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福井謙一コミュの福井さんのRootほか

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以下は当方が自分のMIXIサイトのPhotoコーナーに書いたものですが、ここに再掲します。

出展は伝記・家族のお話・教え子の方々のお話しや下記書籍と雑誌から抜粋しました
(1)ノーベル賞10人の日本人 
読売新聞編集局 編 中央公論新社
(2)ノーベル賞の周辺―福井謙一博士と京都大学の自由な学風

1.福井謙一さんが化学に進んだ理由
喜多源逸(Kita Genichi)京大工学部工業化学科教授の2言に尽きます。
大阪高校卒業を控えて福井さんのお父さんは親類の喜多源逸教授に相談しました、
<1番目の一言>
喜多さんは「数学が好きなら化学をやるべきだ、私のところに寄越しなさい」と答えました。
<2番目の一言>
福井さんが喜多さんを訪ねると「基礎を勉強しなさい。」
当時化学は専ら実験主義(経験主義)で「実験やってなんぼのもん」で言い方悪いが力仕事、土方ですよ、理論を勉強するひとはゼロ、福井さんは自分で考えて(Think、これが京都学派です、答えを決して先生が教えない)、当時構築途上の量子力学と高等数学を学んだ、変な学生だったのです、工学部なのに理学部の量子力学講座と数学講座を勉強しに行った。
自分で考えて「化学の基礎とは数学や物理である」と解釈して、これら2教科の勉強に励(はげ)みました。

この最先端量子力学と高等数学の勉強の結集が「Fronteer理論」に結びつくのです。そして自分の教え子にも同じやり方を進め、福井学派とも呼ぶべき実験ひをはしない化学者が 生まれてきたのです、福井さんの読み通り、現代では「量子化学」という創造的な学問分野が主流になっています。

2.喜多さんと三高の事
そのRootは喜多さんです。
喜多さん三高・明36年卒業・東大工業化学を卒業し、東大応用化学助教授でしたがすぐに設立まもない京大に来ました、京大は三高の延長線上に生まれた大学です、三高から伝わった基本の学風に「自由」の伝統があります、福井さんは三高の卒業生ではないが、湯川秀樹・朝永振一郎・江崎玲於奈、の三氏はいづれも三高の卒業生です。福井さんは燃料化学の教授であったが、Nobel受賞対象は直接石油化学とは関係のない量子力学関係のものである。恐らく京大でなかったら、燃料化学教室教授の福井さんの研究すべき領域とは直接関係のない領域として、先生の研究は他の先生方の近視眼的な非難こそ受け、その研究を奨励するような雰囲気は期待できず、逆に潰そうとする圧力さえ働いたのではなかったかと思われる。事実そういう空気は京大といえどもなかったわけではなかったようで喜多さんのように自由な考えをする人達の温かい庇護応援がなかったら福井さんのノーベル賞は生まれなかったでしょう。喜多さんは独創性を重んじられ、その研究室からはユニークな研究者が数多く育っていった。

大正15年卒桜田一郎のビニロン発明は、繊維化学科創設を導き、昭和3年卒児玉信次郎の合成石油研究の成功は燃料化学科の創設へと展開した。福井さんも喜多門下で昭和16年の京大卒業生である。三高卒業の喜多さんが生み出した雰囲気こそ京大工学部が他の大学の持ち得なかったものであり、ノーベル賞を生み出す根元であったのだろうと思う。理論物理学の荒木源太郎を、工業化学科の教授として迎えたのも喜多さんであった。

3.三高精神の現在と今後への期待
しかし、かっての京大の持っていた「自由さ」「独創性・創造を評価する」姿勢を失わせ、他の大学とくらべて際だっていた政治からの独立性、学問に於ける自由性、独創性を失わせてしまっているのではないか危惧しています、京大の人達がいまの方向を前進とさえ思っている愚かさを想わずにはおれない。京大が三高の持っていた伝統から離れた方向を辿るとき、京大らしさが失われ、学問の自由な前進と実りを失って行くでしょう。

京大で仕事をしている人達・学生は、京大とは何なのか、東大や他の大学とその精神において何が違うべきなのかをぜひ考え、三高の中に生きていたものを検討し、再確認してほしい、そして学問・研究の中にそれを実証して国の内外に問うて行ってほしいものだと敢えていいます。

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