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シュタイナー的生活を楽しむコミュの『治療教育講義』を読む(1)

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24週 

9/8〜9/14

魂は絶えずみづからを創造しつつ
おのれの存在を確認する。

宇宙霊はこの自己認識の中で
新たな甦りを続け
魂の闇の中から
自覚せる意志を実らせる。
   (Rudolf Steiner 高橋 巌訳)
----------
はじめに、西川隆範先生の訃報を知り、
心よりおくやみ申し上げます。
西川先生がシュタイナーの著作を身を削るような思いで
翻訳してくださったおかげで、
人智学のあらゆる思想を学べたことを思うと、
感謝してもしきれないぐらいです。
ご冥福を心よりお祈り致します。

・・・・

−「治療教育の基本的観点」−

9月になり、少しずつ涼しくなってきた。

我が家の庭では、昨年まで元気がなかった

百日紅(サルスベリ)が今年は満開である。

今年の秋は、『治療教育講義』(高橋巌訳ちくま学芸文庫)を読んでいきたい。

今、少しずつ読み進めているが、

魂が揺さぶられるような深い感動を覚えている。

シュタイナーは、

「病気になったときは、

自分を振り返る機会である。

自己認識を新たにして、病気を克服していくと、

闘病を通して人間の内面は強まり、

新しい健康状態へと進む。

前進する人間は病気になるし、

病気になる人間は進歩する。

病気になるということは、

人生が停止状態から前進に転じたことを意味する。」
(シュタイナー用語辞典 西川隆範p193)と述べている。
宇宙の長い歴史の中で

身体は人間の霊魂を受容できるほどにまで

進化を遂げていなかったので、

人間の霊魂は物質素材によって創られた

肉体の中に受肉したくても、

肉体の方でそれを自分の中に宿らせることができない状態が続いた。

宇宙進化の過程で、

やがて人間の肉体そのものも進化を続け、

ある段階に達してからは、

霊魂を正常に受容できるようになった。

霊魂は、はじめて霊界から離れて、

地上の世界に受肉することになった。

しかし、そうなると人間は肉体を通してしか

自己を意識できなくなってしまった。

それによって、様々な「苦しみ」を、背負うことになったのである。

もし人間の霊魂が肉体に受肉しないでいたならば、

人間は老いることもない。

病気になることもない。

死ぬこともない。

障害を背負うこともないのである。

しかし人間は長い進化の歴史の中で

霊魂を受容できるように身体は進化してきた。

宇宙の全体の進化のためにその過程が必要だったのだ。

そして、シュタイナーは、

「人間に潜んでいる異常性は、

人間本来の霊性を外に開示してくれる」

と意味深長なことを語っている。

このような視点に立って、

今回から『治療教育講義』(高橋巌訳ちくま学芸文庫)を読んでいきたい。

はじめにシュタイナーは以下のように語っている。

「すべての人は、魂のいとなみのどこか片隅に、

いわば正常でないものを担っています。

たとえば言おうとしていることが急に思い出せなくなったり、

正しいテンポで話すことができずに甲高い声でわめき立てたり、

逆に次のことばが出てくるまでのあいだに聞き手が

散歩に行く暇があったりします。

意志や感情の領域においてもそのような異常性が

−少なくとも萌芽の状態では−

大半の人たちの中にも認められるのです。

そういう異常性についても、後で若干言及するつもりです。

というのは、教育者や治療家がもっと目立った

異常性に向き合うときにも、

このことが症候を知る上で役立つに違いないからです。

私たちは症候をよく研究しなければなりません。

医者が病気の症状を診断するようにです。

医者は症候によって病気か病気でないかを調べ、

症候の複合によって病名を決定しますが、

その症候複合と病気そのものとを混同したりはしません。

発育が不十分な子どもの場合にも、

その魂のいとなみの中に認められるものを、

もっぱら症候として考察しなければなりません。

