ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

シュタイナー的生活を楽しむコミュのミカエルが持つ剣とは 25週

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
9/27〜10/3

やっと自分をとりもどす。
私の内部の光が今
空間と時間の闇を照らす。

森羅万象が眠りにつこうとするとき、
魂は深いところから目覚めはじめ
内部に引き受けた陽光の熱を
冬の寒気の中へそそぎ込む。
(シュタイナー 高橋 巌訳)
----------

9月29日はミカエル祭である。

今週の「魂のこよみ」は、ミカエル祭にぴったりの
内容になっているように思う。

先日の9月23日が秋分の日。

その後、だんだんと
日が短くなるのを日々実感する。

そして、これから、夜が昼よりも長くなる。

「闇の半年」に入っていく。

この時期一日一日と日が短くなっていき

日々肌寒くなっていく中で

「闇」の到来をまざまざと実感する。

ミカエル祭は、この「闇」の到来を、

自分の内面の「闇」にたとえて、

その闇を克服していこうという祭りである。

「闇」とは人間の十字架にたとえることができる。

全てのひとは、皆一人一人が人に言うことのできない

十字架を背負って生まれてきている。

いわば、その背負ってきた十字架を清算するために

生まれてきたと言っても良いのかも知れない。

その十字架を疎ましく思えば人生に対し、

自分の境遇に対して恨みを持ってしまう。

しかし、この試練をいま経験しなかったら、

この弱点を更に先まで引きずっていく。

人生の悩み苦しみを安易に 解決しようとするのでなく

自分に妥協しないで、できる限りその苦しみが私に訴えかけるものを

高い所から見つめて、深化させて、そこから見えてくるものから

世界を見つめなおす。

『自由の哲学』で述べられている「思考」を「思考」するとは、

このように魂の深みを覗き、そこから見えてくるものをヒントに

世界を認識することであろう。

「悩み」という思考を見つめ、悩みが私に語りかけるものを「思考」するのである。

すると、自分が試練に見舞われたのはよかったと言う思考に変容する。

なぜなら試練に遭ったおかげで弱さが消滅し、再び強くなれるのだから。

私達が試練を克服し魂が成長できるのは、

予期しないものや望んでいないものがやってくる場合だけである。

私達が試練に出会うことで、正しい力を発達させ人類愛を

成長させるならば、地上生の目的が果たされていくのである。

そして、この試練の克服によって、次の地球上での人生における

カルマ的な調整が生じることが理解できるのである。

これまでの人生の過程をこのような視点で振り返ってみると、

「闇」の中に、「光」即ち、神の愛(アガペー)が見えてくる。

すべての自分の人生は、アガペーによって導かれていたことを見出す。

その時、新しい高次の自我が魂の奥深いところから

目覚め始めるのである。

『四季の宇宙的イマジネーション』(シュタイナー 西川隆範訳)によると、

「ミカエル祭が近づくと、人体内の血液に鉄分が降りかかってきます。

人間は意識の中で、血液の隕石のごとき力を使用することを

学ばなくてはなりません。

ミカエル祭を『不安』と『恐怖』の克服の祭りとして祝い、

無私の自己意識の思い出の祭りとすることによって、

内的な力、内的な主導権の祭りにしなければなりません。
(中略)・・・・・
聖夜には救世主の誕生に感謝し、

復活祭を深い内的な魂の動きをもって体験するように、

秋のミカエル祭には、安楽や不安に打ち勝つ内的な主導権、

自由で力強く、勇ましい意志を人間の中で目ざめさせ、

発展させねばなりません。

ミカエル祭は強い意志の祭りであるべきなのです。」
と語っている。

純化され浄化されたアストラル体を「処女ソフィア」にし、

その中に宇宙自我である「聖霊」の光を受けるには

私の中に巣くっている「闇」の部分を一掃しなければならない。

そのためには、私の中にある「闇」の部分とは何かを

