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書庫 「葉っぱ猫」 mixi処コミュの『colored leaves chocorate?』

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  ○

 県立病院の三階、神経外科病棟の緊急治療室にお婆ちゃんはいた。
 聞いた話によれば唯一の身寄りであるお孫さんは海外に住んでいるらしく、こちらに向かう予定は立てているものの未だに来れていないのだとか。
 そういう話を看護師さんから聞いて、藍夢はどうしたものかと待合室で唸った。
 そもそも、お婆ちゃんは、危篤状態なのだった。
 なのに話を聞いて来いとか言われても、他人である自分が部屋に入れるわけもなくて、けれども自分から頼んだ以上、他に役立てそうなこともない雰囲気だったし、仕方ない。
「……どうしようかなぁ?」
 お婆ちゃんを助けたい! と看護師さんに伝えてみたものの、事情を簡単に説明したら、せめて意識が戻るまでは待ってあげてねと苦笑されてしまったし。
 ベージュ色に染まった壁と、申し訳程度に設置された、チューナー付きのアナログテレビ。
 そこに流れているのは、とりとめのないお昼のバラエティ番組。
 することもなく、されど帰るわけにもいかず、藍夢はそれをぼーっと眺めていて。
 不意に。
「ちょ、きみ、川原さんだっけ……いい?」
 さっきちょこっとだけ話していた看護師の女の人が、ぱたぱたと駆けてくる。
「お婆さん、意識回復したのよ! で、きみを呼んでほしいって」

  ○

「お婆ちゃん、大丈夫?」
 ナースステーションに直結している集中治療室に、二台のベッドがカーテンで仕切られて置かれていて、藍夢には心電図以外は名前のわからない医療機器が並んでいる。
 タイミングが悪かったのだろうか、看護師がぱたぱたと早歩きで動き回っているそこに通されて、少しだけあたふた。
 だがすぐにお婆ちゃんのベッドに通され、早朝振りの対面を果たした。
「ああ、来てくれたんねぇ」
 呼吸器をつけられてくぐもった声が藍夢の耳に届く。
 朝帰る前に教えられたのは『血脈異常と肺に小さな穴が開いている』という話だったが、穏やかそうに口元を動かしたお婆ちゃんの様子はそこまで大変そうではない様子だった。
 藍夢はちょっとだけ安心して、同じように笑う。
「よかった、すぐ良くなるね」
 力なくベッドの端に置かれた、しわだらけの手を握る。
 藍夢は万病に効くお菓子を本気で信じているわけではないが、それでも、自分や茉莉が作り出す菓子が今も将来も、いろんな人を幸せに出来ると信じている。
 だからこそ、今、この瞬間目の前のお婆ちゃんに幸せを感じてもらって、美味しいを感じてもらって、生きる気力をしっかりと持ってほしい。
 そんな気持ちがあったから、言う。
「僕、パティシエしてるんだ。お菓子職人。明日には美味しいお菓子持ってくるから、それ食べたら絶対大丈夫だから、元気になってね」
 力強く握った藍夢の手、それにほんの少しだけ握り返してくるお婆ちゃんの手。
 お婆ちゃんの口が開く。
「名前、教えてくれるかい」
「僕の名前? 川原藍夢っていうんだ」
「アイスくん。おいしそうな名前だねぇ」
 目を細めるお婆ちゃん。
 よく聞き間違えられるが、このタイミングでも間違えられて、アイムは笑った。
 けれど、訂正はしない。何となくそのほうがいい気がして。
「お婆ちゃんはねぇ、紅葉っていうんだ。お嬢ちゃん、ありがとねぇ」
 げふ、と。
 お婆ちゃんが咳き込む。
 握った手を更に強く握ろうとして、後ろから看護師さんが肩に手を置いて「ごめんね、様子見なくちゃいけないから」と間に入ってきて、藍夢は後ろに下がった。
 また聞こえるお婆ちゃんの咳の音。
 聞かなくちゃいけないことをまだ聞けていなくて藍夢は迷うが、看護師さんの邪魔をするわけにもいかない。一旦表に出て、待つことにした。
 意識が回復したのなら、しばらく待っていればまた話せるだろう。