いわゆる心理描写も症候学にほかなりません。

今日の精神病理学は魂の異常現象を、

思考と感情と意志に従って記述することに終始しておりますから、

そのかぎりでは、精神病理学が遂げた進歩は

症候複合の正確な記述においてであって、

それ以上に心理描写を超えて、

病気の本質に迫っているわけではないのです。

私たちは病気の本質の中に深く入っていかなければなりません。

ひとつのイメージがそのための重要な手引きをしてくれるはずですので、

まずこのイメージをしっかりと捉えて

いただきたいと思います。

例を挙げて説明しましょう。

ここに人間の肉体(白い線)があります。

成長期にある幼児の肉体です。

この肉体から魂のいとなみ(黄色い点線)が立ち現われてきます。

私たちはこの魂のいとなみを正常であるとか、

異常であるとか言いますが、

本来子どもの魂、

あるいはそもそも人間の魂の正常か異常かを決めようとしても、

平均して『正常』とする以外に、

どこにもそれを決めるよりどころはありません。

常識人の眼が一般に通用させているもの以外のどこにも、

判断の基準はないのです。

ですから何かを理にかなっているとか賢いとかと言う常識人の眼から見て、

『正常』な魂のいとなみでないものはすべて、

『異常』な魂のいとなみなのです。

目下のところそれ以外の判断の基準は存在しません。

ですから私たちが異常であること

を確定しようとして、

いろいろな試みをすればするほど、

その判断は混乱したものになります。

正しい判断をしていると思っている人が、

その反対に天才的な素質を

追い出してしまうことにもなりかねないのです。

そのような評価の試みをいくらしてみても、

そもそも何も始まりません。

なすべきことのまず第一は、

医者と教育者がそのような評価を拒否して、

賢いとか理にかなっているとかと評価する思考を

超えたところに立とうとすることです。

実際この分野でこそ、すぐに判断するのではなく、

事柄を純粋に観察することが、この上もなく必要なのです。」(p8〜10)
シュタイナーがいつも語るように、

あらゆる既成概念を捨てて、

起こっている現象や事柄が語りかけることを

純粋に観察することが第一の前提条件となるのである。

霊を映し出す鏡が魂(心)であるので、

魂の働きを、純粋に観察することが大切なのであろう。

そこから聞こえてくるものがあるはずである。

「では、そもそも人間のどこに問題が潜んでいるのでしょうか。

今取り上げたのは、どんなひどい教育者にも分かるような、

表面にはっきりと現われて

いる魂のいとなみ(黄色い点線)ですが、

私たちはこれから、そのような魂のいとなみとは別に、

身体の背後に存する

もう一つの霊魂の働き(赤い線)にも眼を向けようと思います。

それは受胎と誕生のあいだに霊界から降りてくるのですが、

地上の意識はそれを外から見ることができずにいます。

私はそれを図例では背後に描いておきます。

この霊魂は霊界から降りてきますと、

先祖代々の遺伝のカ(青い線)によって作られる

身体(白い線)に働きかけます。

この働きかけが異常な仕方で行なわれますと、

たとえば肝臓に働きかけて病的な肝臓を

生じさせてしまいます。

また、遺伝的に肉体とエーテル体に病的なところがあった場合にも、

身体は一定の病気を現わします。

同じことは他のどんな身体器宮についても

言うことができます。

どんな身体器官も霊界から降りてくるものと

間違った結びつき方をすることがあるのです。

そしてこの結びつきが、

つまり霊界から降りてくるものと遺伝されたもの

との結びつきが作られたときはじめて、

通常、思考と感情と意志として観察される私たち

の魂(黄色い点線)が生み出されるのです。

思考と感情と意志はそもそも

単なる鏡の像のようなものですから、

眠ると消えてしまいます。

本来の持続的な魂はその背後にあるのです。

背後に降りてきて、転生を重ねる地上生活を貫いて存在し続けるのです。

それは身体組織の中で存在し続けるのですが、

いったいどのような仕方によってなのでしょうか。」(p10〜11)

