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日韓歴史討論コミュの李朝は異民族(満州族)支配だったのか?

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高麗王朝の家臣でありながら、高麗を裏切り、明に
服属して高麗を滅亡させ、李王朝を立てた李成桂は、
本当に朝鮮人(韓国人)だったのでしょうか?

韓国には、李王朝は、実は満州族だったと考える
人々も居る様です。

私には分かりませんが、そうだとすれば、李朝時代の
過酷な身分制度などは異民族支配の一形態だったのか
な?と言ふ気もして来ます。

あまりおおっぴらに語られる事の無いテーマですが、
特に日本人には、李朝と言ふ物をこうした視点から
見てみる事も必要なのではないかと思ひます。

この問題について詳しい方がおられたら、御高見を
お聞かせ下さい。


           管理人

コメント(25)

いや、私は台湾人から聞きましたよ。
このことはとくに秘密でもタブーでもないと思います。
以前、2chで書きまくったせいか(関係ないかな?)、最近では検索すると詳しい話が出てきますよね。
ただ、異民族支配というのはちがうような気もします。
李成桂の一族は、女真族(今の満族)の酋長とはいえ、モンゴル帝国の「千戸」(地方役人)で名前もモンゴル名をもってましたから、女真系モンゴル人であり、高麗王朝の将軍になってからは女真系高麗人なわけですが、そもそも高麗って国が当時はモンゴル帝国の一部でもあり、宮廷文化もモンゴル風だったので、文化を基準とするなら、まったくの異文化に飛び込んだ感覚はなかったでしょう(正確にいうと李成桂の頃の高麗はモンゴル派と親中派に分かれてもめてた頃ですが、長いことモンゴルの一部だったという情況があったということで)。現代のような民族意識とか国民意識というのは当時はないので、その後、高麗を裏切ってから明帝国の臣下になってからは、本人は今度は中国人になったつもりだったでしょう。半島人になりすましたつもりはまったくなかったと思います。

詳しいことは後日書くかも書かないかもですが、李朝の建国の事情は朝鮮という国号の選定・儒教主義・貨幣経済の阻害などとも密接につながった一連のことでもあります。
>>2の続き
以下、2chからコピペの寄せ集め
--------
李朝の初代李成桂の父、李子春。
かれは双城(現・北朝鮮咸鏡南道永興)の千戸。要するに元朝の下級役人で女真族の酋長。
慈江道・咸鏡道・両江道など北朝鮮東北部の大部分は、高麗時代には女真族の居住地であり半島国家の領有ではなく、この頃はモンゴル帝国の一部になっていた(一部は所属について係争していた)
李子春の本名はウルス・ブハ(吾魯思不花=urusu-bukha)と言い女真系モンゴル人。(女真民族でモンゴル国籍。『太祖実録』総書に曰く、桓祖諱子春蒙古諱吾魯思不花)

李成桂の従兄弟か異母兄弟か忘れたけど一族にはモンゴル名しか知られていない者もいる。
(しかし族譜では、朝鮮の李王家の本貫は全州李氏で、ウルスブハ以前にさらに先祖を溯ればちゃんと朝鮮人になる、ということになっている)


1356年、高麗の恭愍王はそれまで元の皇后の一族として高麗の宮廷で専横をきわめていた奇氏を粛清し、ただちに満洲にあった元の遼陽行中書省を攻撃して、元の領土だった北朝鮮の咸鏡道に軍を侵入させた。

この時、双城にいた李ウルスブハが高麗に投降した。高麗はモンゴルの双城統管府を廃止してその地を併合、そこに新しく高麗の和州牧が置かれたんだけど、その時、李子春・李成桂の女真人の父子は、内通して高麗を助けたことになっている。
(李朝が編纂した歴史書で(w だからこの辺りの事情はかなーり怪しい )
この李ウルスブハの息子が李成桂である。
李成桂は高麗軍に入って武勇で頭角をあらわし、1361-62年の紅巾軍の侵入の時も奮戦して敵を撃退した。

1369年に和州を和寧と改称。

1380-90年代、高麗の恭愍王は、元明の東北アジア争奪戦のどさくさに紛れ、遼東までを一挙に本国化しようとはかり、高麗はモンゴル側について永楽帝と対決するため軍団を派遣したんだけど、その軍団の長である李成桂が裏切って明側についてしまい、引き返してクーデタを起こし、王権を乗っ取って樹立したのが李氏朝鮮。