  ○

 それから一時間後のことだった。待合室の藍夢に、お婆ちゃんの死が告げられる。

  ○

 藍夢が自宅に戻ったのは、それから更に三時間後のことだった。
 とっくの昔に日は暮れていて、体感する寒さは澄んだ空気を吸い込む肺のように、キンキンとした痛みを肌に与えてくる。
 しかし、藍夢にはそんな寒さなどどうでもよくて、ただ、自宅に据えられた調理室に入ったときに見えた茉莉の忙しない背中に、心臓が固まったように動きを止めた。
 朝は閑散としていた調理室も、お婆ちゃんのための『伝説のお菓子』を作る為に必要な材料で溢れ返っており、四種のケーキが複合するタワーケーキのベースになるスポンジケーキの香りが部屋に充満している。
「あれ、おかえり。必要なものわかっ……藍夢?」
 振り返った茉莉は、戻った藍夢の目が真っ赤になっているのを見て、かき混ぜていたメレンゲ入りのボウルを置いて近づいた。
「どうしたの、なんかあった?」
「………………茉莉さぁん」
 一度は流し尽くしたつもりで帰ってきた藍夢だったが、冷静に「もうお菓子作る必要なくなったよ」と言うはずだった口から零れたのは、弱弱しい声で呼ばれた茉莉の名前だった。同時にくりっとした瞳からは、ぽろりと涙が落ちる。
「お婆ちゃん、死んじゃった」
 から、もうお菓子必要ないよ──という言葉までは、出なかった。
 病院で吐き出すものは吐き出したはずなのに、一旦溢れたら止められず、藍夢はそのまま茉莉の腕にしがみついて、もう一度泣く。
 何故か胸を押し上げる気持ちに負けて、何度もごめんと呟きながら。
 茉莉は何も言わず、ただその言葉の意味だけは理解して、藍夢の頭の撫でていた。

  ○

「お菓子、完成させよう」
 茉莉が言った言葉に一瞬躊躇って、けれど、頷いた。
 一度決めたのなら完成させなきゃ、お婆ちゃんにだって悪いし、そんなの自分が目指しているパティシエじゃない。
「うん」
 短い言葉で頷いて、これまで茉莉が一人で作業していたことの半分を引き継ぐ。
「そういえば、見つかった? これがお婆ちゃんっていう、なにかの形、って」
 控えめな声で聞かれたそれに、藍夢は頷く。
 頭の中にイメージはとっくに出来ていて、後はそれをどう菓子細工で表現するか、だけ。
「いいよじゃあ、こっちは私がやっとくから、それ作って」
「わかった」
 短い言葉のやり取りだが、ぽんと肩に置かれた手が茉莉の優しさを伝えてくれる。

  ○

 藍夢が望み、茉莉がイメージした『伝説のお菓子』は深夜一時過ぎに完成を迎える。
 全体像は茉莉の想像通り、果たして本当にこれが伝説なのかは置いておいて、茉莉はほら、と藍夢の背中を押して促した。
「最後の一枚は、藍夢の仕事よ」
「うん」
 その手に柔らかく置かれているのは、藍夢が最も得意とするチョコレートで繊細に、精密に、まるで本物のような質感が表現された、一枚の大きなもみじ。
 イチゴソースを少しだけ混ぜて、ただの黒や茶色ではない淡い色味のついたそれを、藍夢はタワーケーキの中央に飾る。
 二人は話し合った結果、茉莉のイメージにはなかった『紅葉』を全体にちりばめていて、だからチョコレートで作られた紅葉の葉たちが包むそのケーキは、まるで紅葉した木そのもの。
 一番下段、下地の部分にはココアソースを流して、パウダーを流してチップを振って、地面っぽいコーティングも施している。
 お婆ちゃんのための紅葉樹。少なくとも藍夢にはそう見えて。
「私のイメージもまだまだね。イメージよりもっと良いもん、作れるんだもの」
 どこか誇らしげに胸を張る茉莉に、藍夢は頷いた。

 お婆ちゃんは「ありがとう」と言っていた。
 だったら僕も「ごめん」じゃなくて「ありがとう」って言いたい。
 だから言った。

「紅葉のお婆ちゃん、ありがとう」

  ○

 ──今から六年後、日本はおろか世界に名を響かせる二人組のパティシエが現れる。

 その二人が共同運営している店の名前は『紅葉の家』という。
 そして、そこの一番の名物になっているのは『colored leaves chocorate』という紅葉を象ったチョコちりばめられたケーキ。
 いつかの昔、二人が経験した出来事は、こうして二人の中に残り続け、そして世界へ。

 
 良縁奇縁、これは、そんな物語。

 終。

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