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アルフレッド・ダグラス卿コミュのクイーンズベリー侯爵 Marquess of Queensberry

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クイーンズベリー侯爵は、もともとスコットランドの名門ダグラス家のタイトルのひとつであり、他にもアンガス伯爵、モートン伯爵、ハミルトン公爵、リポン男爵など十五ものタイトルを併せ持つ家系である。とりわけ、第四代ウィリアム・ダグラス公爵(William Douglas 1724-1810)は"Old Q"のニックネームで知られ、
*http://en.wikipedia.org/wiki/William_Douglas,_4th_Duke_of_Queensberry*
*http://www.drumlanrig.com/(ウィリアム・ダグラス公爵の城館、Drumlanrig CastleとThe Queensberry Estate)
競馬の発展に寄与したが、好色、放蕩、奇行でも有名で、バルコニーに陣取っては街をゆく美女を漁ったなどとつたわっている。

第九代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルトー・ダグラス(John Sholto Douglas, 9th Marquess of Queensberry 1844-1900)は、
*http://en.wikipedia.org/wiki/John_Sholto_Douglas,_9th_Marquess_of_Queensberry*
父の不慮死によって、若干十四歳で侯爵の位と巨万の富を継承したが、同時にこの奇怪な一族の血筋もうけついでいた。手におえない傲慢不遜、乱交に耽溺する浪費屋で、美貌の妻シビル(Sibyl Montgomery, Marchioness of Queensberry)よりも自慢の二頭の持ち馬を愛し、子供よりも狐狩りの猟犬を好んだ。ボクシングに熱狂し、「クイーンズベリー・ルール」で知られる、
*http://en.wikipedia.org/wiki/Marquess_of_Queensberry_rules*
近代ボクシングの基本条約を1867年に制定した。
みずからは莫大な富の浪費にはげみながら、妻子には吝嗇な暴君であったため、息子たちは困窮し、妻シビルはクイーンズベリー侯爵が妾を邸にひきこむに至って離婚の訴訟を起こし、法廷に認めさせた。

長男のフランシス・アーチボルド・ダグラス(Lord Francis Archibald Douglas, Viscount Drumlanrig 1867-1894)は温和で堅実であり、ローズベリー外務大臣の
*http://en.wikipedia.org/wiki/Archibald_Primrose%2C_5th_Earl_of_Rosebery*
秘書を務めると、上院に議席を得た。しかしクイーンズベリー侯爵はこれを不快におもい、ヴィクトリア女王とグラッドストーン首相に非難の手紙を送ったばかりか、ローズベリーにも決闘をせまり、フランシスとの同性愛醜聞をでっちあげた。フランシスは追いつめられる心境にいたたまれず、みずから命を絶った。
次男パーシー・ダグラス(Lord Percy Sholto Douglas, 10th Marquess of Queensbury  1868-1920)は、コーンウォールの貧しい牧師の娘と結婚したことが父の激怒を買い、勘当同然の貧しい暮らしを強いられた。第一回のワイルド裁判(クイーンズベリー裁判)が、陪審制の不一致で裁判のやり直しになると、パーシーはワイルドの保証人となって、当時の財産すべてを保釈金にあてた。父の死後、パーシーはクイーンズベリー侯爵家の第十代目を継承した。
三男のアルフレッド・ダグラスは、母親から驚くほどの美貌を受け継いだが、その向こう見ずで無鉄砲な気性と放蕩癖は、異常な父と先祖の血をついでいる。母親はアルフレッドを溺愛し、「ぼうや(Boysie)」のペットネームがボジー(Bosie,Bozie)という愛称になった。アルフレッドはウィンチェスター校からオックスフォード大学モードレン・コレッジに入る。その詩的才能には、瞭らかなきらめきがあった。
一八九一年一月、ワイルドと、母校の後輩ボジーとの、運命的な出会いがあった。ワイルドは三六歳、アルフレッドは二一歳である。虚栄心のつよい、美少年ダグラスとの交際はワイルドにとっての重大な転換点となった。ワイルドは、ボジーとの同性愛によって、クイーンズベリー裁判(ワイルド裁判)に巻き込まれることになる。
侯爵を、名誉棄損で訴えるようワイルドにけしかけたのはボジーであった。父親を投獄することによって、虐待された母のための復讐を遂げようとしたのである。
クイーンズベリー親子の狂った諍いによって、ワイルドは名誉や財産ばかりか妻子をも失い下獄に屈した。




以上、wikipediaと、山田勝編『オスカー・ワイルド事典 イギリス世紀末大百科』(北星堂)を参考にしたことを断っておく。

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