1392年、高麗、滅亡。李氏朝鮮の建国。李成桂は明に尻尾を振って、遼東・南満州を放棄、鴨緑江までの確保で満足したせこい奴。こいつが政権欲に目がくらまず、自分の任務をきちんとはたしていれば、太祖王建の夢であった高句麗/渤海国の旧領(満洲)を奪取できた可能性がある。

1393年、明から国号を【朝鮮】と賜る。これより前、【朝鮮】と【和寧】の二案で明に提出。
(「和寧」は今の咸鏡南道の咸興。李朝の発祥地でこの年「永興」と改名されている)
和寧はモンゴルのカラコルムの漢字名だから却下されたというが、それは建前で、最初から朝鮮に内定していたというのが通説。朝鮮というのは儒教の聖人(箕子)の国であり、こないだまでモンゴル風の文化でやってた国がいきなり名乗ってもバカにされるか中国の怒りを買う可能性もあったろう。当然根回しは済んでいたはず。

李成桂の父については岡田英弘『皇帝たちの中国』でも簡単にふれてます。
-------
さらに詳しくはウキペディアの李成桂の項も参照。
いつ消されるかわかりませんが今なら中立的に書かれてます。
私は初めて知りましたが、大変興味深い話ですね。

李成桂は高麗軍の将軍として遼東半島の奪還作戦に向かう途中に、高麗を裏切り、兵を反転して高麗王と参謀総長を殺害して李朝を建てたのですから、その疑いは充分に考えられますね。

今後の研究に期待致したく存じます。

幼い頃,李成桂と女真族の酋長李之蘭 ( 漢化本名:童豆蘭 ) = 義兄弟

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82

http://61.30.31.8/teps/ec/ecjnlarticleView.aspx?jnlcattype=1&jnlptype=1&jnltype=2&jnliid=1311&issueiid=9195&atliid=110726


{ 女真大酋長李之蘭在朝鮮王朝建國過程中的崛起 }
作者:王永一

http://www.manchusoc.org/contents/cover/28.htm

李之蘭の女真本名は豆蘭帖木兒( 父名: 阿羅不花 )

http://surname.info/i/cheong_hae.html

現在李之蘭は南宋抗(女真)金人漢族名將"岳飛"の末裔説

http://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E9%A3%9B

韓國徐炳國教授 《青海李氏世譜》,李之蘭の祖先は岳飛 冷や汗あせあせ(飛び散る汗)exclamation & question


徐炳國

http://100.empas.com/dicsearch/pentry.html?s=&i=235839

http://100.empas.com/dicsearch/pentry.html?i=275263


高麗王朝太祖王建の祖先 .. 漢民族

http://surname.info/wang/gae_seong.html

遼東半島 > 漢朝楽浪郡 > 開城王氏

Massive Chinese immigrations, mainly from Yan (Hebei) and Qi (Shandong), continued without cessation, implanting Chinese cultures in the peninsula. The Yan people came from Beijing via Liaodong and the Qi people came across the Yellow Sea. Among them, the Wang clan, whose ancestor is said to have fled there from Qi in the 2nd century B.C., became powerful. It is presumed that most of Lelang Chinese spoke the Yan dialect.

http://www.indopedia.org/Lelang_commandery.html


朝鮮王朝実録 (日本語版)

http://sillok.history.go.kr/main/main.jsp



> 女真族だったのかな・・

Nori-san 手(パー)

This is my last posting,hope I have answered your question.

李之蘭 ethnically classified as 女真族 by both Korean & Chinese sources.According to Taiwan author 王永一,there have been rumor in Chinese history academia circle for years that he was really of (宋朝)漢民族 ancestry NOT a genuine 女真系.

S Korean professor named 徐炳國 did an extensive research on 李之蘭's ( 豆蘭帖木兒 ) family background and confirmed he was indeed a descendant of Song Dynasty'd great general named 岳飛's son 霆.

* Source; book titles 青海李氏世譜,it's published in 韓国語

韓國徐炳國教授依據《青海李氏世譜》一書,斷定李之蘭的先祖為岳飛,岳飛有五個兒子 ( 矢印左右 5 息子 ):即雲、雷、霖、震、霆,李之蘭的先祖霆.


