2005年初頭、かつて激戦を繰り広げた全日本勢が大勢所属しているプロレスリング・ノアに参戦。三沢光晴や仲田龍は三沢社長時代の全日本プロレスに参戦させようと働きかけていたが、当時は馬場元子が認めなかった為、三沢らとリング上で再会するチャンスがなかった。ノア発足後もしばらく参戦のタイミングが合わなかったが、2004年に当時主戦場としていた新日本プロレスと喧嘩別れの形で参戦中断したことからスケジュールに余裕が出来、晴れて参戦となった。7月18日のノア・東京ドーム大会にて元付き人の小川良成との対戦(天龍の勝利)後、肩を貸して共に退場している。またDRAGON GATEにも参戦し、WAR時代の元付き人であるマグナムTOKYOと十番勝負を繰り広げる(2006年5月現在、天龍の3勝2敗)。同年10月には、DRAGON GATE顧問に就任、他団体参戦時にも所属選手がセコンドに付くことになった。だが、天龍本人が所属選手となったわけではなく、フリーランスとしてこれからも各団体を転戦する。また、同年11月3日のハッスルマニアで初めてハッスルにも参戦した。表面的にはシリアスなイメージの強い天龍だけに、エンターテイメント色の強いハッスルとは合わないのではないかという見方もある中、天龍は試合のみならずマイクも積極的に握り、見事にハッスルの中でも自己を表現して見せた。2006年7月27日には、6年ぶりとなるWARの大会「WAR FINAL 〜REBORN to FUTURE〜」が後楽園ホールにて行われた。