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我が愛しのアスリート図鑑コミュの清水宏保(Sスケート)

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清水 宏保(しみず ひろやす、1974年2月27日 - )は、北海道帯広市出身のスピードスケート選手。NEC所属。身長は162cm。

実家は建設会社。葵幼稚園、帯広市立栄小学校、帯広市立帯広第一中学校、白樺学園高等学校を経て、日本大学文理学部を卒業。三協精機(現:日本電産サンキョー)を経て、現在はNEC所属(プロスケーター)。

1993年2月、イタリア・バゼルガディピネで行われたスピードスケートW杯に18歳で初出場し初優勝という快挙を達成。その直後の世界スプリント=群馬県伊香保では総合3位に入り、小柄な世界トップスケーターとして注目を集める。

1994年リレハンメルオリンピック、1998年長野オリンピック、2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピックと、4度の冬季オリンピックに出場している。長野では500mで金メダル、1000mでも銅メダルを獲得、ソルトレークシティの500mでもトップと0.03秒差の銀メダルを獲得した。ワールドカップ(W杯)通算優勝回数は34回である。

1993年の世界デビュー以降、10年以上にわたって日本スケート界を牽引してきたが、2005年の世界距離別選手権で2位になったのを最後に世界では目立った成績を残せていない。男子短距離では、加藤条治、及川佑、長島圭一郎など「ポスト清水」と言われる世代が実力をつけ始めていることもあり、内外で清水限界説が囁かれ始めている。
幼少の頃より気管支喘息を持つ。喘息をうまくコントロールして五輪に出場しメダル獲得までをも果たしたスポーツ選手として、代表的な長期管理喘息治療薬の発売元であるグラクソ・スミスクライン社の宣伝に起用されているほか、喘息関係の学会などにも招聘されている。
固定自転車により失神寸前まで追い込むトレーニングしていたのは有名。
自らが使う道具、特にスケート靴へのこだわり度が高い。長野五輪前にはスラップスケートの靴底にカーボンファイバーを使い剛性を高めることを思いつき、「カーボンファイバーに関する高い加工ノウハウを持っている」との理由から、本来レーシングカーの製造会社である東京R&Dに特注してカーボンファイバー製のスケート靴を作らせてしまうほど(実際長野五輪ではその東京R&D製のスケート靴を使用し金メダルを獲得している)。

金メダルを獲得した長野オリンピック直後の1998年4月、清水は所属していた三協精機を退社し、日本で初めての「プロ」スケーターとなることを宣言。半年後にNECがスポンサーとして名乗り出る。同社と社員契約を結ぶ一方で、複数の企業とスポンサー契約を交わすプロアスリート活動を始める。
スケートをメジャースポーツにすることを望んでいた清水は、不況により企業のスケート部が相次いで消滅している現状を憂えていた。清水のこの行動は、スケートのみに集中できる環境を作るのと同時に、企業が選手を抱え込む現在のスケート界の体質にも一石を投じるものであった。

1996年3月カルガリーにおいて35秒39の男子500m世界新記録を樹立。スプリント競技は長身選手に有利というそれまでの常識を覆し、この種目の第一人者となる。その後も記録更新を繰り返し、一時期ジェレミー・ウォザースプーンに抜かれるものの、2001年3月10日世界距離別選手権=ソルトレークシティーにおいて自身4度目の記録更新となる34秒32を記録し、世界記録保持者に返り咲く。
なおこの記録は、2005年11月に加藤条治(34秒30)に破られた(現在の世界記録は李康奭の34秒25)。

清水が前半の「ロケットスタート」でタイムを出すタイプであるのに対して、加藤条治は世界一と称されるコーナーワークの技術が持ち味。加藤が高校生だった頃から、清水はその技術の高さに一目置いており、加藤がショートトラックからコーナーワークを磨いていたことを聞きつけると自分の練習にもショートを取り入れるなど、その技術の習得に意欲を見せた。
加藤条治とはライバル関係にあるが、プライベートでは仲が良い。

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