岳飛ってのは有名な英雄なので、もし本当なら李王家が大いに吹聴しそうですが、そういう話はなかったわけでしょう。
そもそも李王家は青海李氏でなく全州李氏を名乗ってますが、二つの李氏の系譜はどう繋がってるでしょうね。
韓国の世譜とか族譜というのは古い時代の部分は日本の系図と同様で創作されたものが多いときいてます。
百歩譲って大昔の祖先が中国系だったとしても、李成桂の頃には文化的に女真族として暮らしていたことにはかわりないんじゃないでしょうか。
-----------------
王建の祖先が中国系だというのも族譜を真に受けた俗説のように思えます。そもそも新羅末の頃は庶民はまだ中国風の姓はもっておらず、もともとは「王建」というのはキビの意味の固有語を音写したもので、王建の二文字で一つの個人名です。李朝時代になって高麗王朝の歴史を記録する時に、何事も儒教と中国式に当てはめ解釈したために、王を姓、建を名として分解したものです。

楽浪郡に王氏を名乗る中国系の一族がいたことは本当ですが、楽浪郡滅亡時に中国系の人たちは遼東方面に引き上げた様子が『晋書』等に窺えます。残った人たちも高句麗や百済の貴族階級に列した人らは王氏を名乗り続けたでしょうが、庶民はそれぞれの民族の生活習慣に同化されてしまいます。姓氏については高句麗・百済・新羅それぞれに異なった文化事情がありましたが、とくに新羅の場合、庶民には姓はなく、中央の上級貴族でも対中国向けに姓を名乗っていただけです。高句麗の首都になってからは高句麗に同化したでしょうし、さらにその後は跡地=平壌付近は統一新羅と渤海國の国境になったため長らく寂びれて人がいなかった、つまり楽浪郡以来の中国系の人は散亡して、まとまった文化集団(エスニックグループ)としては消滅しました。

王建は新羅の地方豪族の出身であり、いきなり何百年も前の楽浪郡に関係付けるのは適切でないと思います。

No ... 新羅の地方豪族 had two main surnames 朴 ( 朴赫居世 -Pak Hyeokgose ) and 金 ( Kim ) NOT 王 ( Wang )

Ethnic Koreans of nomadic heritge can tell you Wang is NOT a Korean surname.



陳璘の末裔は韓国人です

陳璘と李舜臣 fought against Japanese in Imjin War

http://www.surname.info/jin/gwang_dong.html

Chen Lin died of natural causes. His descendants are spread out across Guangdong, Guangxi, and Sichuan provinces.

One of his grandsons, Chen Yongsu, settled in Korea.

http://en.wikipedia.org/wiki/Chen_Lin_%28Ming%29

http://en.wikipedia.org/wiki/Hideyoshi's_invasions_of_Korea


明代抗倭名將陳璘在韓國的第十四代後裔陳邦植先生.

A news article reported 14th generation descendant of 明朝の名將陳璘 visited ancestral hometown in Canton provice

http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/overseas/2005-12/08/content_3893337.htm

>>18
なにがNOだかよくわからないんだけど、半島のいろいろな時代をごっちゃにしてるようですね。
朴にしろ金にしろ中国の姓とは由来がちがいます。

あと、最低限、日本語で書いて下さい。
それはそもそもこのコミュで管理人が宣言していたルールだったはず。
おもしろいですね。

教えてください。

道教の祖って、李氏ですよね?それで、今の韓国の国旗って道教のマークじゃないんですか?

儒教の影響もあるでしょうが、李氏朝鮮の李氏が道教と関係あるから今の国旗になっているのかなー?って思いました。

それから、英語のコリアって、高麗の読みから来ているって聞いたんですが、高麗以前は半島が統一の1つの国ってなってなくて、そうかんがえると朝鮮人って概念が違ってくると思うんです。

どうでしょうか?
>>22
李氏ってのは老子のことをいってるんでしょうが
道教の祖は李氏じゃなくて張氏です。

>高麗以前は半島が統一の1つの国ってなってなくて、そうかんがえると朝鮮人って概念が違ってくる

半島が一つの国になったのは新羅が百済を滅ぼした時からですね。
現在の朝鮮人の原型ができたのは新羅からです。
久しぶりですが、
そういうわけで高麗王朝の建国者の「王建」は
中国人の子孫ではありません。
念押しに来ましたw

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