見つけ出さなければならない。

「闇」の部分とは、シュタイナーが述べているように

「恐れ」であり「不安」であろう。

さらに「不満」「自己愛」「不信」であろう。

「恐れ」「不安」は「内的平静」、そして「信仰」の対極にあるものである。

シュタイナーは「内的平静」を神秘修行の第一にあげている。

この「内的平静」の対極に位置し、「平静」をなくさせようとするのが

「不安」と「恐怖」であり、そこから生まれる「不満」「不信」であろう。

だから聖書には、「恐れないで」や「恐れるな」

という表現がたびたび登場する。

天使が人間の前に現れるときの言葉も、

「恐れるな」「恐れることはない」ということが多い。

そして、シュタイナーもこの時期に同じことを語っている。

恐れることはないのだ。

キリストが、いつも私と共におられるのだから。

私に必要なものは既に、すべて与えられているのだから。

全てのことは相互に働いて益となるのだから。

なにが起ころうとも、 それを

「わたしの益になるようにしてくださることと信じます」

と信じればよいのだ。

人間の目にはいろいろな問題が山積みのように見える。

後で考えるとちっぽけなことでも、その当座は山のように難問に見える。

しかし、それでも、「恐れるな」「不安に思うな」を来たるべき

ミカエル祭へ向けてのこころの準備にしよう。


さらに、シュタイナーはミカエル祭「秋の情景」
(「四季の宇宙的イマジネーション」)の中で 以下のように語っている。

「この三、四百年の間に、自然科学は物質に働きかけ、

すばらしい技術をもたらしました。

とくに、地上に存在する材料を使って作り出すことができるものに関しての、

ここ三、四百年の技術の発展には目覚ましいものがあります。

この唯物論の時代に、人類が到達したもっとも重要で意味深いものは、

鉄から様々なものを作り出したことです。

機関車や工業都市をみれば、

今日の唯物論文化が鉄と鋼鉄から形成され、

これからも人々は物質によって

生活を構築してゆくであろうと考えられます。

けれども、このような物質文明は人類を没落に導きます。

この領域において霊化に着手することによってのみ、

人類は没落から救われます。

大気を貫いて霊的・精神的なものへと突き進み、

機関車へと加工される鉄から、

宇宙から地上に落ちてくる隕石の鉄へとまなざしを移すのです。

この鉄からミカエルの力が形成されます。」

このように人類が、精神的なものに目を向けること

即ち霊化に着手することによって、人類は救われると強調している。

では、ミカエルは地上にどのように働きかけてきたのであろうか。

新約聖書外典である『モーセの黙示録』では

モーセがシナイ山で十戒を受けたとき、

十戒を記した石板をモーセに渡したのは

ミカエルであるとされている。

そして、シュタイナーは亡くなる半年前、

即ち1924年9月28日病床の中のミカエル祭前夜に

ドルナッハで次のように語っている。

「私たちはなおもある事柄を指摘することができます。

その事柄は、ミカエルの流れと密接な関係を持ち、

これからますます密接に関わることになるであろう『ある存在』を、

私たちの心の前に浮かび上がらせます。・・・中略・・・

精神の眼差しを古代へと投げかけると、

私たちは、ユダヤの伝統の中にエリアという預言者存在が

浮かび上がって来るのを見ます。

預言者エリアが目標を見定める力は、

旧約の民にとってのみならず、人類全体にとって、

全人類の目標を確定する意味合いをまさに持っていました。

この預言者エリアの中にあった存在が、時の流れの中で、

地球上の人類進化にとって最も重要な時点に、再び出現しました。

しかもその存在は、その時、自らが人類進化のために

果たすことになっていた秘儀参入を、

キリスト・イエスによって授けられるという形で出現したのです。

エリア存在が、あのラザロ=ヨハネの中に再び現れたわけです。

更にこの存在は、ルネッサンス期に、ある有名な画家として再び受肉します。

その画家とは、自らの芸術的な展開を、途轍もなく印象的な仕方で、

