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我が愛しのアスリート図鑑コミュの加藤陽一(バレー)

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加藤 陽一(かとう よういち、1976年8月12日 - )は日本のバレーボール選手である。 身長190cm、体重80?、最高到達点345cm。ポジションはレフト。キャッチコピーは世界を知る日本のサムライ

大学在学中の世界選手権で全日本デビュー。朝日健太郎、西村晃一とともに全日本の顔となった。 そのあともワールドカップ、グランドチャンピオンシップも日本のエースとして経験を重ねた。


筑波大学卒業後の、Vリーグの東レ・アローズに入団。チームを準優勝に導き、新人賞と敢闘賞を受賞。Vリーグオールスターでもファン投票1位に選ばれるなど、絶大な人気と実力でVリーグの第1人者だった。

しかし、全日本がシドニーオリンピック最終予選でオリンピックの出場権を逃すと、加藤は徐々に世界との差を感じ始める。

2002年、加藤はイタリアのシスレー・トレヴィーゾ(SISLEY TREVISO)へ移籍。彼が海外挑戦を表明する際、日本バレーボール協会はあまりよくは思っておらず、移籍には後ろ向きであった。事実、当時の全日本の選考基準は「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」という規約があった。そのため、加藤はチームへのアピール材料を自分で作り、ほぼ個人で売り込みに行った。

移籍直後のイタリア地元紙の新聞には「ベンチを温めにきた日本人」と報道される状態からのスタートだった。

加藤はこのチームに所属するイタリア代表のスーパースター、サムエル・パピを見習って練習した。 ちなみに、世界最強セッターと呼ばれるバレリオ・ベルミリオ、2005年現在のイタリア代表スーパーエースアレッサンドロ・フェイ、世界No.1プレイヤーアルベルト・チゾーラもトレビゾに所属。パピの怪我により試合出場の機会が増えると、加藤は攻守に渡り活躍。その年のセリエAのオールスターで外国人選抜に選ばれた。そして2002~2003シーズンでチームは見事スクデットを獲得した。

2003年、全日本とのスケジュールを合わせるため、ギリシャのパオック(PAOK)に移籍。(セリエAはシーズンのプレーオフが終わるのが5月だったので最終予選の合宿などには出れないということから。その反面、ギリシャリーグの終了は3月) このころ、日本バレーボール協会も動き出し、加藤のために全日本の選考基準から「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」が削除され、見事全日本にも復帰。2003年のワールドカップでは全日本のキャプテンとしてチームを引っ張った。

2004年1月、フランス1部リーグ、アラゴ・デ・セテ(ARAGO DE SETE)へ、その年の9月にはセリエAのペルージャ(rPa PERUGIA)に移籍する。ペルージャでは2004~2005シーズン準優勝を果たす。

2005年7月、VリーグのJTサンダースに移籍で日本復帰。海外での経験を生かし、現在Vリーグで活躍中。

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