ここでは、

私たち人間一人一人の魂のいとなみ、

とは別に、

身体の背後に存する

もう一つの霊魂の働きにも眼を向けようと語っている。

それは受胎と誕生のあいだに霊界から降りてくる存在である。

しかし、地上の意識はそれを見ることができない。

この霊魂は霊界から降りてくると、

先祖代々の遺伝のカによって作られる

身体に働きかけるという。

「統合過程が頭部で行なわれているとすれば、

分析過程はその他の生体組織、

特に代謝=肢体系の中で行なわれています。

そこでは頭とは反対に、すべてが区別されています。

頭の中では腎臓の働きや腸の働きが一緒になっているのに対して、

頭以外の組織においては、すべてが区別されています。

ですからこの図でも肝臓の働きと

胃の働きとは別々に示されていますが、

頭部においてはそれらすべての活動が結ぴ合い、統合されています。

さて、身体成分が絶えず雨のように

外へ排出される過程を伴っているこの頭の統合活動こそ、

本質上、すべての思考活動の根底に存するものなのです。

人間が思考できるということ、

人間がある事柄の中に埋没せず、

そこから抜け出してそれを対象化できるということ、

そのことのためには、

霊と魂の働きが頭部でこの統合機能を引き受けて、

遺伝成分を綜合的に秩序づけなければなりません。

そうすれば、綜合的に秩序づけられた遺伝成分の中に、

いわば意識の鏡が作られるのです。

つまり霊的、魂的な働きが頭部を

綜合的に組織しますと、

その頭部に対象を映し出す鏡が作られるのです。

そしてそれが通常の思考を生み出すのです。

ですからここで二つの思考を区別しておかねばなりません。

眼に見えるものの背後にあって、意識そのものを作り上げる、

いわば宇宙思考とも言える、

霊的、魂的な働き−これは持続的なものです−と、

もっぱら映し出されるだけで、眠るたびに消えてしまう思考、

考えないときにもどこかに消えている思考です。

後者は、体内の臓器のようには現実に存在しているとは言えません。」(p13)

このように霊的、魂的な働きが頭部を

綜合的に組織すると、

その頭部に対象を映し出す鏡が作られる。

そしてそれが通常の思考を生み出すのである。

眼に見えるものの背後にあって、

意識そのものを作り上げる、

いわば宇宙思考とも言える、

霊的、魂的な働きは、持続的なものである。

しかし、映し出されるだけで、

眠るたびに消えてしまう思考は、

影のようなものであり現実に存在しているものではない。

このように、思考には、

上述のようにと永遠に持続する思考と

消えていく思考の二つの思考があるという。

「さてここで次のような考察をしてみましょう。

誰か大人のことを考えてください。

この人は、たぶん七歳の頃に歯が生え変わり、

十四歳の頃に思春期を迎え、

そして二十一歳の頃には

人格がしっかりとしてきたことでしょう。

人間はそのように七年毎に大きな節目を迎えます。

私たちが子どもの発達を理解しようとするときには、

歯の生え変わった後と、

まだ歯の生え変わる前の時期とを、

しっかり区別しなければなりませんが、

この転換期には、

人体の変化がいつも目立って現われています。

人体は毎年変化していきます。

絶えず体内からは何かが外へ排出されています。

体内成分を排出するこの外への絶えざる遠心的な流れは、

七年か八年かけて、

体内の成分のすべてを一新させます。

そこで考えていただきたいのは、

この身体成分の更新が、

歯の生え変わる七歳の頃に特別重要な意味を持っている、

ということです。」(p14)

