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書庫 「葉っぱ猫」 mixi処コミュの声無しの詩/二章?

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『二章 「想」い「出」アラベスク』





 明日の日曜日は、三回目の家庭教師の日。
 ここ最近、渉は大学のレポートもそこそこに、高校の基礎三教科に夢中だった。
 詩季に教えるための勉強、と復習を兼ねてそれらに手をつけているのだが、一旦大学に進んでしまうと、火の元過ぎればなんとやらだった。
 渉は明日予定している勉強箇所をチェックしながら、手持ち無沙汰にペン回し。
 基本的に見直しで、特に新しい何かを書くわけでもないのに、ペンは握ったまま。
 と、携帯の着信音が鳴った。
 時間はまだ朝の六時を過ぎたばかりだというのに、メールの受信音ではなく電話のコールが鳴っていて──見てみれば、着信表示は『住名 麻衣』となっている。
「……? なんだろ」
 この数年、一度も連絡を取り合ったことがなかった麻衣からの着信、それも時間が時間で、渉はどうしたんだ、と不思議に思いながらも通話ボタンを押した。
「おは──」
『あんたさ、先週のカテキョの日に、何かやらかした覚えはあるかしら』
 電話越しの、『もしもし』も『おはよう』もない、唐突に投げられた質問。
 挨拶さえ遮って。
 早口で告げた麻衣に、渉は最初、何を言われたのか理解が追いつかなかった。
 刺々しさも感じられた言葉に、沈黙を経て渉はようやく何を言われたのか理解する。
 しかし、言われた先週を振り返っても──何かやらかした記憶などはない。
 すぐに返答しない渉に苛々したのか、麻衣は再び受話器の向こう側で何かを言おうとするが、それよりも渉が先に口を開いた。
「……いや。特にこれと言って、傷つけた覚えはないんだけど……」
 が、
『本当に? あの子、先週のあの日からこの一週間、ずっと不機嫌なの』
 麻衣からの追求に、渉は机から離れるとベッドに腰掛ける。
 弾力あるマットの感触に身体を弾ませながら、渉はもう一度、先週の記憶を掘り返した。
『──話しかけても返事しなかったり、ピアノ弾いてても音がいつもと違ってめちゃくちゃだし。今日のカテキョもこのままじゃ、勉強しないわよ、しーちゃん。ていうか、あんたの場合は話すらしてくれないかもよ? 冗談抜きで』
「ええ……」
 そんな風に言われても、正直、何かをした覚えはまるでなかった。
 先週は本屋に出かけた日。
 振り返っても、これと言って傷つけるような行動を取った覚えはないのだが──身に覚えはなくても、そう言われると少し不安になってくる。
 自分に思い当たる事はなくても、姉にもわかるほど不機嫌というのは、おそらく勉強にも差し支えるだろう。
 しかも家庭教師の日以降、となればやはり、自分のせいなのかもしれなくて。
 考えれば考えるほどに、そして麻衣の言葉も合わせて、渉は何だか自分が原因のような気がしてくるのだった。
 だから、麻衣に問う。
「……どうすればいいと思う?」
『知らない』
 だが、縋るような渉の言葉に、麻衣は冷たく言い放った。
 そんな──と渉は言おうとして、しかし麻衣はすぐに言葉を付け足す。
『──と言いたいところだけど放っとけないし』
「さすが、お姉ちゃん」
 褒めた渉の声に、受話器越しに嫌そうな麻衣の声。
『…………あんたの姉じゃないけどね』
 沈黙の後の言葉は、ちょっとだけ違和感があったが、渉にはそれがどんなニュアンスを含んでいたのかわからなかった。
 渉がその言葉に何かを返す前に、麻衣は言う。
『とりあえず問いに対する答え。さて、あたしの手元にあるチケットがあります。これは今日開催の、しーちゃんのピアノ演奏会のチケット。あなたはこれが欲しい?』
「そりゃ、欲しいけど」
『じゃあ売ってあげる』
「か、買わないといけないのか?」
 予想どおりといえば、予想どおりの展開。
 だが、呻いた渉に、麻衣は眉を寄せているのだろう、そんな印象の声で告げた。
「当たり前でしょ? てか、女の子の機嫌を直すのは甘い食べ物か優しさ。もしくは宝石。でも宝石はいきなり渡すのも変だし、あんたの財布も寂しそうだから、こっちにしときなさいってこと。だからこのチケット、売ってあげる」
「……いくらだ」
『一枚、五千円』
「高っ!?」
 流石に想定外。
 渉は吹いた。財布が寂しそうと気遣うわりには、暴利もいいところな値段設定だった。
「……なぁ、それ断ったらどうする……?」
『あたしがベランダから飛び降りる』
