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ペットと飼い主のカウンセリングコミュの三日月ちゃんの死

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私の帰宅が午前様であったので、朝になって「三日月」の死を聞いた。白く包まれたワンちゃんと線香・花束が置かれてあった。

 我が家には、障害を持ったワンちゃんが2匹いる。その1匹が、「三日月」である。
 三日月は10年前から、我が家の世話犬になった。女の子が、交通事故の飼い犬を病院に運んできた。それ以来、ずっと世話をしている。
下半身の麻痺障害で、後ろ足が動かない。おしっこも自分で排泄できない。そのため、毎日カテーテルで排尿させ、散歩もタオルで支えたり、車いすを使ったりして行ってきた。病院の看護師さん達が協力してやってくれた。

 不思議なことに、2週間前に、飼い主の長男が病院に「三日月」の様子を見に来たばかりだった。当時小学生であった長男も、もう22才で結婚するという彼女を連れてきた。

 彼の家庭は大変だった。子どもたち(3男1女)はお母さんとおばあさんの計6人で暮らしていた。おばあさん、お母さんはともにアルコール依存。お母さんは育児放棄、DVがみられた。

 そんな環境で、三日月は生活した。三日月の母は「満月」という。ワンちゃんの名前は子どもたちがつけたのだという。満月も野良犬で食事を与えるその家になついたという感じだ。みんな放し飼いなので、そのうち三日月は交通事故にあったのである。

 三日月はとても人なつっこかった。生まれてから、兄弟たちに可愛がられ、遊び親しんで生活していたのだと思う。

 結局、子どもたちは児童養護施設に行くことになった。残されたワンちゃんたちは、近所の家の方が引き取ってくれた。我が家には三日月が残った。

 今日も、三日月のために花束が持ち込まれた。以前病院に勤務していた看護師さんたちも弔問に来た。

あらためて、合掌。

コメント(12)

三日月とその家族の思い出 その1

 この家庭の子どもたちに初めて会あったのは、小学校の校庭であった。少年サッカーの練習が行われていたが、その周りで、元気に遊んでいた。近頃の子どもたちは外で遊ぶことなどほとんど無いから、「元気で、たのもしい子たち」という印象を受けた。

 ところが実際は、母親が面倒を見ず、ある時はお金を夕食用に渡し、放り出していたのだ。子どもたちは、やはり人のいるところ(校庭や、ショッピングセンターなど)に行って時間をつぶし、お店で弁当やお菓子を買って腹を満たしていた。当然、朝食はない。小学校の校長先生も察知して、給食の残りを空いた時間に渡していたという。子どもたちに切ないのは学校が休みの時で、母親からお金を渡されないときも多々あったようだ。

 当時私はPTA会長もしていて、よく小学校の先生と話す機会が多かった。その女の子のことで問題が起こった。「友だちの家に遊びに行って、小銭を盗んでしまった」ということだった。その家の人は問題にしないということだったが、事情を知っている先生は、その子を言い聞かせたものの、私に話したときには女の子に同情的だった。「いつもあんなにおなかをすかしているんだものね。」と。

 また、サッカー練習の周りで遊んでいた長男に声をかけると、ぽつり「お腹がすいた」と漏らした。

 私は、母親に「子どもたちの運動神経はすばらしい。是非サッカーチームに入れたい。送り迎えは私がするから。」といって男の子どもたちを少年サッカーチームに入れるのを承諾させた。母親は、子どもをほめてもらったことに嬉しそうだった。だが、母親の対応はそれっきりであった。子どもために何か準備をするなど一切無かった。

 かくして、サッカー練習日には、終了後その子どもたちと食事会が始まった。
「三日月」ちゃん、一度映像で拝見したことがあります。
なつっこそうな笑顔が印象的でしたね。
ご冥福をお祈りします。
「三日月」の車いす散歩の様子を、看護師さんの仕事の紹介でお見せしました。
下半身麻痺の子でも、車いす等で動ければ、前足を使って思いっきり進むのですね。
その、嬉しそうな姿が懐かしいです。
三日月とその家族の思い出 その2

 子どもたちをサッカーに連れて行くため家に向かったある日、パトカーが来ていて、人も集まっている。
 何事かと思ったら、おばあちゃんが頭から血を出して立っていた。口論があったらしく、お母さんの投げたものが、おばあちゃんの額に当たったのだ。子どもたちの姿は見えなかった。

