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戦国時代ゆかりのお城や古戦場コミュの三枚橋城(さんまいばし 沼津城)

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三枚橋城(さんまいばし 沼津城)

 伊豆攻めが決まり、どの城を攻めるかネット上を検索していたところ、「武田勝頼によって築城」のキーワードが出てきた沼津にある三枚橋城をターゲットにすることにしました。
沼津といえば港のイメージがあり、武田水軍について何かわかるかもしれません。
期待が膨らみます。
衰退した今川氏を裏切り武田氏は駿府を手に入れます。
三枚橋城は武田氏による駿府支配以後に築城されたと考えられており、武田勝頼によって築城されたとするのが有力のようです。
沼津駅から静岡銀行沼津支店へ向う途中に中央公園があり、そこに沼津城の石碑があります。
三枚橋城は武田氏のころから沼津城とよばれていた可能があるようです。
公園が工事中のため公園内に入ることはできず、正面から石碑を見ることができませんでした。公園内にはお城の遺構は何もないようです。
公園の近くを旧東海道が通っており、交通の要衝であったことがわかります。
また、北条氏が伊豆韮山を守る最前線の城「戸倉城」「泉頭城」とは狩野川を挟んで対峙するかたちになっています。
御殿場に源流を持つ黄瀬川は沼津市で狩野川と合流し海につながります。
黄瀬川が武田、北条の国境線になっていたようです。
三枚橋城の近くを流れる狩野川は、堀の役割だけではなく、東方への進出と海上ルートを確保するため、武田水軍の停泊基地として機能したようです。
武田水軍に少し触れることのできるお城でした。
また、小田原征伐に向う豊臣秀吉が滞在した際には、南部氏を裏切った津軽為信が謁見し、所領を安堵されたそうです。秀吉のお墨付きをもらい、南部に手出しできなくする作戦ですね。石垣山城で謁見したと思っていましたが、南部氏より早く謁見するため、小田原を過ぎ三枚橋城まできたのでしょう。
その後、三枚橋城は沼津藩の拠点となったようですが、1614年には廃城になったようです。
三枚橋城の知名度は全くありませんが、武田氏支配の頃はとても重要なお城であったことがよくわかりました。

写真1「沼津城図」 写真2「石碑と狩野川に架かるあゆみ橋」 写真3「石碑裏側」

コメント(2)

写真1「旧東海道の石碑」 写真2「発見された石垣」 写真3「石垣の説明板」
※石垣はアゴラ沼津というビルの地下から発見されたようです。
三枚橋城と周辺の城の位置関係を写真で確認してください。
長久保城、天神ケ尾砦の前を流れる川が黄瀬川、三枚橋城の前を流れる川が狩野川
三枚橋城と北条方の泉頭城、徳倉(戸倉)城、獅子浜城との距離が目測3〜4キロ程度でしょうか。
とても近いです。
googleマップなどで確認すると小田原から箱根を超え、三島に抜けてしまえば、御殿場、富士市までは遮るものは何もありません。
武田氏の駿河侵攻の時は、北条に悟られないよう周到に準備し成功させたのでしょうか。
また、占領後は北条氏に備えなければならず、そのための橋頭堡が三枚橋城だったのでしょう。
写真1「長浜城パンフの城郭分布図」 写真2「興国寺城パンフの城郭分布図」

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