「ど、どういう脅しだよ!」
 突っ込みながら、渉はちょっとだけ怯んだ。
 本当に彼女の発言が脅しなのか、それとも本気なのか掴めない。
 ……どう考えてもベランダから飛んだりは、しないだろうけど。
 だが、麻衣は冷静だった。
『あんたのせいで機嫌損ねてんのに。……これでも善意の第三者よ?』
「……わかった、買うよ。そのチケット」
 財布の心配をしてくれる割に……な値段だが、それも仕方ない。
 渉は電話越しに頷いた。
『そう? じゃあうちまで取りにきて。しーちゃんはもうリハする為に出かけたから』
「うん、助かる。ありがとう、麻衣」
『じゃあ、あたしの役目は終わりね』
 麻衣はそう言って。
 なのに電話は切れないまま──沈黙だけが、続いていく。
 沈黙、
 沈黙。
「……………………まだ用事あるの?」
『……っ。……ストレートに聞きすぎ!』
「ご、ごめん」
 語気を荒くした麻衣に、渉は謝った。
 確かに直接的だったかもしれないが、口下手な渉にはそれが精一杯だった。
 麻衣は言葉の勢いもそのままに、更に言う。
『そんなんだから、親戚とかが集まったときに「良い子なのに彼女が出来ないのはきっと外面の悪さのせいね」とか言われてるのよ……』
「そ、外面は関係ない。てか、そんなこと言われてるのか?」
 ちょっとだけ、傷ついた。
 知らないところで噂されているだけならいざ知らず、その内容が内容だった。
 親戚の遠慮のなさに落ち込む渉に、更に追撃。
『おばさんも悲しんでたわよ。うちの子は、中身は可愛いのに外面だけが悪いって』
「貶すように見せて褒めてる……と見せかけて貶してるわけだ? ……用事を言えよ!」
 余計な一言からとんだ地雷を踏んでしまった。
 これ以上、麻衣から何かを言われる前に、渉は話を本筋に引き戻した。
『いや。……用事っていうか。あんたさ、その……』
 だが、これまでの勢いが嘘のように、麻衣の歯切れが悪くなる。
 何を言いにくそうにしているのかわからないが、言葉に詰った様子の麻衣に渉は待つ。
 下手に突っ込むことの危険性は知ったばかりだ。
 渉が何も言わないと、一分前とはまた種類の違う沈黙が、再び電話回線を支配した。
 麻衣は何かを言おうとして、けれど口には出さずを繰り返し、吐息が漏れる音──
 しかし、沈黙を破ったものは『やっぱなんでもない』という一言だった。
『今のなし。お節介は通り過ぎればただの迷惑って言うしね』
 濁された言葉は、まるで独り言のようで、渉は首を捻る。
 ……どうしたんだ、麻衣のやつ。
 いつもと違う雰囲気を見せる向こう側の麻衣に、渉は徐々に冷静さを増した。
 何を言おうとしているのか、それでも言わないのは、何かを隠しているからか。
 ……どう聞けば、麻衣は答えてくれる?
 悩む渉は問いかける言葉を考えるが、それよりも早く、麻衣は電話の向こうで何かを閃いたようだった。
『あ、そうだ。どうせあたしもしーちゃんの演奏会行くし、一緒に行かない?』
「麻衣も行くのか」
『そうよ、悪いの?』
「いや……悪くないけど」
『ついでにあの子の舞台ドレス用の買い物したいしね。どうせならあんたの意見も取り入れようと思って。まぁ、大した買い物じゃないけどね。応援を形にしておくのも悪くないかな、と。そうでしょ?』
 何かを確かめているかのような口調だった。
 渉は、その麻衣の言葉に何かが胸を浸したような気がして、もどかしさを感じる。
 応援を形にするということが、何だか新鮮なのに、どこかで聞いたことのような。
 問い質そうか──渉は逡巡したが、首を横に振ると、
「そうだな」
 とだけ、返した。
 その後は、いつも通りの麻衣だった。
 自宅での待ち合わせは取りやめ、行きたい場所があるからと若井駅での待ち合わせ。
 しっかりと時間指定までして、最後に麻衣は、
「じゃあまた後で。時間厳守でよろしく」
 そう言い残すと、電話を切った。
 麻衣の隠し事は、うやむやなままで何かはわからずじまいだったが、仕方ない。
 必要以上に探って、藪を突いて何かが飛び出してしまっては今後に支障が出るかもしれない。だったら、気にしないほうがいいだろう。
 渉はそう判断すると、切れた電話を手放した。
「……応援、かぁ」
 独りごちながら、渉は後頭部からベッドに倒れ込む。
 住名家よりも低い天井は、それでもずっと住んでいて、しっくりと馴染んでいる。
「…………応援、か」
 再び呟いた渉の頭に浮かんでいるのは、ピアノ。
 この一週間を通して、時々思い出してはみても結局何も浮かばない、あのピアノのこと。
 子供が扱うようなおもちゃのピアノは、どうしてこうも、胸に引っかかるのか。
 
