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宮津与謝の祭りコミュの5月13、14、15日宮津藩祭山王祭!。

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皆様、はじめまして。

へディーさん、お誘いいただき、ありがとうございます!。
こんなにコアなコミュがあったとはあせあせ(飛び散る汗)
・・・嬉しいです♪。


では、私のまちのお祭について、紹介させていただきまする。


通称宮津祭は、現在、山王宮日吉神社と和貴宮神社の
お祭となっておりますが、
私が毎年、痛みを喜びに変えて熱くなっておりますお祭は、
山王宮日吉神社のお祭です。

御神輿と浮太鼓、神楽、それに各地区の子供神輿、
杉の末の太鼓などが町を練り歩きます。

私も加わります御神輿の巡幸は、山王宮日吉神社を発し、
城内を通過し、波路のお旅所まで行き、降り帰す流れの中で、
くまなく宮津の町中を廻ります。

中でも一番盛り上がりますのは、15日の18時頃〜20時頃
に山王下漁師町公園付近にて行われます宮入行事です。

そこでは、お神輿、浮太鼓、神楽と揃い宮入に向けての
神事が執り行われます。

まず、神楽が漁師町公園に設置されましたお旅所を清め、
その後、山王宮日吉神社へと宮入をします。
その間、御神輿は、漁師町会館と錬製品組合(江戸時代、
当時には、藩主がここから宮入行事を拝観されたそうです。)
の距離を何度も走って往復します。
お祭の終焉を惜しむように、体力の続く限り往復し、
本当にギリギリの状態になったところで、お旅所に乱れ入り、
二回転半、回転した後、三度、御神輿を放り上げます。

それから、浮太鼓の囃しとともに、石段を上がります。

石段を上がると簡単に言っても、皆、祭を終わらせたくなく、
御神輿が上がらぬよう押さえつける者があったり、
進まぬように足を踏ん張る者があったりと、御神輿が地面に
着いてしまうような状態になりながら、
皆で、最後の痛みをシミジミいい気分(温泉)味わいながらの宮入となります。

そして、最後に行われる拝殿での神事。

お祭に直接携わる人間だけでなく、その場に居合わせた
全ての人々が、そこにある自然と一体になる感覚を覚える
といいます。


あぁ、今年も、祭がやってくるるんるんムード

皆さん、是非、一度いらしてくださいハート



<山王祭略歴>

山王祭の歴史は、江戸時代の始めの「執り行われた。」
との記録に始まり、江戸時代始めには、すでに執り行われて
いたとの解釈がなされています。

以後、歴代藩主に崇敬され、宮津藩祭として執り行われるようになりました。


京の都の守護神は、比叡の山王であり、
それに習い、江戸には、江戸城の守護として、
日枝神社がございます。

徳川の代という時代背景から、宮津藩の守護として
山王宮日吉神社が歴代藩主に崇敬されるように
なったのではないかと推察できます。

お家存続のためにも、幕府に順ずる姿勢の一つの表現
だったのではないでしょうか。

第二次世界大戦後、和貴宮神社の例祭が山王祭と同日に
移行されるにあたり、宮津の町衆は、
俗に言う東西二つに別れ、お祭に関わっておりますが、
それまでは、藩祭としての山王祭に全ての町衆が関わり、
壮大な規模のお祭が行われていました。

山王宮日吉神社公式ホームページ
http://www2.nkansai.ne.jp/org/sannou/

コメント(8)

御発ちになる御神輿と、
2006年正月奉納の神楽の写真です。

山王の神楽は、特異なもので、
籠神社のそれとは全く異なりますし、
多くの伊勢系のものとも、根本的に
違う点があります。

江戸時代に正規に継承されていたものを
近年、再継承しておりますが、
この特徴的な神楽のルーツに
興味津々のこのごろです。
今年は、和貴宮神社の神楽組が、伊勢神楽の渋谷社中から教わった舞を奉納するようなので、昼前には見に行こうと思っていますが、夜は、山王宮日吉神社に拝見に行こうかな・・・。
車止めるとしたらどこがいいのでしょうか?
ツネさん、是非いらしてください!。

駐車場は、マ○ドナルド、または、ミッ○ルなどが近いです。

与謝野町側からですと、国道マ○ドナルド手前の
押しボタン式信号を山側へ右折した辺りが、
宮入行事が行われる一帯になります。
漁師町地区で継承されている浮太鼓です。
(宮津市の指定無形民俗文化財)

この家は笛。この家は太鼓。
と、家系により決められているそうです。

漁師町は、
山王祭のルーツに関わる地区であり、
宮津のまちの成立期以前の歴史にも、
深く関わる地区です。

かわいい子達が上手で、感心しちゃいますわーい(嬉しい顔)
訂正です。

<山王祭略歴>

山王祭の歴史は、江戸時代の始めの「執り行われた。」
との記録に始まり、江戸時代始めには、すでに執り行われて
いたとの解釈がなされています。

の一行目「執り行われた。」 ですが、正しくは「中絶した。」になります↓。

山王祭の歴史は、江戸時代の始めの「中絶した。」
との記録に始まり、江戸時代始めには、すでに執り行われて
いたとの解釈がなされています。

となります。

すいません。
残念! 見に行けませんでした。

ゆちさんの勇士を見に行こうと思っていたのに、残念です。

楽しい祭でしたか?

来年こそ行きます!

私も残念。
神楽を拝見すべく、11時半ごろ宮津入りし、和貴宮へ行きましたが、今年の神楽は、「本町」の担当で「宮本町」の神楽を拝見することは出来ませんでした。
それにしても、一昨年に「ん00万円」をかけてリメイクした御輿は、見事でした。
その後12時過ぎに商工会議所前に移動し、山王宮の行列を拝見しました。こちらの御輿は、歴史を感じさせる、まさしく由緒あるといった御輿でした。また、牧宮司をはじめ、行列の皆さんの装束の見事なこと・・・まるで時代祭でした。
その後、19時に出直し、和貴宮神社への宮入を拝見。
御輿の練りこみ(絶句、スゴイ)、神楽奉納(若い舞手が多い、羨ましい)が終了したときは、すでに21時半でした。
ちなみに、和貴宮の浮き太鼓(今年は新浜が担当)は、門付けが多くて(門付け人気NO.1とか・・・)、行列についていけず、まだ京街道に差し掛かる前でした。
友人は、「この分だと宮入は11時過ぎるなあ・・・」と遠くを見つめ、うつろな瞳で語っていました。もうやだ〜(悲しい顔)
皆さん素晴らしい祭をありがとう。
そして、3日間本当にお疲れ様でした。

ゆちさん、来年は絶対行くからね〜。
へディーさん、

しっかりカラダ中がきしんでおります。
この快感がクセになるんですよね。お祭はウインク


ツネさん、

宮本町さんの神楽は、私も一度拝見させていただきたい
と思っております。
数年前の芸屋台の復活にも驚嘆いたしましたが、
宮本町さんのご尽力の程には、ただただ敬服m(__)m。

山王さんの行列は、江戸時代当時の藩主や武士も加わっての
行列を再現したものとなっております。
山王祭祭礼図には、行列の他、各町の二十六基の芸、山屋台
など、当時の宮津祭の賑わいが描かれています。

お二方とも、来年はきっといらしてくださいねexclamation ×2


15日の写真も少しずつUPしてまいりますので、
ヨロシクお願いします。


写真は、浪花地区の山になります。
現在は、各地区ともに芸山屋台を出すことは難しく、
浪花地区は、会館に設置しております。

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