかしゅくちょう)」だった。
「七ヶ宿町」の地名由来は仙台領内に設置された羽州街道と奥州街道を結ぶ街道
「山中通小坂越(俗称・山中七ヶ宿街道)」に設置された
7つの宿場にちなんだものだというが、
青麻神社に星を示唆する天之御中主神が祀られていることからすると、
伊達氏が北斗七星を意識して7つの宿場を設置した可能性がある。
ここでは七ヶ宿火まつりが行なわれ、
その祭には「伊達な祭り」というキャッチ・フレーズが定着しているようだ。
敷物の上で祭殿に向かって教と祝詞をあげ、社外に出て、お水と御神酒を撒いた。
神職の方に礼を言って、境内を辞したが、ここが山頂のようだった。
標高は蔵王連峰の中では熊野岳(1,841m)に次ぐ。
お釜(五色沼)を見るためにお釜に向かって下ると霧が晴れ、
社の上空に青空が覗いた(写真右)。

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