 そういえば、学校の職員室で、女の子の額の傷を手当てしている女教頭先生の姿を見たこともあった。これも、お母さんから物が飛んできたのだと思う。
 女教頭先生は、女の子に「かおを良く洗って」とか「身だしなみをきちんと」とか、本来の母親のようによく注意をしていた。

 お母さんは、夜スナックに勤めていたが、やめることが多かった。化粧をしているとき「今は仕事に行っているんだな」と推測できた。私は、お母さんが暴れた場面をみたことはない。が、校長先生から、アルコール依存で大変であることを聞いていた。

 事情を知った私の妻も、我が家の古着を子どものために集めてくれた。それを、お母さんに届けたのち、ばったり私と妻はコンビニでお母さんと鉢合わせした。ただ、おじぎをするのみであった。妻は「何のお礼の言葉もないなんてね。どういう人なのかしら」とあきれていた。

 おばあちゃんも、アルコールか欠かせないようだ。おばあちゃんに挨拶すると、手に持った缶ビールを、さっと後ろに隠す仕草を見せた。

 お母さんも、おばあちゃんも、他に対する警戒心に満ちているようであった。
みぃ@ミルクさん、ありがとうございます。

三日月のことと子どもたちのことが思い出され、書いています。

少しは自分の胸が楽になるまで、と思っています。

よろしかったら、文面にお付き合い下さい。
三日月とその家族の思い出 その3

 子どもたちをサッカーチームに入れて、彼らの性格も次第に分かるようになった。

 三男の子は、見るからにやせ細っていた。兄弟間の食事競争にも負けているのだ。サッカーチームは大学サッカー部の大学院生がコーチをしていた。三男は、コーチについて離れなかったりしている。親しく迎えてくれると感じた人には、「甘えたい」という様子だった。そのためか、言うことも素直に聞くような子であった。

 次男は、体格も大きく、むしろ肥満気味でおっとりタイプであった。運動も苦手で、そのうちサッカーもやめてしまった。数人の友だちといつも遊ぶようになった。マイペースという感じだ。

 長女は、同じ学校の子どもたちと友だちが出来ないらしい。となりの学校の女の子と仲良しになった。二人でサッカーを見に来たりして遊んでいた。教頭先生には良く身だしなみを注意されていた。
 私が小学校の行事で学校に行ったときは、私を見つけるや、ニコニコ手を振る仕草をみせた。親は当然、行事に学校に来ることはなかった。給食費等の支払いのことで、校長に呼び出されるときぐらいだ。他の子どもたちが親にするようなことをしたかったのではないだろうか。

 長男は、サッカーが楽しくてたまらないという様子だった。チームでは、みんながいやがるゴールキーパーをやらされていた。しかし、彼の意気込みはずごく、どんなボールが来ても立ち向かった。強豪チームのフォワードがドリブルで攻めてきても、正面からセーブしようとした。ボールが顔面にぶつかって、倒れたこともあった。今時こんなガッツのある子がいるなんて、敵の父兄も味方の父兄もびっくりした。
 彼のキーパー能力は絶大であったが、ある時、泣いている姿が見られた。どうしたのかと尋ねると、自分もフォワードをやりたいのだという。その後、コーチも察して、フォワードをやるようになった。
 ある日の練習日で、彼が「ボービン」と呼ばれているのに気がついた。大学院生のサッカーコーチもこの言葉の意味を気づかなかった。「言葉を逆にすれば・・・」とコーチに説明した。コーチも、すぐに全員を集めて諭してくれた。
彼は、かわいそうな環境ではあったが、サッカーが逆境を支えるものとなっていった。

 さて、このまま子どもたちの家庭は続かない。次の段階がやって来た。
三日月とその家族の思い出 その4

はじめの頃、家では子どもたちの衣類で洗濯機が頻繁に回っていた。おばあさんか、お母さんが洗濯物を干しきれず、近くの小川の橋の欄干では洗濯物が並んでいる風景もあった。
母犬の満月も、子どもの三日月と兄弟も、この頃は子どもたちと遊び放題だったのであろう。

経済的なことからそのうち水道が止められた。それでもどこからかホースで水をひっぱっていたが、それも見つかった。近くの共同墓地に水道があって、洗顔やちょっとした水をそこから工面するようになった。そんな様子が地域の人たちにも知れ渡った。更に、公民館の給湯室で体を洗っていたという苦情も出た。

