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埋もれた偉人 無名の偉人 コミュの朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松�秉�

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朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松�秉な�語(単行本)
著:田中秀雄
出版:草思社
発行:2010/1/22
頁:304頁

騒擾で右足に被弾。
跛行となりながら私財をなげうち「卵から牛へ」の農村改良に奮闘し
農民から顕彰された熱誠の人、
朝鮮金融組合理事・重松�秉い寮験兇鯢舛�。
戦後史観ではわからない統治下朝鮮の実相を伝える感動評伝。
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%A7%E8%81%96%E8%80%85%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E9%87%8D%E6%9D%BE%E9%AB%9C%E4%BF%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%A7%80%E9%9B%84/dp/4794217471

コメント(3)

重松 �秉� - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞
https://www.ifsa.jp/index.php?Gshigematsu
朝鮮で「聖者」と呼ばれた日本人。退廃した農村を復興させたその半生 - まぐまぐ!
https://www.mag2.com/p/news/177666

朝鮮農村の立て直しに賭けた日本人

2人の男が自転車で集落にやってきた。
「倭奴が来た(ウエノムワッソ)」という声がした。
洋服姿をしているだけで、侮蔑の眼差しを向ける。
老人は逃げ、青年たちは嘲りの表情で2人を見た。
女たちも戸を閉めて家の中に隠れた。

自転車を降りた2人のうちの1人は、杖をついて足を引きながら歩いている。
丸眼鏡に頬髭を生やした特異な風貌である。
その歩く様を、子供たちがそっくり真似しながら、はしゃいで、ついてくる。

大正14(1925)年11月、
平壌から東に40キロも入った江東という寒村でのことである。
平壌からは1日1回、6人乗りのバスが往復するだけで、
電気もなく、夜はランプの暮らしだった。

足を引く男は重松�秉ぁ覆泙気覆�)。
江東金融組合の理事である。金融組合とは、
日本政府によって各地に作られた小規模の組合で、
高利貸しに苦しむ農民を救うために小口低利の貸し出しを行っていた。

江東金融組合では理事の重松以下、4人の朝鮮人職員がいるだけだった。
足を引いているのは、前任地で暴徒に襲われ、
脚を打ち抜かれるという重傷を負ったからだ。

重松が訪れたのは、江東の下里(かり)という50戸ほどの集落で、
両班(ヤンバン、貴族)の家柄から働くことを軽蔑して、
のんびりと長煙管(きせる)を吸いながら、
その日その日を過ごすことを誇りとしていた。
そんな生活を続けていたので、零落していたが、
それでも生活態度を変えようとはしなかった。

重松は、因習を続けている下里を更正させることで、
江東全体の変える模範集落にしようと考えたのである。

(中略)

「うちは誇りある両班の家柄だ。卵で貯金などやれるもんかね」

重松は李青年の案内で、立派な門構えの家に入っていった。
飼い犬が吠えると、髭をたくわえた老人が出てきた。
この村の長老のようだ。李青年は朝鮮式の丁寧な挨拶をした。
集落の人も10名近く集まってきた。

重松は朝鮮語で挨拶し、ここに来た目的を語り始めた。
各戸に白色レグホンの有精卵を15個ずつ無料で配布するので、
それを育て、とれた卵を供出して貰って共同販売する。
卵の代金は据え置き貯金にして、貯まったお金で、豚や牛を買い、土地も買える。

重光の熱意の籠もった言葉を、村人たちは黙って聞いていたが、やがて口を開いた。

「白色の鶏は神様のものだ。そんなものを食えば罰があたる」
「鶏の卵を売って、牛や土地が買えるなんて、そんなことがあり得るはずがない」
「うちは誇りある両班の家柄だ。卵で貯金などやれるもんかね」

重光は底知れぬ頑迷さを感じた。
しかし、村人たちの嘲りの裏には、充たされぬ思いが潜んでいるような気がした。

重松は何も反論せずに、「もっとよく静かにお考えになってください。
そのうちまたお邪魔に上がります」と言って、引き揚げた。
重松は自転車を押しながら、
あの頑迷さを打ち破るには何度も何度も訪問し、誠意で彼らの心に触れ、
愛によって彼らの心の底の魂を揺り覚まさなければならない、と考えた。

(後略)
朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松�秉ぁ覆泙気覆�) - 草思社 公式 書籍ニュースリリース
http://soshisha.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-ed86.html

田中秀雄=著

46判上製/304頁/定価2100円/2010年1月

日本の朝鮮統治の歴史を公正に評価するための手がかりとなる力作評伝!

●日韓に「感動的な関係」があった
 今年、二〇一〇年は日韓併合百年に当たります。
本書はこの日本の統治時代に朝鮮金融組合理事として、
疲弊した農村の振興に尽力した重松�秉い糧樟犬鮹闇阿膨匹辰辛湘舛任后�

 明治二十四年、愛媛県に生まれた重松は、旧制松山中学を卒業後、
明治四十五年に東洋協会専門学校(拓殖大学の前身)の朝鮮語科で学び、
大正四年、朝鮮総督府の官吏(土地調査局)となります。

その二年後、「感激性のある仕事がしたい」との思いから、農民のための金融機関、
朝鮮金融組合に移り、理事として平安南道江東の寒村に赴任。

大正八年に起きた万歳騒擾(三・一独立運動)のさいに被弾し右足が不自由になるも、
私財をなげうって近代的養鶏を指導し、
養鶏によって得た卵の売上を金融組合に貯蓄させ、
貯めたお金で耕牛を買うという原則をつくります。

牛を買うだけでなく、その貯金は農地購入や貧困家庭の就学資金にもあてられ、
ついには貧しい小作農が奮起して三十七歳にして医者になることまで起きます。

当初はかたくなで、足が不自由な重松を嘲笑することもあった村の人々ですが、
彼の熱意がしだいに理解されるようになり、
やがて彼は「聖者」と仰がれ(二〇九頁)、昭和十一年三月、
村人は感謝の意を表するために彼の頌徳碑を建立します(二〇〇頁〜)。

 台湾の荒蕪地を穀倉地帯に変えたことから、
地元の人々によって銅像を建てられたダム技術者・八田與一
の名前は広く知られていますが、
朝鮮にも人々に深く感謝された日本人がいたということです
(ちなみに頌徳碑を建てられたのは重松ひとりではありません)。

統治時代を評して「日韓にはかつて不幸な時代があった」といわれますが、
重松の半生は双方に「感動的な関係」があったことを雄弁に物語っています。

「後日談」の項で、重松の教えを受けたことがある人物
(韓国有数のガス供給会社・大成工業会長)が、
韓国に重松の業績を知る人がいないことを嘆いています。

それは日本人も同様であり、日韓併合から百年を機に、
この熱誠・無私の先人の存在を日本人自身が知ることは、
両国が前向きな関係を築くうえでも実に意義深いことといえるでしょう。

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