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シュタイナー的生活を楽しむコミュの4月5日の復活祭に向けて

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4月5日〜11日

宇宙の彼方から
日が感覚に語りかけると
喜びが魂の根底からわき上がり
視ることの中で光とひとつになる。

その時、自我の殻をやぶって
思考が遠く宇宙の果てにまで流れ
暗く不確かに人間本性を
霊の存在に結びつける
      (Rudolf Steiner 高橋 巌訳)
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復活祭の気分

今日は、イエス・キリストが

十字架にかけられる前日に弟子たちと

「最後の晩餐」を持ったことを記念する日である。

キリストは、自ら弟子たちの足を洗い、

弟子たちに足を洗うことで、生き方の模範を示した。
(ヨハネによる福音書第13章)

植物が大地から進化したように

キリストは12弟子から進化してきた。

彼は弟子の前に身をかがめて言う。

「あなたのおかげで私は生きていける」と。

そして、喜んで弟子の足を洗った。

私たちも大地に身をかがめて言おう。

「あなたのおかげで私はいきていける」と。

植物の前に身をかがめて叫ぼう。

「あなたのおかげで私はいきていける」と。

家族、知人、出会う全ての人に身をかがめてつぶやこう。

「あなたのおかげで私はいきてゆける」と。



さて、明日の金曜日がキリストが十字架にかかった日である。

そして、5日が復活祭である。

この期間は特別な思いをして過ごしたい。

魂のこよみ(人智学)では、

1年は復活祭(イースター)から始まる。

今年は4月5日(日)の朝、太陽が昇るとき、

人智学でいう新しい年の幕が開けるのである。

復活祭はキリスト教の典礼暦における

最も重要な祝い日である。

十字架にかけられて死んだイエス・キリストが

三日目によみがえったことを記念する日である。

そして、明日4月3日(金)は聖なる金曜日(Venerdi Santo)と呼ばれ、

ローマ人に逮捕されたキリストが

十字架につけられ死んだ日となっており、

4月3日から三日間様々な宗教行事が行われる。

復活祭は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるが、

なぜ、日曜日かというと、イエス・キリストが

復活したのが日曜日であったからである。

記録によると少なくとも500人以上の人が復活後の

イエス・キリストに会っている。

「ゴルゴタの秘蹟」とは、キリスト・イエスの死と復活である。

キリスト・イエスが復活したことが記されている

『ルカによる福音書』の24章の1節〜8節を引用してみよう。

「週の初めの日の明け方早く、

女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。

見ると、石が墓からわきにころがしてあった。

はいって見ると、主イエスのからだはなかった。

そのため女たちが途方にくれていると、

見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、

女たちの近くに来た。

恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、

その人たちはこう言った。

『あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。

ここにはおられません。よみがえられたのです。

まだガリラヤにおられたころ、

お話しになったことを思い出しなさい。

人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、

十字架につけられ、

三日目によみがえらなければならない、

と言われたでしょう。』

女たちはイエスのみことばを思い出した。」
 (『ルカによる福音書』24章1節〜8節より)

シュタイナーは、『天使と人間』(松浦賢訳 イザラ書房)で次のように語っている。

「復活祭の時期は天界の事象によって決定されます。

復活祭の日曜日は、春分の日の後の最初の満月に続く

日曜日に定められることになっています。

クリスマスの時期が地球の状況によって決められるのに対して、

復活祭の日は天界によって決定されるのです。

というのも『地球のクリスマスの変化を経験することによって、

私達が地球の状況と、

つまり大いなる宇宙的かつ霊的状況結びついている』

ということも真実だからです。

実際の一年の経過の中に位置づけてみると、

復活祭は、クリスマスの時期にキリストとの出会いによって

私たちの中に呼び起こされたものが、

再び私たちの中の物質的な地球上の人間と

正しく結びつく時期であることがわかります。

そして、更に復活祭の時期には、聖金曜日の大いなる秘儀が、

ゴルゴタの秘儀を人間の前にありありと甦らせてくれます。

聖金曜日の秘儀はとりわけ次のような意味を持っています。

即ち、私たちの傍らへとやってくるキリストは、

聖金曜日の頃、最も私たちに近づくのです。

大まかに言えば、キリストは私たちの中に溶け込み、浸透し、

ゴルゴタの秘儀以後の今の時代では、

夏としてやってくる時期に私たちのもとに留まることができます。」
(『天使と人間』より)

この部分を読むと、

今週がいかに大切な週かがわかる。

そして、人智学では、1年は復活祭(イースター)

