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シュタイナー的生活を楽しむコミュの日本的霊性の起源

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44週 2/15〜2/21

かつて成就された
霊の誕生を思いつつ

新たに感覚を刺戟された明澄な魂が、
混沌から芽生えはじめた
宇宙生成のいとなみを
私の思考の創造意志でみたそうとする。
           (Rudolf Steiner  高橋 巌訳)
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鈴木大拙著『日本的霊性』を少しずつ読んでいる。

シュタイナーを学んだ上で読むと

とてもわかりやすいような気がしている。

先回書いたように鎌倉時代に大きな変化が訪れた。

貴族に代わり大地と直接かかわりながら生きる

武士が台頭した。

そこに禅宗がもたらされ

生きる心構えをめざめさせた。

さらに農民には浄土思想が広まる。

念仏さえ唱えればどんな人でも極楽浄土に行けるというものである。

法然と親鸞は農民達と向き合う中で

大地の中で根ざした暮らしの中にこそ

真理があると確信した。

「我らは大地そのものであるということに気づくと、

ここが直ちに畢竟(ひっきょう)

浄の世界である。

考えそのものが大地になるのである。

大地そのものが考えるのである。

そしてここに日本人の宗教信仰的自覚があるのである。

これを

日本的霊性的自覚という。」

大拙は、大地に生きる武士や農民が、

禅宗や浄土思想に触発されて

より根源的なものに目覚めたことを

霊性的自覚と呼んだ。

なぜ、禅や浄土真宗は、

日本人の霊性的覚醒をもたらすことができたのか。

それまでは、貴族の文化であり大衆と分離していた。

それまでの遣唐使等がもたらした宗教も

学問としての宗教であり、

実際の生活と分離していた。

それが鎌倉時代に民衆の世界におりてきたのである。

知識人が頭の中で、

「仏教とは、ああだ、こうだ」と考えているうちには

日本の大地には降りていなかった。

それを日本人の大地に降ろしたとき、

日本人が大昔から抱えてきた、

無意識の構造が、

下から湧いてきたのである。

「膨大な仏典の大半は必要ないんだ。」

ということにまず気づいた。

そこから重要なものは何かといくつか取り出したとき、

禅のいくつかの考え方、浄土宗、浄土真宗の

「南無阿弥陀仏」という、

お念仏、この二つだけでいいんだというところにたどり着いた。

核心部だけが残って

民衆の中に浸透していった。

そして同時に、民衆の中から新しい思想が

湧き上がってきた。

このような往復運動がはじまることにより

日本人は、

己がどういう思想をもっているかに気づいたのである。

日本人は鎌倉時代に、

禅と浄土宗、浄土真宗に出会うことにより

日本的霊性に目覚めた。

もっとも大切なのは「大地性」である。

この意味は、具体的な日常の中に降りていって

生活の隅々で生かされるようなものである。

日々の日常生活の中に思想が降りてくるのである。

浄土思想の教えは外国から持ってきた教えではなくて、

それが、日本人の心に宿って、

日本人の思考方法を引き出したのである。

それを大拙は「覚醒」と呼んでいる。

そして、これらを最も体現している人として

妙好人を紹介している。

最後の第四編は、「妙好人」(みょうこうにん)

について書かれている。

妙好人とは、浄土教の篤信者、

特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語である。

その一人として、浅原才市を紹介している。

彼は下駄職人である。

彼が思いついたことを書いたノートは100冊にも及んだ。

暮らしの中で彼が至っていた境地は、

「 私と阿弥陀如来が一つである。」

「至福と歓喜」という世界である。

大拙は、この境地こそ最高の宗教的境地だと語る。

無口で、欲はなく、いつも歓喜に満ちている。

これが最高だというのである。

高僧ではなく普通の暮らしをしている

下駄職人の至った境地こそ

大拙でさえ足元にも及ばない最高の境地だというのである。

このように普通の庶民が至った高次の世界は、

高次の世界にも影響を及ぼし、

日本人の霊的覚醒への牽引となったのである。

「なぜ人間は思考することができるのか」という問題に、

シュタイナーは、

「それは宇宙に思考があり、その思考力にうながされて

人間のなかに思考力が育ったのだ」と考えた。
 
そして「人間がなぜ感情を持っているのか」

という問題に「宇宙に感情が働いているので、

その力に呼び起こされて人間が感情をもつようになった」と考えたのだ。
 
宇宙に宇宙魂や宇宙霊というものがあるので、

人間の中にも霊とか魂があり、同じように人体というものは、

巨大な生命のエネルギーが満ち満ちていて、

そのエネルギーにさそわれて

一人一人の人間に生命が宿ったのだと考えた。

そして、ありとあらゆる生命の形の中で、

宇宙にある生命体の最高の傑作であるのが

人間であり人体であるというのだ。
 
時代が成熟し、人間がこの純粋思考の高次の境地に到達したとする。 

すると、宇宙魂や宇宙霊からその到達した人に向かって、

創造の思考は流れてくるのである。

「妙好人」達にも、高次の思考が流れ、

それは、また高次の世界へと良き影響をもたらすのである。

ちょうど『死後の生活』(シュタイナー著)にあるように

霊界に移し入れられるだけで、

叡智が私達の中に流れてくるのと同じである。

霊界の私達は、ちょうど物質界において周囲に自然があるのと同じように、

周囲に叡智があるという部分と通じるものがある。

そして、「至福と歓喜」にこそ、

高次の世界の思考が流れ込み、

さらに新しい思考を地上において再び生みだすものであろう。

「さらに、今までの思考界にはなかった新しい思考を再創造したとき、

その人は、天上の思考界に寄与をなしたということになる」(シュタイナー)のだ。
 
まさに第四領域に果実を結び、天に宝を積むのである。

それは、後世への時代的な果実として受け継がれる。

それが、日本人の霊性として影響を及ぼすのである。

私も、「創造的」な生き方をし第四領域に

少しでも良き影響を与えたいものである。

コメント(2)

あめじすとさん。
コメントありがとうございます。
一般庶民である「妙好人」が日本人の霊性の覚醒に
影響を及ぼしたという大拙の見解は
とても興味深いですね。
ありがとうございました。

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