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韓国親日化計画コミュの朴鉄柱

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こんな人が居れば良いのですが


朴 鉄柱

( 大正11年 韓国 釜山生まれ 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。
終戦後、韓国に帰国。李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられる。
(日本の学校を出た者は「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放)
朝鮮動乱をへて、昭和29年5月に「日本文科研究所」を設立。
研究主題は
1、日本上代文化の研究
2、帰化文化の研究
3、日本の信仰、道徳等精神文化の研究
同じころの我が国が、敗戦により自国文化の否定、罵倒する言論がまかり通っていたのとは対照的です。
その後、「日本と韓国」(韓国と日本ではない)という著書を南朝鮮で出版しましたが、「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。著書もすべて没収、焼却されてしまいました。
この著書は三分の二が日本への言及であり、日韓の恒久的安定が説かれていました。

 出獄後もKCIAからの査察を受け、投獄の憂き目をみましたが、「日本文化研究所」を「韓日文化研究協会」と変えて続けました。
資金はなく、赤貧洗うがごときだったそうです。
名越二荒之助氏が昭和42年に学生たち7人と訪韓した時に、「韓日文化研究協会」を訪ねた時に、荒廃して目も当てられぬぐらいの研究協会の建物を指差しながら、「これで松下村塾なみになりました」とカラカラと笑ったそうです。
(しっかし、松下村塾ぐらい一発で変換できてほしい)
その時に名越氏に朴氏が語った言葉が名越氏の著書に記されています。
長くなりますがそのまま引用させていただきます。

以下引用
「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室(御をつけられる)戴き、歴史に断絶がない。日本固有の神道が、現在にいたるまで相続されており、国家全体が調和された形で形成されている。”八校為宇”という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。
 それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくしてみることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと判る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい」

「韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、まとめたもので、高麗神話の性格が強い。
ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。韓国は、日本のように統一した一つの神話になっていない。日本神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。それに日本神話は檀君神話より400年も前にまとめられた。私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。それは民俗学的な立場からも立証できる。韓国は古来から祖先信仰と自然崇拝の念が強く、山神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居』や『しめなわ』『ヒモロギ』を使ってきた。それに日韓両国には、『白衣』の思想があった(これらは中国にはない)
 日本の神職は 、神に近づく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄める訳である」
「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。そのため日韓にの氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落としていた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起こす努力をしようではないか。そのために日本は自信を取り戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。
 日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけで なく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーーこの二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない」
 「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、 日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

時に昭和42年、朴氏四十五歳の時の言葉だそうです。

 その後、朴氏は肺がんに犯された体に鞭打って、亡くなる一年前の平成元年一月に先帝陛下の御大喪のさいに来日したそうで、朴氏から兄と慕われた中村武彦氏の文章より朴氏のお人柄を偲べます。


<平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足をひきずって彼は東京にやってきた。
 先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。御大喪の日には、雨の中を早朝から皇居前の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を似て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったであろう。>

以上黄色の文字はそのまま引用させていただきました。
日韓共鳴二千年史P602〜609名越二荒之助編著 明成社より







http://www.tamanegiya.com/bokutettyuu.html

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