 まだまだ、大切なはずの記憶は思い出せそうにない。
 だが、何故かさっきの麻衣の言葉が胸に残ったまま、抜け落ちなくて。
 結局、渉が家を出たのは予定時刻を少し過ぎた後だった。


           ◆


 待ち合わせ時間を二十分ほど過ぎた、若井駅の改札出口。
 改札から出た渉は、上着のポケットから携帯を取り出すと、麻衣に電話をかけながら辺りを見回した。
 ……居ない。
 すでに到着しているはずの麻衣は、バスロータリーの方にも、国道のほうにも姿がなくて、渉は少しだけ焦った。
 ……遅刻したのは自分だ。もしかしたら置いていかれたのかもしれない。
 十秒ほどの発信音の後、今朝も聞いた麻衣の声。
『……もしもーし?』
 なんだかちょっと、不機嫌そう。
 二十分も待たされればそうなるだろう、渉は見えない相手に頭を下げた。
「ごめん、ちょっと遅れて。今どこ?」
『少なくともあたしは、あんたのこと見えてるわよ?』
「……あれ?」
 返ってきた言葉に、渉はもう一度、首を伸ばすようにして見渡す。
 バスロータリーの方にも、国道沿いにも姿は見えず──だが、ふと目に留まったのは先日、詩季と入ったあのコンビニだった。
「もしかして、コンビニに居たりする?」
 考えれば、時間を潰すにはもってこいな場所。
『そうよ。待ちくたびれたから立ち読みしてたの。あ、喉渇いたなー』
 受話口から響いたそんな言葉に、渉は見えるようにコンビニに手を振る。
「……今からそっちに行くから、好きな飲み物選んでくれるかな」
「あ、ほんと? じゃあ高いのにしとこ」
 そんな風には言われたが、渉はとりあえずひと安心。
 二十分という遅刻の代償は、現金にして数百円分で済ませてもらえるようだった。


