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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第7週 幕末の志士とフリーメーソンにみる民族霊時代霊

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5/20〜5/26

大自然の光に強く引き寄せられて
私の自我は身を隠そうとしている。
 
だから予感よ、現れよ。
そして思考の力に代って
私の認識のために働け。

思考は今、感覚の仮象の中で
自分を見失なおうとしている。
      (Rudolf Steiner  高橋 巌訳)
………………………

先日のゴールデンウイークの前に妻に

「どっか行きたい所がある?」と聞くと

「萩に行ってみたい」

という返事が返ってきた。

道路ナビで検索してみると我が家から車で約7時間かかる。

運転に自信がなかったが、

ドライバーのつもりで出発した。

「松下村塾」等、当初は、あまり関心がなかったが、

今思うと「萩」への訪問が、

今後シュタイナーの学習にとっての

新たなる衝動を与えてくれた。

そこで、様々な新しい「ひらめき」が与えられたからだ。

やはりシュタイナーを知ってから旅をすると色々と面白い。

朝5時半に起き、愛犬を預けて

昼頃、山口県萩市に到着した。

松蔭神社の中にある「松下村塾」などを見学し

その近くにある伊藤博文の旧邸および別邸を

訪問したとき、ものすごい霊感のようなものが

全身を走ったのだ。

そこには、さまざまな伊藤博文の功績が書いてあった。

まず第一に注目したのは、

伊藤博文を含む長州の志士5人が

イギリスに密航して、

一年後に開国論者になって帰ってきた事実についてである。

なぜ、そんなにも「密航」がうまくいったのかである。

二つめは、貧農の出身である伊藤博文が

なぜ初代総理大臣になれたのかという疑問である。

萩市の町をあちこち歩いている内に、

背後に「フリーメーソン」がいたのではないか?