から始まることの深い意味が理解できるような気がする。

「私たちの中に溶け込み.浸透し、夏としてやってくる時期に

私たちのもとに留まるキリスト」とは、

エーテル界に再臨しているキリスト、

エーテル化したキリストのことであろう。

『シュタイナー用語辞典』にあるように

「イエスの死後イエスの身体は塵となり、地震によって地中に落ち、

キリストの神霊は肉眼に見えるまでに凝固したエーテル体をまとったのである。

人体を溶解する原罪を通して失われた力が、

地球進化の終末に再び得られ、

人体は本当の物質的形態で現れるのである。」

では、キリストの復活とキリストの使命についてシュタイナーの言葉を

考察してみたい。

「ヨハネ福音書によれば、キリストとは、

人間が個別的な自我の中で、

みずからを永遠に感じることができるように、

そのために必要な衝動を人間に与えようとする

偉大な教師のことなのだ。

古代の秘儀を通して霊界を知っていたのは、

個々の人々だけであったが、

その人びとの中には、何が生きていたのか。

『人間における永遠なるもの』が生きていた。

永遠なる存在が、全く意識的な仕方で、

その人びとの中に生きていた。

その人々は偉大な言葉

『私と父は一つである』をすでに感じ取っていた。

つまり自我と偉大な宇宙根拠がひとつだと感じていた。

その人々は父母の意志からでもなく『神から』つまり霊界から得ていた。

光をうけとった人だけは神の子になることができた。

全ての人が地上の感覚で、

そこにいます神を認めることができるためには、

肉眼でその姿を見ることができるように、

神が地上に出現しなければならなかった。

『言葉は肉になった』のだ。

人々はまだ個別者であるとは感じていなかったので、

内部に愛をまだ十分生かすことができなかった。

血の結びつきがあったからこそ、相手を愛した。

血の結びつきが全ての愛の基礎だった。

この集合魂の愛から、

今、人々は自由にならねばならない。

・・・中略・・・・

そして、愛を自我の自由な贈り物として捧げなければならない。

地球記の進化の終わりには、独立した自我が心のそこから、

帰依の衝動に突き動かされて、

正しいこと、善きことを行おうとする。

愛が霊化されて、誰もが正しいことだけを行おうと欲するようになるとき、

イエス・キリストがこの世にもたらそうとしたことが成就される。

なぜなら、キリスト教の秘密の一つは、

次の教えにあるからです。

−『キリストを見よ。その姿からあふれる力で、自らを満たせ。

彼のようになろうとせよ。彼の後に従おうとせよ。

そうすれば、もはや掟を必要とはしないで、

心の底から自由となった自我が善きこと、正しいことを行うであろう』。

キリストは自由の衝動の贈り主なのである。

ですから、善きことが、掟の故にではなく、

心の内に生きる愛の衝動となって、

行われるようになる。

独立した自我を持つまでに成熟していなかった時の人間は、

集団の一分肢として存在していた。

そして公の掟によって、社会的に規制されていた。

今日でも人々は、まだあらゆる点で、

集合自我から抜け出せないでいる。

今日の人間はなんと多くの点で、個的人間ではなく、

集合的存在で在り続けていることでしょう。

秘儀の学堂において、『故郷喪失者』と呼ばれる、

自由なる存在になることは、

今日ではまだ理想でしかない。

『なぜなら、掟はモーセによって与えられた。

しかし恩寵はキリストによって与えられる』

キリスト教での恩寵とは、

内面から善を行う魂の能力のことである。

純粋な血の愛から霊的な愛への移行を、

目に見える形で表したのが、

パレスチナにおける出来事の意味なのだ。

『私の時代がくるであろう。

そこでは、もはや血の結びつきによらず、

独立した一人ひとりによって、最も重要な諸行為がなされる。

その時代が今こなければならない』

・・・中略・・・

キリストの使命は、自我のまったき力、

その内的な独立性を人間の魂の中にもたらすことであった。

一人ひとりの自我が独立して、

完全な自己存在の中でみずからを感じながら、

自由なる愛の力を通して、

人間が人間と結ばれ合うのでなければならない。」
( 『ヨハネ福音書講義』(高橋 巌訳)春秋社より)

