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我が愛しのアスリート図鑑コミュのR・マテウス(サッカー)

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ローター・マテウス(Lothar Matthäus、1961年3月21日 - )は、ドイツ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィルダー、ディフェンダー 。 20年間に渡り第一線で現役を続けた、ドイツ伝統のゲルマン魂を具現化した様な選手である。

若い頃はその強靭な肉体と豊富な運動量を生かした守備的MFであり、ベッケンバウアー二世とまで言われていた。1979年にボルシアMGで選手キャリアをスタートさせると、翌年には早くも西ドイツ代表に選出され、同年4月26日のオランダ戦で代表デビューを飾っている。1986年のメキシコW杯決勝ではアルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナのマンマークを担当、この試合でマラドーナを封じる事に成功したが、試合そのものには敗れている。

1988年にセリエAのインテル・ミラノに移籍し、センターハーフとしての才能に開花。守備だけでなくパスセンスや得点能力にも磨きをかけ、プレーの幅、安定感を伸ばし、強烈なキャプテンシーでクラブを8年ぶりのスクデット獲得に導いた。また、西ドイツ代表としても1990年のイタリアW杯決勝戦においてアルゼンチンに対し前回大会の雪辱を果たし優勝した。

1991年のアキレス腱断絶による選手生命の危機を経て、1998年のフランスW杯直前にリベロへコンバート。スピードや運動量は衰えたものの、最終ラインからの正確なフィードでマテウス・スタイルとも呼べるプレーを確立した。これにより選手寿命を更に延ばし、2001年に40歳で現役引退するまでプレーを続け、ドイツ代表では歴代最多となる150試合出場、5度のワールドカップ出場、ワールドカップ最多出場記録(25試合)を達成する金字塔を打ち立てている。 現役時代は数々のタイトルを手にしてきたが、UEFAチャンピオンズリーグだけには縁が無く、1986-87シーズンにはFCポルト、1998-99シーズンにはマンチェスター・ユナイテッドの前に決勝で涙を飲んでいる。

現役を引退した後、2001年9月にラピード・ウィーン(オーストリア)で監督としてのキャリアをスタートさせ、ハンガリー代表の指揮を執った。その後ブラジルのクラブであるアトレチコ・パラナエンセを指揮したが、生活環境の不一致ですぐに帰国した。しかし、これは表向きの報道であり、実際には報道陣とトラブルを起こしサッカー協会より1か月の出場停止処分をくらい、それに嫌気がさして出て行ったようである[要出典]。

2006年6月よりレッドブル・ザルツブルクのヘッドコーチを務めていたが、クラブ内で多くの問題を起こし2007年6月12日に解任された。

同じようなポジションの変遷を辿っている皇帝フランツ・ベッケンバウアーや、同世代のマラドーナらの偉人達と比較される事もあるが、タイトル獲得の実績に遜色はない。天才と呼ばれ華やかな活躍をした彼らとは対照的に、こつこつと実力を伸ばしていった後に栄光を勝ち取った努力型の選手と言える。 MF・DFのほぼ全てのポジションをこなし、古典的なパスサッカーから運動量や体力、ボディーコンタクトを前面に出したプレッシングが主流となったサッカー界に於いて20年間近くに渡り第一線で活躍するなど現代サッカーに最も適した選手との評価もある

1996年の欧州選手権において、当時のドイツ代表の中心選手ユルゲン・クリンスマンと意見の相違から対立し、代表から外される。クリンスマンとはその後も犬猿の仲とされる。

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