という思いがさらに強くなってきた。

そしてフリーメーソンの背景には、

民族霊、時代霊が働いて

いたのではないかと思ったのだ。

これまでフリーメーソンにはほとんど関心がなかった。

フリーメーソンについて書かれている

『神殿伝説と黄金伝説』なども

その部分は、流して読んでいた。

「秘密結社」という言葉に

私自身が拒絶反応を示したのである。

そのため全く無関心であったと言える。

ところが、萩市を訪問したこの日は、

なぜか、拒絶反応をしていたはずの

フリーメーソンのことばかりが

頭に浮かんでくるので、とても不思議だった。

帰ってから早速、

ネットで伊藤博文とフリーメーソンとの関係を

調べてみた。

その中で『石の扉 フリーメーソンで読み解く世界』
(加治将一 新潮文庫)という

本があることを知り早速手に入れて読んでみた。

この本がとっても読みやすく興味深かった。

この本によると明治維新は

尊王の志士らが起こした革命だと思われているが、

それは表向きの歴史である。

実際にはその背後にフリーメーソンが操って起こした

クーデターだったというのだ。

グラバーと伊藤博文の関係など全く知らなかったのに、

なんと私の萩での「直感」と一致していた。

グラバーと伊藤博文は深く繋がっていたのだ。

しかし、シュタイナーを学んでいる者としては、

これでは、まだ納得がいかない。

明治維新を起こした、

そのもっと背後にある大きな力に興味を持ち、

『民族魂の使命』(西川隆範訳 イザラ書房)を

読み始めた。

この中でシュタイナーは以下のように述べている。

「磁石の針を南北の方向に向ける力を、

だれも磁石の針そのものの中に探求しない。

磁針の動きは地磁気の作用に帰せられる。

磁針を方向づける諸原因は宇宙の中に探し求められる。

民族の性格の発達や民族移動などの原因を民族の外、

宇宙の中に求めてはならないのであろうか。
・・・
個々の民族の成員は、

なによりも自分の民族を理解し、

『民族の自己意識』と名付けうるものを

理解するときにのみ、

人類共通の使命に自由で具体的な寄与ができるのです。」
(『民族魂の使命』p8)
磁石の針が南北の方向に向ける力の原因は、

磁石の針そのものの中にあるのではない。

磁石の針を方向づける原因は

宇宙の中にあるのだ。

それと同じように、

明治維新を引き起こした強い力は、

表面的には、幕末の志士であり、

もしかしたらフリーメーソンが関わっていたかも知れない。

しかし、そのもっと背後には、

地球を進化させようと必死で働いている、

宇宙の力(民族霊、時代霊)があったのだ。

それぞれの人間は、この高次の霊的存在達が共同して

人類進化を導いている過程に参加しているのである。

この2冊を読んでいる内に、

自分なりにではあるが、

ほぼ、自分が萩で直感したことの謎が解けていくように感じた。

まず順をおって私的メモとしてまとめておきたい。

日本に最初にやってきたフリーメーソンは、

江戸時代後期の長崎オランダ商館長アイザック・ティチングである。

アイザック(イサク)という名前からわかるように

ユダヤ系オランダ人である。

その後、日本の開国とともに、

次々とフリーメーソンが来日してくる。

浦賀に来航したペリー提督もフリーメーソンである。

こうして来日したうちの一人が明治維新の黒幕となる、

イギリス商人トーマス・グラバーだ。

坂本龍馬を操って明治維新の黒幕になったと

『石の扉』には書かれている。

世界各国でフリーメーソンの

調査を続けてきた著者・加治将一氏は以下のように語る。

「当時、一介の脱藩浪人に過ぎなかった坂本龍馬が、

なぜ幕末期にあれほどの大活躍ができたのか。

探っていくと、一人のイギリス商人に行き当たります。

それがトーマス・グラバーです。

龍馬の業績は、グラバーのバックアップ抜きには考えられません。」

というのである。

確かに、坂本龍馬は土佐藩を脱藩した

シュタイナーが言う文字通りの「故郷喪失者」であり

歴史を進展させる最適の人物である。

「故郷喪失者」というのは、

偉大な人類の法則を、

理解しようとするときに、

民族が生きる場所で発するものから

全く影響を受けない人間でなければならない。

龍馬はその条件を兼ね備えていた。

さて、日本人で一番最初にフリーメーソンに入会したのは

西周(にし・あまね)である。

1862年、徳川慶喜の政治顧問で

側近中の側近西周(にし・あまね)が、

津田真道らとともに幕命でオランダ留学し、

法学や哲学、国際法などを学んだ。

1864年10月12日、

西周はライデン大学のフィッセリング教授から推薦を受け
(入会には、会員の推薦を必要とする)

フリーメーソンに入会した。

彼は、phirosophyを「哲学」という翻訳語にした。

他にも「芸術」、「科学」、「技術」、「理性」、「権利」、「義務」、

「文学」、「心理」、「科学」となど西洋の抽象概念を

次々に日本語に訳出し造語している人物である。 

『石の扉』の著者は、

西周とグラバーは面識があったのではないかと推測している。

蘭学を志していた西周が、

長崎のオランダ人を通してグラバーと知り合うことは無理な話では

ないというのだ。

さて、西と津田の二人のオランダ滞在は約三年間、

帰国は明治維新の三年前である。

西周は、その年の九月、

徳川慶喜の重要なブレーンとして抜擢されている。

三年間も日本を留守にしていた西を側近につけるなど

普通考えられないことである。

しかし上層部(勝海舟ら)による何らかの力が働いて側近となれた。

勝海舟もグラバーと深い繋がりがあった。

これは、英国から帰国した伊藤博文が、

様々な要職に就いたあと貧農の出身でありながら初代内閣総理大臣に

なれたこととも関連して考えると

そこに共通の力の存在を連想させる。

即ち大きな組織の力の存在(フリーメーソン)である。

注目すべきは、西、津田という

幕府側の人間がオランダに留学している最中、

時を同じくして、薩長の若者がイギリスに赴いていることである。

グラバーは倒幕派であり、

長州と薩摩の若者に「ヨーロッパの現実」を見せるべく、

密航留学を斡旋した。

そして、1863年5月7日、海外渡航が国禁のところ

グラバーの手引きで、長州藩士の伊藤博文、井上馨、

山尾庸三、井上勝、遠藤謹助が、

ロンドンへ密航するために、

英国領事の紹介で英国商船ジャーディン・マディソン商会の

船に乗って横浜を出発した。

この英国留学は資金からなにから

全てのお膳立てをグラバーがおこなった。

その時の費用は一万両、

現在の価値に換算すると約10億円とのことである。

巨大組織のバックアップなくして

グラバーのポケットマネーでは

ちょっと難しいであろう。

一行は、上海などを経て英国に到着すると、

ロンドン市内に下宿し、ロンドン大学で物理・化学などを学んだ。

彼らはイギリスのアバディ―ンの

フリーメーソン基地に滞在していたようだ。

そればかりでなくイギリスの工業地帯を視察させ、

イギリスの紡績工場と提携を促し、

日本初の近代的紡績工場を鹿児島県に誕生させた。

これで、萩を訪問した時抱いていた第一の疑問

「なぜ密航がこんなにもうまくいったのか?」

の謎がとけた。

グラバーの手引きとその背後の

大きな組織があったからこそ成し遂げられたのだ。

帰国後 伊藤は内閣の、井上馨は外交の、遠藤は造幣の、

山尾は工学の、、井上勝は鉄道の、

それぞれ「父」といわれるぐらいまで

5人は日本の近代化に貢献している。

英国の新聞で「長州ファイブ」と紹介されている。

密航なのに、これも不思議である。

井上と伊藤は、1864(元治元)年.4月の

四国艦隊の下関砲撃計画を知って途中帰国したが、

残りの3名は数年間学業を続けた。

そして、この頃1864年11月から

半年間坂本龍馬が行方不明となっていることも

偶然にしては時が一致する。

100通もの手紙を書いていた龍馬の消息が

この間ぷっつりと途絶えているのだ。

おそらくこの期間龍馬はイギリスに密航していたのであろう。

次の疑問は、厳しい身分社会の当時

なぜ貧農の出である伊藤博文が初代内閣総理大臣になれたのか?