「あなた方の誰でも、個別自我なのだ。

そしてこの個別自我は宇宙を貫いて流れる

霊的な父と直接一つに結ばれている。

このことを感じなければならない。」

このように感じられる感性を獲得しなければならない。

そしてこのように実感できる意識魂を成長させるのが

現代の時代的使命なのである。

「楽しみの多くをおまえは人生に感謝できよう。

しかしおまえが霊的認識を獲得できたのは、

おまえの苦悩のおかげである。

おまえが苦悩のあまり破滅することなく、

そこから自分を引き上げる力が持てたおかげである。」

とあるように

「私たちの中に溶け込み.浸透し、夏としてやってくる時期に

私たちのもとに留まるキリスト」を見出すには、

苦悩のあまり破滅することなく、

苦悩を通して自分を引き上げる力を身につけなければならない。

それによりキリストに近づけるのである。

そして、これこそが永遠に私が所有できる宝物なのである。

その宝物こそ『私である』と言えるものである。

「その時イエスは弟子に向かい、次のように言われた。

『私である』と自らに対して言うことのできるものこそが、

世の光の力なのだ。」

4月3日(金)の聖金曜日(キリスト受難日)、

4月5日(日)の復活祭が「魂のこよみ」にあるように

「その時、自我の殻をやぶって

思考が遠く宇宙の果てにまで流れ

暗く不確かに人間本性を

霊の存在に結びつける」

ような素晴らしい日となりますように・・・。

コメント(2)

あめじすとさん
みなさま

復活祭おめでとうございます。

シュタイナーの『ヨハネ福音書講義』によって

私たちは、イエス・キリストが地上に降臨した

目的を明確に知ることができました。

本当に素晴らしいことだと思います。

今朝、メンバーの方から

以下のような今日に日にふさわしい

メッセージが届きましたのでシェアしたいと思います。



復活祭おめでとうございます。

以下は、正教会の復活徹夜祭の最後に朗読される、

聖ヨハネス・クリゾストモス(4世紀)の説教です。

ご紹介させていただきます。


*われらが神キリストの救いをもたらす光栄ある御復活の、

聖なる輝かしき日を祝して朗読される、

われらが教父聖ヨハンネス・クリソストモスの説教

”敬虔なる者、神を愛する者はみな、

この美しく輝かしき祝典を享受せよ。

忠実なるしもべはみな、おのが主の喜びの中に入れ。

断食の苦しみを味わいし者は、

今その代償を受けよ。

1時より働きたる者は、

今その正当なる報酬を受けよ。

3時以後に来たる者は、

感謝の気持ちもてこの祝典を祝え。

6時以後に来たる者は、ためらうことなかれ、

何も欠けたるものなきゆえに。

9時になりて来たる者は、ためらうことなく近寄れ。

11時になりて来たる者さえ、

その怠慢を恐るるなかれ、

主は寛大に最初の者も最後の者も受け入れ給うゆえ。

主は最初の労働者と同様に、

11番目の労働者にも休息を認め給う。

主は最後の者に慈悲を与え、最初の者を保護し給う。

最初の者には恩恵を与え、最後の者には恩恵をなし給う。

主はその成果を受け、愛もてその熱意を歓迎し給う。

その行為に敬意を払い、その志を称賛し給う。

さればみな、主の喜びの中に入り、

初めに来たる者も後に来たる者も報酬を受けよ。

富める者も貧しき者も混じり合え。

節制したる者も怠惰な者も、この日を讃えよ。

断食をしたる者もせざる者も、今日は楽しめ。

食卓は食物に満たされたるゆえ、

みな底意を持たずに味わえ。

肉も用意されたるゆえ、再び空腹となる者なからん。

みな信仰の祝宴を味わえ。

みな美徳の豊かさを味わえ。

貧しきを悲しむ者なからんことを、

すべての者の王国が現れしゆえ。

おのが罪を嘆く者なからんことを、

免罪が墓より現われしゆえ。

死を恐るる者なからんことを、

救い主の死がわれらを解き放ちたるゆえ。

主は死にとらわれ給いし後、死を消滅させ給いぬ。

主は冥府に降り給いて、冥府より自らを奪い給いぬ。

主は苦しみもて冥府に満たされ、肉体を試し給いぬ。

イザヤがかく叫び給いし時に告げたるごとく。

冥府は、地下にて御身と会いし時、苦しみを受けたり。

冥府はその力を破られしゆえ、苦しみを受けたり。

冥府は滅ぼされしゆえ、苦しみを受けたり。

冥府は支配力を失いしゆえ、苦しみを受けたり。

冥府は鎖につながれしゆえ、苦しみを受けたり。

冥府は遺体を受けんと思い、神を見たり。

冥府はちりを期待し、天に向かいたり。

見たるものを受けんと思い、見ざるものにつまずきたり。

おお死よ、汝の棘はいずこにあるや。

冥府よ、汝の勝利はいずこにあるや。

キリストはよみがえり給い、汝はちりの中に沈みぬ。

キリストはよみがえり給い、悪魔は倒れぬ。

キリストはよみがえり給い、天使は歓呼す。

キリストはよみがえり給い、生命が支配す。

キリストはよみがえり給い、墓にはもはや誰も横たわらず。

キリストが、死よりよみがえりたる死者の初めなるゆえ。

キリストに永遠に栄光と力を。アーメン。
(今谷和徳氏訳 LP「アトス山の復活祭」の解説文より)”


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