 若井市内からバスを乗り継ぎ、十五分ほどにある広めのグラウンド。
 そこで隔週末に行なわれているフリーマーケットが、麻衣のお目当てだった。
「いいじゃん。良いものが安く買えるって最高でしょ?」
「何も言ってないのに急になんだ」
 会場内はそれぞれ、メインになる出し物によって幾つかにエリア分けされている。
 そして、二人が見て回っているのは、アクセサリ関連のエリア。
 と言っても、基本的には何でも売っていいのだろう。
 アクセサリ以外にも並んだ商品は、見ていて飽きることはない。
「こういう場所での買い物、いいわよね。あ、それどう?」
 適度な会話を挟みながら、麻衣は時折、自分の気に入ったものを指差しては意見を求めてきて、その度に渉は、
「演奏会用のドレスで、なんでドクロなんだ。完全に自分の趣味だろ……」
 とか、
「なんでアクセ探してるのに服を指差してるんだよ。しかも買うのか!」
 とか、意見というよりは突っ込みに忙しい。
 だが、こういう場所に足を運んだことのなかった渉にとっては、楽しくもあった。
 普段あまり他人と交流を持たないというか、プライベートでどこかに出かけたり、ということが案外少なくて、実は自分って寂しい人間なのか、と思ったりして。
 だから珍しく楽しい時間だったのだが──それなのに渉は、心から楽しんでこの場所に居ることは出来なかった。
 問題なのは、少し歩くたびにちらつく、頭に響く鈍痛。
 普通を装ってはいるし、麻衣にこの場所に連れてこられたときは何も言わなかったが、小さい頃から何故か渉は、公園という場所が受け付けなかった。
 近づく度に、頭の真ん中あたりに痛みが走る。
 その話を、渉は医者にしたことがあった。
 医者いわく、どうも小さい頃に事故を起こしたのがどこかの公園の近くだったようで、恐らくはそれが理由。
 身体が拒否反応を示しているのかもしれないね、と医者には言われていた。
「……どうしたのよ、そんな顔しかめて」
「あ、いや……何でもない」
 どうやら痛みに気を取られて、変な顔になっていたようだ。
 怪訝そうに顔を覗き込んでくる麻衣に、渉は内心を悟られないように目をそらす。
 と、その先にあったひとつのアクセ。
「……麻衣、ドレスにこういうのってつけたら駄目なのかな?」
「どれ?」
 なぁ、と声をかけられた麻衣は、渉の指差したその店に近づいていく。
 店に並べられているのは、イヤリングやネックレスといったアクセサリー。
 けれど、それらの見た目はシンプルで、かつユーモアを感じられるものばかり。
「……へぇ」
 置かれているのが小さい分、麻衣も気を張っていなかったのだろう。
 近づいてみて、存在感を感じるアクセサリーに興味を持ったようだった。
「ほらその、耳につけるやつ。この、ピアノと音符のついた……」
 渉も近づき、目に留まっていたアクセサリーを手に取る。
 それは、ピアノと奏でられる音を表現しているのだろう、可愛いイヤリング。
 凝ったデザインなのに、それほど大きくもなくて、麻衣は乱暴に渉の腹を突いた。
「痛っ!?」
「いいの見つけたじゃん、あんた。やっぱプレゼント選びはあんたの方がセンスあるわよね……連れてきてよかったわ」
 どくん。
 不意に、跳ねたような心臓と外部から受けた痛みに、渉は大げさに飛びのく。
 もしかしたら感じた何かは、彼女の言葉の端々に感じる、過去の断片のせいか。
 渉はドキドキと脈が速くなるのを堪えながら、じろっとした目で麻衣を睨んだ。
 あはは、と楽しそうに笑う麻衣の様子に、悪意があったのではないことはわかる。
 彼女なりの、親愛の表現なのか。
 それはそれで納得出来るものではなかったが、渉は特に突っ込もうとしなかった。