という疑問である。

伊藤博文は周防国熊毛郡束荷村字野尻の百姓

林十蔵の長男として生まれる。

家が貧しかったため、

12歳ごろから奉公に出されたという。

伊藤博文の旧宅のすぐ近くに松下村塾があった。

彼は吉田松陰の松下村塾に入門した。

しかし伊藤は身分が低いため、

塾外で立ち聞きしていたという。

松蔭が安政の大獄で斬首された際、

桂小五郎の手附として江戸詰めしていた伊藤は、

松蔭の遺骸をひきとることになる。

その後、同門の久坂玄瑞・高杉晋作・

桂小五郎・井上聞多らと倒幕運動に加わる。

1862年には公武合体論を主張する

長井雅楽の暗殺を画策した。

そして、「英国公使館」焼き討ちに参加し、

山尾庸三とともに塙次郎・加藤甲次郎を暗殺するなど、

尊王攘夷の志士として活動した。

このように彼は「英国の公使館の焼き討ち」に参加するなど

今で言えばテロリストの一味といっても良かった。

しかし、その事件の五ヶ月後、

グラバーは彼をイギリスに密航させたのである。

「百聞は一見にしかず」で色々と聞かせるより

ヨーロッパを若者に見せれば

一発で価値観が変わると読んでいたのだろう。

グラバーの読み通り、イギリス密航から帰国したあと、

伊藤の考えが180度変わり、

開国論者になり英国を目指すように思考が変化した。

そして、帰国後、様々な役職を歴任する。

そして、1885年12月の内閣制度移行に際し、

誰が初代内閣総理大臣になるかが注目された。

衆目の一致するところは、

太政大臣として名目上ながらも

政府のトップに立っていた三条実美と、

大久保利通の死後事実上の宰相として

明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤博文だった。

三条はと言えば、藤原北家閑院流の嫡流で

清華家の一つ三条家の生まれという高貴な身分、公爵である。

一方伊藤といえば、貧農の出で武士になったのも維新の直前という

低い身分の出身である。

その差は歴然としていた。

太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では、

誰もが口をつぐんでいる中、

伊藤の盟友であった井上馨は、

「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」

と口火を切り、これに山縣有朋が

「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、

これには三条を支持する保守派の参議も返す言葉がなくなった。

つまり英語力が決め手となって

伊藤は初代内閣総理大臣となったのである。

「英語力」が決め手となったことは興味深い。

なぜなら、「言語」の中に民族霊は宿り、

その民族霊を導いている時代霊は活動するからである。

以後、伊藤は4度にわたって内閣総理大臣を務めることになる。

ここでも、伊藤博文と共に

イギリスに密航した井上馨という

グラバーの息のかかった井上の「一声」で

伊藤は初代内閣総理大臣に就任したのである。

会議の前に当然、綿密な打ち合わせがなされていたのであろう。

明治になって、グラバーの活躍は以前にも増してきた。

日本初の造幣局である大阪造幣局に機械を入れたのも彼である。

伊藤と共にイギリスに密航させた遠藤謹助を造幣局に勤めさせた。

そして、彼は、1881年には造幣局長となっている。

毎年4月中旬の1週間、局内の桜並木を一般公開する

大阪造幣局「桜の通り抜け」は1883年に

当時の局長だった遠藤の指示により始まり、

現在も大阪の春の風物詩として継承されている。

グラバーは、フリーメーソンであった痕跡を

徹底的に消しに回ったと加治氏は語る。

そして、グラバーと伊藤博文との

深い結びつきは以下のことからもわかる。

のちにグラバーが東京に居を移した時のことである。

住所は麻布の富士見町八番地。

そこは伊藤博文が無償で与えたものだというのだ。

伊藤博文はグラバーに家を無償で与えるぐらい親しかったのだ。

明治維新後、伊藤博文が駐英公使の林董(はやし・ただす)

にフリーメーソンの何たるかを調べさせるために

秘かにフリーメーソンに入会させた。

その結果、日本では外国人のみに入会を認め、

日本人の入会を禁じることになった。

これにより、表向きは戦前には日本人のフリーメーソンは

いないことになっている。

しかし、伊藤博文は、これもフリーメーソンの痕跡を

日本から消したかったのではなかろうか?