ゴルゴタの秘蹟の上に繰り広げることのできた画家、ラファエッロです。

深くキリスト教的な衝動から、

キリスト教の本質そのもののごとく色と形へと入り込むものが、

ラファエッロの中に生きていました。

このような性質を持った事柄が、

今度は、ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの中に蘇ります。

最も優美な色と形において、ラファエッロによって人類に示されたものが、

今度は、詩人ノヴァーリスの中からすばらしい言葉となって開示されています。

このように、私たちは、受肉の観念の中で一つのものとなって結び合い、

形を成す存在の連続を目の当たりにするのです。」(ミカエル祭前夜 ドルナッハ)

では、ミカエルが働きかけた

モーゼ、預言者エリア、四日間の死から蘇ったラザロ=ヨハネ、

有名画家ラファエッロ、ドイツ詩人ノヴァーリスに共通するものは何か

物質的におちいった人間を

霊的なもの精神的なものに目をむけさせようとしている。

そして物質文化の中で、霊的なものに目を向けるように、

道をつける使命であると思う。

まさにミカエルはそういう使命をもっていることがわかる。

ミカエル祭とは、 自分の闇に打ち勝つと共に、

霊化に着手しようと決意するのである。

さらに、ミカエルの持っている剣の意味とは何か。

霊的な剣とは何か。

シュタイナーはミカエル祭「秋の情景」
(「四季の宇宙的イマジネーション」)の中で語る。

「この唯物論の時代に、おまえは地上で鉄を使用する。

鉄は物質とは何かということを、おまえに暗示している。

自然科学を精神科学へと発展させて、

物質に対する見解を変化させねばならない。

おまえにとって、鉄はなにであるかという観点から離れて、

隕石の鉄、ミカエルの剣の鉄へと目を向けねばならない。

そうすれば、おまえが作ることのできるものからおまえに救いがもたらされる」

私見であるが、このミカエルが持っている隕石の鉄の剣とは、

天から落ちてきた隕石ともいえる 「人智学」のことではなかろうか。

霊的隕石で造られた「人智学」の剣を自らの剣とし、

身にまとい、わたしの中の闇に打ち勝っていくのである。

今週の「魂のこよみ」

「やっと自分をとりもどす。
私の内部の光が今
空間と時間の闇を照らす。

森羅万象が眠りにつこうとするとき、
魂は深いところから目覚めはじめ
内部に引き受けた陽光の熱を
冬の寒気の中へそそぎ込む。」

このように
私の内部の光が今

空間と時間の闇を照らすように、

精神的なもの、霊的なもの

即ち「人智学」へもっともっと深く目を向けていく。

その上で、自分の中の「闇」と正面から向き合い、

それを、克服できる、強い自己感情、 自分で自分を支えられる

強い意志を固めていくということであろう。

ミカエル祭の前後は、このように自分を深める

期間であると思う。

コメント(2)

あっちゃんさま

コメントありがとうございます。

>物質の本質、真の姿を知ろうとせず、
>唯物論に染まってしまった文化。
>そこに、すべての闇のもとである、
>不安や、恐れという、幻想が生まれたのでは。
>しかしその闇さえ、大いなる恵みであるというところまで、
>進化した目で観ることができれば、
>そのとき闇ではなくなることになる。
>そこにはアガペーしか存在しない。

この部分を読むと改めてそう思います。

なかなか思っていることを文章化するのは難しいのですが

このように共感していただいてとても嬉しく思います。

日頃、思っていることやシュタイナーの言葉を

トピックとしてまとめることで

自分の思考過程を思考し、

この理念を(天使論でいう)睡眠の中に持ち込めたらいいなと思っています。

ありがとうございました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

シュタイナー的生活を楽しむ 更新情報

シュタイナー的生活を楽しむのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング