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我が愛しのアスリート図鑑コミュの稲本 潤一(サッカー)

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稲本 潤一(いなもと じゅんいち、1979年9月18日 - )は、鹿児島県姶良郡湧水町生まれ、大阪府堺市育ちのサッカー選手。 ポジションはMF(DH、CH)。ブンデスリーガ、フランクフルト所属。

CAP数68は歴代13位。

6歳の時に大阪は堺市の青英学園SCでサッカーを始める。1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームであるガンバ大阪に昇格し、17歳6ヶ月の当時最年少でJリーグ初出場。17歳7ヶ月で初得点している。

1999年には、U-20ワールドユースで準優勝を果たし、シドニーオリンピック日本代表、A代表にも召集されてAFCアジアカップやFIFAコンフェデレーションズカップに出場。日本代表の主力選手に成長した。

2001年、以前Jリーグでクラブの監督をしていたアーセン・ベンゲルに見込まれて、イングランドプレミアリーグの強豪チームの一つアーセナルFCに移籍。しかし出場機会は得られなかった。

2002年、日韓W杯に初出場。ベルギー戦、ロシア戦で得点を挙げる活躍をし、日本はグループリーグを突破。ベスト16入りに貢献した。

W杯後、出場機会を求めて同リーグ中堅のフラムにレンタル移籍した。UEFAカップ出場権を争うインタートト・カップのボローニャ戦で、欧州では日本人初のハットトリックを達成。完全移籍目前とも言われたが、2004年のイングランド戦で左足を骨折する重傷を負った事で交渉が決裂し解雇される。その後ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン、カーディフ・シティにレンタル移籍することとなった。

2006年6月、ドイツW杯に招集される。第2戦のクロアチア戦の後半に途中出場。第3戦目のブラジル戦、稲本からの左サイドへのサイドチェンジは玉田圭司のゴールの起点となった。チームは2敗1分でグループリーグ突破はならなかった。2006-07シーズンはトルコ1部リーグのガラタサライに移籍。UEFAチャンピオンズリーグの本大会に出場し、次期もクラブに残留する予定であったが、監督退任に伴いチームから契約延長をしない旨を伝えられ退団した。

2007年5月、同期の高原直泰が所属するドイツのブンデスリーガ、フランクフルトへ2年契約で移籍。移籍会見翌日にキリンカップのための日本代表合宿に合流。オシムジャパン初招集となった。

攻撃的ボランチと位置づけられることが多いが、守備能力は高く、特に、激しいタックルや後ろから相手選手のボールを奪うなど対人プレーに強く、高いボール奪取能力を持つ。攻撃面においては、パスを散らすタイプというよりも、三列目からの効果的な飛び出しや自らボールを奪いそのまま攻撃参加などダイナミックなプレーを特徴とし、ミドルシュートも強力である。



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