 麻衣の言葉に含まれた『やっぱ』についても、同様に──。


           ◆


 ──開演十五分前の若井文化ホール、演奏会場。

 渉は受付で麻衣から買い受けたチケットを切ってもらうと、映画シアターのような設備に驚きながらも、会場内で席を探していた。
 大手の演奏会では指定席の場合もあるが、この演奏会では自由席と書かれている。
 どこに座ってもいいのなら出来るだけ前の方に座りたい。
 とは思うのだが、それよりも渉は、人を探していた。
 伯母さんが先に会場入りしていると、麻衣から聞いていたのだ。
 ただ到着が少し遅れたせいで、探している時間もなさそう──だったのだが、

「あら! 渉ちゃんじゃないの!? わざわざ来てくれたの?」

 聞き覚えのある声に振り向いてみれば、前列付近で手を振っている伯母さんの姿。
 普段はどこか大人しそうな印象のある伯母さんは、渉が会場に来ていることがよほど嬉しかったのか、珍しく大きな声。
 周囲の目線がやや気になり、渉は慌てておばさんの隣に座った。
「伯母さん、まだしーちゃんは出てない?」
「まだ始まってもないわよ! あら。まーちゃんは居ないの?」
 あはは、と口元に手を当てて笑ったおばさんは、詩季よりも麻衣に近い印象。
 いや、『元』を考えると、麻衣の方がおばさんの遺伝子を強く受け継いだのか。
 そんなどうでもいいことを考えながら、渉は上着を脱ぐと椅子の横に詰め込んだ。
「麻衣はしーちゃんの所に応援と、プレゼント届けにいってるよ」
 本当は渉も、応援のために楽屋の方に行くつもりだった。
 しかし、麻衣から「本番前に渉みたいなのが来ると緊張するだろうから来るな」と言われてしまい、楽屋行きは諦めたのだ。
 身内ならともかく、遠い親戚のお兄さんが押しかけても、邪魔な気がして。


 渉はようやく席に落ち着くと、背筋を伸ばしてホール内を振り返った。
「地方だけど、文化ホール使って演奏会って凄いね」
「そうねぇ。あの子最近なかなか頑張ってるみたいね。久々に見たわよ、あんな風にがむしゃらに何かに向かってるあの子」
 ……ん?
 伯母さんの笑い声はともかく、その内容に渉はちょっとだけ違和感を覚えた。
 ……麻衣と言ってることが、何か違うような?
 だが、伯母さんは渉のそんな様子には気付かない、以前に気に留めていない。
 ただ話すことが楽しいとばかりに、笑顔だった。
「懐かしいわねぇ、まだ渉ちゃんが遊びに来てた頃。おばさんもう大分老けたでしょ?」
「そんなことないと思うけど……」
「お世辞はいいわよ。渉ちゃんも大人になったわねぇ」
 またけらけら笑うおばさんの様子は、なんだか安心感があって。
 何とはなしに渉は思った。
 ……もしかしておばさんは、あのピアノのことを知っているんだろうか。
 一度気になってしまえば、ただ開演を待っているだけのこの状況では衝動を抑えきれず、渉はさりげない口調を装って伯母さんに話しかける。
「あ、おばさんそういえば聞きたいんだけど」
「うん? どうしたの」
 詩季の面影が窺える、笑窪と首をかしげた様子に、渉は聞いた。
 麻衣とのことでより一層、意識上に浮かんできた、おもちゃのピアノのこと。
 あぁ、と伯母さんは笑顔のまま頷いた。
「渉ちゃんとまーちゃんからの誕生日プレゼントでしょ? それがどうしたの」
 あっさりと返ってきた『答え』に、どきり、と心臓のはじける感覚。
 と、求めていた『答え』を得たと同時に新しい『疑問』が生まれた。
 そのプレゼントは、渉の記憶が欠けた頃に繋がっているはず。
 時期が重なっているのは偶然なんかではないはずで、頭の中を過ぎる鈍い痛みを避けるように、思い出への接続は意識的にしないまま、再び問おうとする。
「あ、うん。それって──」
 だが、渉はそれ以上言葉を続けることが出来なくなった。
 ホール内の照明が、唐突にゆっくりと落ち始めたのだ。
 それと共に舞台上に現れた司会を見て、伯母さんはあっさりと、渉にとっての大事な話を切り上げた。
「ほら、渉ちゃん。演奏会始まるわよ! 話はまた、後でね!」
 深く腰を落としてリラックス。
 音楽を聴くための態勢を整えた伯母さんの様子に、これ以上の話は無理だと悟って、渉はちょっとだけ項垂れる。
 けれど、始まる演奏会。
 ……楽しみは、楽しみだ。
 ……この間聴いたしーちゃんのピアノを、しっかりとした会場で聴けるんだから。