そして、 七歳の頃に歯が生え変わりの時期までは、

身体は遺伝の力を通して、

両親から受け継がれる。

そして、それ以降は、

その人の個性の力で新しい身体が形成される

と以下のように語っている。

「生まれてから歯の生え変わる頃までの身体は、

いわば単なるモデルにすぎません。

この身体は遺伝のカを通して、

両親からこのモデルを受け取ります。

祖先が子どもの身体形成に協力しています。

さて私たちは最初の七年間にこの最初の身体成分を外に排出しますが、

それによって何が起こるのでしょうか。

まったく新しい身体が生じるのです。

歯の生え変わった後の身体は、

もはや遺伝の力によってではなく、

前述した霊魂の力によって作られるのです。

ですから遺伝によって得た身体は、

実質的には歯の生え変わるときまでしか担われてはおらず、

この時期には、遺伝による身体成分を排出する一方で、

その人の個性の力で新しい身体が作り出されるのです。

私たちは本来、歯の生え変わるときから、

自分自身の身体を持つようになるのです。

はじめは遺伝体がモデルとして利用されますが、

その後は、霊魂の働きが強いか弱いかによって、

霊魂が遺伝の形成力に対してより個的な仕方で働きかけることもできるし、

遺伝のカに屈して、

最初の身体が両親によって形づくられたように、

第二の身体もそのように形づくられることもあるのです。

一般に普及している遺伝の理論は決して正しくはありません。

その考え方によれば、歯の生え変わるまでの成長の法則が

その後の人生にまでそのまま持ち込まれます。

しかし遺伝の働きは歯の生え変わるときまでしか有効ではなく、

その後は個性が指導権を握って、

第二の身体を作り上げるのです。

このように私たちが子どもに接するとき、

遺伝体と、その後に生じる個性的な身体とを

区別できなければなりません。 」(p15〜16)

以上のことから、歯の生えかわる時期と共に

七歳から十四歳までの間に形成される個性の力の大切さを

以下のように語っている。

「真の人格にふさわしい個性的な人体は、

次第に作られていくのですが、

七歳から十四歳までのあいだが

個性のこの作業のもっとも集中して行なわれる時期なのです。

そのとき、個性のカが遺伝のカに打ち勝つと、

歯の生え変わるときに、

遺伝の力から自由になれますが、

個性の力がモデルとして存在している遺伝の力に負けて

しまうと、七歳を過ぎた後でも、

遺伝の力による両親との類似性が存続していきます。

このことははっきりと認めることができまずから、

教育者はこの点によく注意を向けなければなりません。」(p16)

「さて、七歳から十四歳までの時期の成長の仕方は、

その人の個性の働きをこの上なく力強く表わしています。

この時期の人間は、

その結果、外界に対して比較的自分を閉鎖的にしています。

まさにこの時期にこそ、

個性のカのみごとな発露が示されるのです。

もしこの時期の発達過程を、

そのままその後も持ち続ける人がいたとしたら、

その人は恐ろしく無愛想な人になったことでしょう。

そして外界に対して感受性の乏しい人になったことでしょう。」(p16〜17)

確かに小学校高学年から中学生にかけて、

多くの子供は無愛想になる時期がある。

私自身を振り返っても全くそうであった。

特に中学生の時は内向的になり、

トルストイの『人生論』をいつもポケットに持ち歩き

繰り返し読んでいた。

この子は「社交性」のない子供だとレッテルを貼られ

通知票にも「もっと社交性をもつように」などと書かれた。

そして、高校を卒業してから、

人と接するのが大好きになった。

でも、いまシュタイナーを学んで、中学生の頃を振り返り

そういう無愛想な時期に

遺伝的なものを超克して

自分の個性を創り出していく期間

だったのだと納得した。

今後、無愛想な小学生や中学生には、

そのように理解したい。

「けれどもすでにこの時期から、

人間は三度目の身体更新を行なうのです。

その三度目の身体は、

性的器官の成熟期である思春期に表面に現われますが、

地上の環境世界との深い結びつきを示しております。

その場合、性的な関連で現われるものがすべてなのではありません。

性的な働きを過大評価することは、

私たちの唯物論的な考え方によるものです。

思春期とともに現われる外界とのさまざまな関係は、

根本的には同じ種類のものなのです。

ですから性の成熟について語るよりも、

地上生活の成熟について語る方が正しいのです。

地上生活の成熟の中には、

感性の成熟や呼吸活動の成熟も含まれます。

性の成熟はその全体の一部分にすぎないのです。

この時期に人間は地上生活を成熟させるようになります。

そして今まで無縁であったものを、

鋭い感受性をもって周囲の環境の中から自分の中に受け入れる能力を発達させます。

それまでは異性の魅力を感じ取ることができませんでしたが、

環境の中の他のものからも印象を深く受け取ることができずにいたのです。

そして今、第三の身体を作り上げ、

そのようにして二十歳代の初め頃にいたります。

霊界から降りてきたものは、歯が生え変わる時期に、

その働きにひとつの終止符を打ちます。

同様に思春期を迎える時期にも、

二十歳になった頃にも、

それぞれその働きを完成させました。

そのようにして、諸器官を形成し、

人体を個的に成熟させ、地上生活を成熟させるのです。」(p17〜18)