民生委員や児童相談所も介入に入った。児童相談所の先生と私は話す機会があった。その先生は、「相談に乗ろうとするが、長男は一切口をきいてもらえない」とこぼした。
結局、長男は、高校生となり、おじいさんの家で生活することになり、残りの子どもたちは児童養護施設に入ることになった。
長男に、「児童相談所の先生も困っていたよ」と話すと長男は「みんな自分たちの敵だ」といった。自分たちを守ってくれる人たちとは思えなかったらしい。どんな事情はあれ自分の母親は守りたい、という気持ちも伺えた。

長男は、母親のこと、父親のことを話したがらなかった。離婚して、父親が出て行ったことだけは分かった。それでも、あるとき母親が陸上選手だったことを自分から話してくれたことがあった。「そうか、おまえの運動神経は母親譲りだな」というと嬉しそうだった。
三日月とその家族の思い出 その5

長男は、おじいちゃんの家から高校に通ったが、長女、次男、三男は児童養護施設から学校に通うことになった。

私も、様子を見に施設を訪れた。施設の他の子どもたちのことも気になったが、先生に「姉弟を、食事に連れて行ってもいいですか?」と聞くと、「どうぞ、どうぞ」という返事だった。そうは言われても、やはり他の子どもたちの“視線”が気になった。
中学生の三男の運動会にも出かけ、写真を撮ってあげた。このときも、この子だけ特別扱いすることにならないかと気になった。
しかし、施設側としてはむしろ外からの接触を歓迎しているようであった。“現実”を受け入れるよう指導しているのかも知れない。

食事に連れて行ったとき、みんな喜んだ。楽しい時間ではあったが、ちょっと気になる出来事もあった。食事中、三男がはしゃぎすぎたところ、長女がいきなり三男の頭を「バシッ」と叩いた。お母さんの仕草を長女も知らずのうちにまねてしまったのかな、と不安になった。

施設の先生と会うことがあり、彼らの様子もその都度聞くことが出来た。
元気で陽気な長女は高校卒業後就職した。しかし、その後「親しい男の子のところで一緒に住んでいるらしい」と先生が語った。「問題はあるが、ときどき施設に来て弟たちの様子を見に来るので、それだけは“よし”とするしかないかな。」ということだった。今はおじいちゃんと一緒にいるとのこと。
おっとり型の次男も高校へ進学した。勉強が嫌いな三男は中卒後就職した。それでも、定時制に通うと言い出したそうである。
長男は、サッカーの才能もあり、大学に行った。しかし、アルバイトで頑張っているという声が知人から聞こえた。大学のことがその後どうなったかは、分からない。最近、彼女が妊娠して仕事の場を新しいところに変えた。彼は「小学校の時、みんなでサッカーをやっているときが一番懐かしい」という。
三日月とその家族の思い出 その6

三日月の兄弟犬は今、健在です。
一家が離ればなれになるときに近所の方が兄弟犬を引き取ってくれたのですが、先般、動物病院にお見えになりました。

その方の話で、三日月の一家の父親は、子どもたちが小さい頃、交通事故で亡くなっていたことを知りました。
長男も決して話さなかったことです。安易に私は「離婚でもしたのかな」と思っていましたが、この時初めて知りました。すると、いろいろな推測が起こりました。

決して話さなかったと言うことは、トラウマに近いことだったかも知れない。そのことと、お母さんのアルコール中毒や虐待・育児放棄と関係もあるかも知れない。長男が絶対に「話さなかった」ということが非常に気になりました。

子どもたちの成長はどのようになるのでしょうか。長女は世代間連鎖として母親の負の面を受け継がなければと願います。子どもたちみんな愛着障害の側面が見えていてとても気になります。

反応性愛着障害には二つのタイプがあるとされ、抑制型は、「世話をしようとしている人に対して、非常に警戒的で、甘えたいのに素直に甘えることが出来ず、優しく接してくれているのに腹を立てたり嫌がって泣いたりと全く矛盾した態度を見せることがある」というものですが、長男の態度によく見られました。
もう一方の、脱抑制型は、「初対面の人にもなれなれしく接近し、過剰な親しみを示し、一見社交的に見えるのですが、無警戒で相手をよく吟味しようとしない」というもので、これは長女や三男の様子に該当するようです。成長の中でバランスを取って、その後生活していってほしいと思います。

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