 演奏会も中盤。小休憩に入ったホールで、渉は息を吐いた。
 順繰りに演奏されていくこと一時間強が経って、演奏者はともかく客席のため、十分の休憩時間に入ったのだ。
 渉は手元のパンフレットを見る。
 そこに書かれた演奏者のプログラム通りに演奏会は進んでいた。
 パンフレットには演奏者の演奏順も書かれていて、渉は詩季の番号を見つけると、伯母さんに見えるように指差す。
「しーちゃんは八番だから、休憩時間が終わったらすぐだよね」
 七番目までのピアノは、どれも心地良い独奏で、詩季を目当てにきた渉は、それ以外でも想像以上に楽しんでいた。
 隣に座って飲み物に口をつけている伯母さんは、渉のパンフレットを覗き込むと、
「そうね、楽しみだわ。あの子、日を追うごとに本当に上手くなってねぇ」
 懐かしむように目を細めたようだった。
 渉がふと思い出したのは、ピアノやヴァイオリンの賞状や盾の数々。
 そのほとんどを、伯母さんはこうやって、会場まで赴いて聴いてきたのだろう。
 楽しみなのは、渉も一緒だった。
 先週に聴いたピアノは、未だ、鮮明に思い出すことが出来る。
 なのに、もう新しい曲を聴くことができるという事実。
 それが渉には、嬉しい。
 だが、休憩時間を終えても、司会進行と共に出てきてもいい詩季は、出てこなかった。
 他の来場客もまた、ほんの僅かにざわめき始める。
「……どうしたんだろ」
 渉もまた、詩季が出てこない理由が気になって、呟きを漏らした。
 伯母さんもまた心配げな様子を見せていて、渉はそんな彼女に声をかけようとする。
 と、その耳に会場のアナウンスから司会の声が届いた。

「小休止後のプログラムですが、二部が遅れていることをお詫び申し上げます」
「八番の演奏者の体調等の事情により、演奏プログラムの順を少々変更してお送りします」
「つきましては、次は九番、吉野────」

 聞こえた謝罪と説明に、渉は伯母さんを見る。
 伯母さんも流石にそれには不安になったようで、振り向いた渉としっかり目が合った。
「……ちょっとおばさん、しーちゃんの様子見てくるわね?」
 ただでさえ心配性で、勉強中でさえ栄養を考えた差し入れを持ってきてくれるような伯母さんにこのアナウンスは、耐え切れなかったのだろう。
 席を立った伯母さんに頷きながら、「じゃあ俺も」と渉は口に出そうとする。
 しかし、後一歩で踏み止まった。
 考えてみれば、自分は知り合いではあるが、直接の関係者でも親族でもないのだ。
 それに、自分が行ったところでどうなるものでもない。
 詳しい事情は気になったが、暗い会場内で携帯を開くのも躊躇われて。
 麻衣や伯母さんがついているのなら、下手に行くと邪魔になるかもしれない──そう自分に言い聞かせて、渉はそのまま待つことにした。


   ◆

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