この時期(7歳から14歳の)

性的な働きを過大評価することは、

唯物論的な考え方によるものだと語っている。

性の成熟について語るよりも、

地上生活の成熟について語る方が正しいというのである。

地上生活の成熟の中には、

感性の成熟や呼吸活動の成熟などこそ、極めて大切なものなのだ。

性の成熟はその全体の一部分にすぎないのである。

この部分は、よく理解できる気がする。

以下読み進めてみたい。

この後シュタイナーは、肝臓を例にして、

何かを行おうとする意図がありながら、

実際の行動にまで進むことができない

魂の異常さの原因を何らかの異常な肝臓の中に求めている。

「そこでそのような発達過程において、

諸器官の形成の異常な仕方に対応して、

魂に何らかの異常が現われるとします。

そしてその異常さがその後の生涯を規定するようになると、

まさに魂の病気が存在することになります。

けれども、ニ十一歳よりも後になって

肝臓その他の器官に異常が現われた場合には、

その器官はすでに十分に独立した在り方をしているので、

意志の働きがそのことに依存しないですみ、

魂はこれまで通りのいとなみを続けることができます。

しかし年齢が若くなればなるほど、

このことがあてはまらなくなります。

大人の場合、諸器官がすでにそれぞれ特定の在り方をしているので、

魂のいとなみは比較的そこから独立しており、

器官の病気はそれほどはっきりとは

魂に影響を与えませんから、

それをもっぱら器官の病気として治療できるのです。

しかし子どもの場合は、

まだすべてが関連し合っており、

ひとつの器官が病気になると、

それがまったく強力な仕方で、

魂の中にまで影響を及ぼします。」(p18)

子供の場合は全てが関連しあっているので

一つの身体の気管が病気になると

魂の中まで影響が及ぼされるとのことである。

このことが事実であるなら、

子供の治療に関しては、

細心の注意が必要となるのであろう。
つづく

コメント(2)

あめじすとさん
コメントありがとうございます。

朝夕と涼しくなってきましたね。

早朝の毎日の散歩がとてもすがすがしくなってきました。

朝、散歩をしながら以下のような

シュタイナーの言葉を思い起こしています。

「たとえば、全宇宙の匂いを嗅いでいる存在があります。

それは、植物です。

植物は宇宙空間の匂いを嗅ぎ、

それに従って存在しています。

たとえば、すみれは何をするのでしょうか。

すみれは、その存在全体が鼻なのです。

非常に精妙な鼻なのです。

すみれは特に水星から流れてくる匂いを嗅ぎ、

それに従ってすみれの匂いの体を作り上げています。・・・

このことから、こういうことができるでしょう。

植物の花は、宇宙全体を嗅いでいる。

植物の葉は、宇宙全体を味わっている。

植物の根は、地球内部を覗き見ている。

それに比べて人間は、鼻・舌・眼を持っているのに、

それらはあまりにも粗雑になってしまった。・・・

しかし、もし私達人間が、植物と同じように

嗅ぐことができ、味わうことができ、

見ることができるとしたら、どうなったでしょう。

きっと「自分」のことが分からなくなってしまったにちがいありません。

なぜなら、あらゆる方向から、匂いや味、

映像が押し寄せてくるからです。
・・・・・
人間は、それらの感覚がごくわずかな能力しかもっていないおかげで、

思考を働かせる能力、「知性」を獲得することができたのです。

人間が、地上のもっとも高貴な存在になれたのは、

脳の中で感覚的知覚が、ごくわずかしか存在せず、

他の大部分が、思考と感情に変化したおかげなのです。
(『地上の生活と星々の働き』(シュタイナー 高橋 巌訳 1924年ドルナハ)

植物の花は、宇宙全体を嗅いでいる。

植物の葉は、宇宙全体を味わっている。

植物の根は、地球内部を覗き見ている。

この言葉、身にしみますね。

ありがとうございました。

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