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日本の生命線・台湾防衛運動コミュの温家宝の尖閣領有の主張は笑えない

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ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-596.html

十二月九日に中国の調査船が尖閣諸島の領海内に出没したことを受け、十三日に行われた麻生太郎首相と温家宝首相による日中首脳会談で、麻生首相は「遺憾だ」と抗議したところ、温首相は「あそこは古来、中国の固有領土だ」と反論した。

このように中国側は相変わらず歴史の観点から領有権を主張するが、国際法上で問題となるのは、そこを実効支配しているか否か以外にないのである。日本は一八九五年一月、無主の地であった同諸島を先占し、実効支配を継続しているのだから、そこが日本の領土であることは争うことのできない事実だ。

それでも中国側が歴史、地勢などを理由に領有を主張するのは、「嘘を百回言えば真実になる」との宣伝戦略ににない他ならない。

もちろん国際法の観点に基づいた主張もある。それによれば尖閣諸島は、「中国の台湾」の付属島嶼の一部と言うもの。「台湾の付属島嶼」と言えば一八九五年四月、下関条約によって日本に割譲され、一九四五年に中国へ「返還」された地域である(実際には日本は「返還」せず「放棄」したのみ)。

だが日本への割譲当時、「付属島嶼」に尖閣諸島が含まれているはずがない。なぜならその三カ月前、すでに日本の領土に編入されているからだ。だが中国側はそれを「不法な侵略だ」と言って聞かない。しかし「侵略」と言われても、日本の当時の慎重な調査の結果、同諸島が無主の地だったことは明らかなのだ。

ところが中国側は、尖閣諸島を発見したのは明国時代の中国人だとして、「発見」を理由に領有を主張する。しかし大航海時代ならともかく、今時「発見」など国際法上の根拠にはなりえない。そこで最近は嘘に磨きをかけ、尖閣諸島が無主の地であったことを認めながらも、「明、清時代以来、中国の海防の管轄範囲」に含まれていたとの主張を見せている。つまり明の時代、周辺海域を支配し、中国に脅威を与えていた海上武装勢力に対する防衛ラインの内側に同諸島が位置していたと言うのである(ちなみその海上勢力は倭寇である。倭寇とは言っても、その多くは中国人だった)。

このように温家宝が言う「古来」とは、「明国時代以来」のことであるが、それがどれほどの嘘であるかを説明しよう。

「海防の管轄範囲内」なる見解は、中国人の尖閣問題研究の権威である馬英九も採用している。馬英九は言うまでもなく、台湾の現総統だが、もともとこの問題で頭角を現し、政界入りした人物で、「学術」研究書も何冊か出している。

馬英九は二〇〇三年に行った講演で次のように述べている。

「国際法上重要なのは、中国が釣魚台を有効に支配してきた事実だ。有名なのは一五六二年、明の倭寇討伐の最高統帥である胡宗憲の書いた『籌海図編』にある「沿海山沙図」と言う海図に釣魚台が描かれていることだ。これを日本の学者に見せたら、『倭寇の侵略路線図であって海防を意味しない』と言うので、私は『もちろん海防だ』と答えた」

しかし、それについては日本の学者の見方が正しいようだ。下に掲げる写真は、その「沿海山沙図」の一部である。

 ーー写真省略、ブログ参照ーー

そこではたしかに東支那海に「釣魚嶼」が浮かんでいる。そしてその右側には「鶏籠山」とある。この鶏籠山は釣魚嶼と同様、琉球―福建間海域での航海指標となっていた台湾島北端の山である。そしてその山の麓は当時、明国の海防拠点ではなく、倭寇の根拠地だったのだ。

なぜならこの最果ての島であれば、明国の討伐軍が追って来なかったからだ。鄭舜功が一五六五年に書いた『日本一鑑』にもその地に倭寇がいることを書いている。

ちなみに中国の文献で、台湾がはっきりと台湾として言及されるのは、この一書においてである。つまり中国人はそのころまで、鶏籠山(=台湾)を海防管轄範囲に入れていなかったばかりか、その存在すら知らなかったということだ。

その二年前に作成「沿海山沙図」でも、「鶏籠山」と言う航海指標の山は書かれていても、台湾と言う広大な島は描かれていない。それでも中国人からすれば、台湾もまた」古来、中国の固有領土¥となるのだが…。

以上のように、台湾の存在すら知らない明国が、大陸沿岸は別としても、東支那海に勢力を伸ばしていたとは考えられないのだ。

なお「沿海山沙図」の「釣魚嶼」と「鶏籠山」との中間に「彭花山」とある。これは現在の彭佳嶼と言う台湾の「付属島嶼」で、ちょうど台湾北端の基隆から北部五十六キロの地点に位置しているが、日本が割譲を受けた当時、この島はまだ「付属島嶼」に入っていなかった。そのため日本は台湾割譲から二、三年後、ここがどこの国にも属していないことを確認した後、「付属島嶼」に編入したと言う経緯がある。

この島が含まれていないのに、同じく東北百八十六キロにある尖閣諸島を台湾の「付属島嶼」だとするのもおかしな話である。

さて馬英九は、清国時代にも尖閣諸島は海防管轄範囲内にあったと主張する。

「御史の黄叔璥が一七二二年に書いた『台海使槎録』に『釣魚台では大船十余が泊まること可』とあり、当時の台湾水師が常に船を派遣し釣魚台を巡邏させていたことは極めて明らかだ」となどと簡単に断じているが、この「権威ある研究家」は、もっと説得力のある具体的な証拠を示すことはできないのだろうか。

いずれにせよ、たとえ中国が尖閣諸島を海防管轄の範囲内に収めていたのが事実だとしても、それが温家宝の言う如く「古来、中国の固有領土」である証拠となるわけでもない。

だが、このような中国人の子供染みた論理を日本人は笑ってはいられない。中国政府の説明によると、九日の中国の調査船による領海侵犯は「実効支配の強化」が目的だったらしいが、これはまさに、海防のために艦艇を巡邏させれば尖閣諸島の領有権を獲得できるとの論理で実力行使に出たわけで、この国に国際法のルールなど通用しないことがよくわかる。

嘘は百回言わないと真実にならずとも、実力行使は一回だけで既成事実と化す。今後あり得る中国軍の上陸支配を防ぐには、「遺憾の意」の表明だけでなく、自衛艦の常駐によるその海域の確固たる防衛体制を確立しなければならないだろう。

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