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埋もれた偉人 無名の偉人 コミュの駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作中佐

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すみません、最近TVでやっていたものですから。

駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作中佐も偉人だと思いましたので。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog458.html

コメント(4)

>くろのさん

最近、当コミュの管理を怠っていました。
すいません…。
私も参加させていただきました。
よろしくお願いします。
敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長

著:惠 隆之介
出版:草思社
判型:四六判
発行:2006/7/5
頁:334頁
定価:本体1,700円+税

敵兵を救助せよ! - 惠隆之介 - 草思社
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_1499.html


工藤俊作 (海軍軍人) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E8%97%A4%E4%BF%8A%E4%BD%9C_(%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA)

工藤 俊作
(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 – 1979年(昭和54年)1月12日)
は、日本の海軍軍人。
1942年3月の駆逐艦「雷」艦長時に、
スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ
実行させた人物として知られる。最終階級は海軍中佐。

(中略)

戦後

戦後は故郷の山形で過ごしていた。
妻の姪が開業した医院で事務の仕事に就くため埼玉県川口市に移ったが、
1979年に胃癌のため没した。
臨終前にクラスの大井が工藤のもとに駆けつけたが、
大井に「貴様はよろしくやっているみたいだな。俺は独活の大木だったよ」と答え、
その後に息を引き取ったという。工藤は同市の薬林寺の墓に眠っている[5]。

上記敵兵救出の事実は、戦時中の国民世論の反発を考慮して公表されず[4]、
工藤自身もこのことを親族にも語らなかったという[9]。

後述するとおり、遺族がこの逸話を知ったのは、
助けられたイギリス海軍士官のうちの1人であった
サムエル・フォール元海軍中尉によってである[10]。
更に2006年に惠隆之介が『敵兵を救助せよ!』を出版したことで、
世間にも知られるようになった[9]。

人物

身長185cm、体重95kgといった堂々とした体躯で柔道の有段者であったが、
性格はおおらかで温和であった。
そのため「工藤大仏」という渾名がついたという。

海軍兵学校時代の校長であった鈴木貫太郎の影響を受け、
艦内では鉄拳制裁を厳禁し、部下には分け隔て無く接していた事から、
工藤が艦長を務めていた際の艦内は、
いつもアットホームな雰囲気に満ちていたという[11]。

決断力もあり、細かいことには拘泥しなかったので、部下の信頼は厚かった[12]。

戦後は海兵のクラス会には出席することもなく、
毎朝、戦死した同期や部下達の冥福を仏前で祈ることを日課にしていたという。

(後略)

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