という推測もできる。

今回、萩を訪問して、吉田松陰の愛国の心と

密度の濃い生き方にも深く感動した。

明治維新は、歴史上は、幕末の志士達が成し遂げたものである。

もしかしたらフリーメーソンが関わっていたかも知れない。

しかし、そのもっともっと背後には、

地球を進化させようと必死で働いている、

宇宙の力(民族霊、時代霊)があることを忘れてはならない。

これらの幕末の志士の純粋で打ち砕かれた「魂」に

高次の民族霊(大天使)と時代霊が働いたのである。

しかし、『民族魂の使命』に以下のような気になる部分があった。

「受肉する可能性があるとき、

成長期にある、力に満ちた民族が存在する時、

大天使は下っていきます。

そのように、大天使はある民族のなかに下り、

その民族の中に受肉します。

個々の知覚、大天使が知覚する中心(民族個性)が

生産的でなくなりはじめ、

活動的でなくなりはじめ、

内容を失っていきはじめるとき、

大天使は死を感じ、その民族から離れる必要を感じます。

大天使が、その民族共同体を捨て去る時期が到来するのです。

大天使は神界の中、死と再受肉のあいだの人生に入って行きます。

そして、のちの機会に、別の方法で民族共同体を見つけようとします。

ある民族の若々しい上昇する生命は民族霊の青春を意味します。

民族霊は、新鮮な流れを知覚します。

そのなかに、民族霊は生きているのです。

民族の生命の衰退期を、自分の知覚領域の中心の枯渇として、

大天使は知覚します。これが民族霊の内面です」
(『民族魂の使命』p64〜65)

日本民族としての素晴らしい個性がなくなり

生産的でなくなりはじめ、

活動的でなくなりはじめ、

内容を失っていきはじめるとき、

民族霊である大天使は、

その民族から離れるというのだ。

幕末の時代、

幕末の志士達の中に生きていた

日本民族の若々しい上昇する生命は、

新鮮さに満ちていた。

その美しい新鮮に満ちた魂に

一柱の民族霊が受肉したのではないか。

その仲介役を果たしたのが幕末の志士達であろう。

この明治維新以後日本民族を加護していた民族霊は、

今どのように働いているのだろうか?

それとも、今は、次の新しい民族霊が日本に

受肉していくための過渡期なのだろうか?


コメント(4)

とても興味深いお話ですね。

言語の中に宿る民族霊と、連動する時代霊…

日本語は特に時代による変化の激しい言語だと思われますが、明治の日本語と現代日本語では、全く違う印象を受けます。

シュタイナーは、英語は霊的な事柄を表すのには適さない言語だというようなことを言っていたと思います。
かつてはイングランド民族だけのものだった英語がこれほど世界を席巻したことと、圧倒的な物質文明の拡がりの関連についても考えさせられました。
ヒルフェ*ゾフィーさん
コメントありがとうございます。
今回もコメントを拝見して触発されるものを感じました。

>日本語は特に時代による変化の激しい言語だと思われますが、
>明治の日本語と現代日本語では、全く違う印象を受けます。

たしかにそうですね。
今回、萩で幕末の頃の多くの当時の文献を読んで同様のことを感じました。

当時の文献は、「漢字」が多く、改めて、

日本語は、表意文字が中心だったのだな〜と実感しました。

そこには、奥深い霊性が宿っているようにさえ感じました。

それにくらべて、シュタイナーが言うように、

最近は「言語」が単に外的・物質的な事物を

意味するものでしかないことを実感しました。

言葉は、ますます物質界の中に存在するものを

表示するものでしかなくなって

いくのだろうかと考えてしまいました。

>シュタイナーは、英語は霊的な事柄を表すのには
>適さない言語だというようなことを言っていたと思います。
>かつてはイングランド民族だけのものだった
>英語がこれほど世界を席巻したことと、
>圧倒的な物質文明の拡がりの関連についても考えさせられました。

そうですね。
シュタイナーは精神科学、人智学の本を

英語に翻訳できないと言っていますね。

英語では、語られたものが精神(霊)に

完全に重なる可能性がないとのことです。

やはり物質文明を拡大させる民族霊たちのものなのかなと

コメントを読んで感じました。

『民族魂の使命』を読んで日常使っている

「言葉」がいかに大切かを

改めて再確認しています。

私たちが、日常生活の呼吸で酸素を

「ありがたい」と感じるように

民族霊(大天使)は感謝を表したり

理想を表現する「言葉」を

人間が酸素を必要とするように

睡眠中に必要とするということに感銘を受けました。

しかし、現代文化のなかには、

理想主義といわれる言葉が、

わずかしかないとシュタイナーは語っています。

わずかしか残っていない精神科学の

理想に基づいた言葉を多く語り

書き続けたいと改めて思っています。

ありがとうございました。

あめじすとさん
コメントありがとうございます。

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