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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第14週 再び地上生活への誕生の経過

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7/24〜7/30

感覚の開示する世界に没頭して
私は個人的な衝動を失った。

思考の夢は私をめくらませ
私から自我を奪い去るように見えた。

けれどもこの感覚の輝きの中で
宇宙的な思考がすでに私に近寄り
私を目覚めさせようとしている。
 (Rudolf Steiner  高橋 巌訳)   
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 再び地上生活への誕生の経過
〜さらに「霊的早産」について〜


http://www006.upp.so-net.ne.jp/ekorange/minamimurasaki.html
(こちらのホームページで見るとステンドグラスが見やすいです)

前回は、北の紫のステンドグラスであったが、

今回は南の紫のステンドグラスに転じよう。

ステンドグラスを見るときには、先に北側のステンドグラスを見て、

次に向かい側の南のステンドグラスを見るのがわかりやすいとのことだ。

その際に、「振り返らなければならない」という点が重要である。

両側のステンドグラスの相対性、対極性を正しく体験するには、

心の中でも向きを変えなければならない。

北の紫の窓と南の紫の窓においてもそうである。

北の窓は、死において肉体を脱ぎ、そして、エーテル体を宇宙に解消し

生前の行為を反省し終わると共に、

肉体と同質化してしまった部分をすっかり拭い去ると

アストラル体を宇宙に解消して、

個我が霊界に入っていくまでの過程が描かれている。

それに対して、南側の窓は、 霊の世界を広くあちこち体験しつくした、

人間存在のその後について描かれている。

その人間存在は、さらに魂の世界を体験し、エーテル界にいる。

このエーテル界は植物的なフォルムで表現されている。

人間の魂の霊的な部分が地上界を見下ろし、

そして、両親を引き合わせ、物質界で共に暮らすように働きかけるのである。
 (上の写真左 クリックで拡大)

このように、「南の紫の窓」は霊界から地上へのあこがれが生じ、

再び地上に誕生するまでの経過が描かれている。

再び地上に誕生するには、霊界で霊的、エーテル的な原像を構築する。

その原像は霊的、磁力的とでも言うべき力を担っている。

その力が、新しい地上生活にふさわしい遺伝的特徴を持った

両親のところへ、新しく地上に誕生する生命を引き寄せる。

さらに、父親と母親から受ける物質成分に自分を結びつける。

南の紫の窓は、このような内容のステンドグラスが描かれている。

この内容を深く読み取ると、私を生んでくれた親を最高の両親として、

選んで生まれてきたことに感慨を覚える。

さらに、自分の子供が、私たち夫婦を最高の両親として生まれてきたことにも

何とも言えない畏敬の念が生じてくる。

まずは、『ゲーテアヌムとステンドグラス』を読んでみよう。

「こうして、新たな誕生へと向かいます。

受肉する前の人間存在は、ヤヌスの頭(ローマの神で、入り口を守り、

過去と未来を見ることのできる。一年の入り口Januaryの語源でもある。)

を持ったものとして表現されています。

この人間存在は、霊の世界を渉猟しつくしました。

さらに魂の世界を体験し、エーテル界にいます。

このエーテル界は中央の絵では植物的なフォルムで表現されています。

人間の魂の霊的な部分が地上界を見下ろし、

そして、両親を引き合わせ、物質界で共に暮らすように働きかけます。

こうしてこれから生まれようとする霊の物質的条件が整います。

しかし、それだけではなく、

この存在は自らの過去の地上生も振り返っています。

かつて地上に生きていた時のさまざまな行為が、

今度はいわば萌芽として、

来たるべき運命と結びつきます。

このように誰もが、誕生の際に、

自らが過去に創りあげてきた運命を、

一つの条件としてはじめから担っています。

霊眼で見ますと、地上の諸力によって、

人間の物質的・肉体的な部分がつくられる様子が見えます。

これもやはり、創造の根源である宇宙存在が

地上の出来事に力を送ってくれなければ起こりえません。

下方の絵の左側では、

このように母胎における発生でつくりあげられた

物質的・肉体的なものが、地上から上昇していく様子が見えます。
  (上の写真右 クリックで拡大)

そして、大地の深くには、北の青のステンドグラスで見られたのと

同じ諸力が作用しています。

それに対し右側の絵では、天使存在に伴われた霊魂が

地上に近づきながら、肉体を次第につくりあげていく過程が

描かれています。

大地の外には、外部の力が内部にまさったフォルムがあります。

しかし、大地の内側では、内部の力が外部にまさっています。

両者の力が調和しながら働くことで、

人間の形姿という奇跡が創り上げられます。

南の紫のステンドグラスは、親や教師にとってとても参考になります。

なぜなら、あらゆる教育の課題とは、

人間の持つ霊的・魂的なものを物質的・身体的なものと

調和させることだからです。

現在、そして未来において、どのような教育をすれば

この課題を果たせるでしょうか。

これを忘れますと、どのようなやり方をしても、

それは(学問的な)実験にすぎなくなります。

そして、子供の未来に負担をかけてしまう結果になります。」
(『ゲーテアヌムとステンドグラス』p43〜47)
この内容を、さらに深く読み取るために

『死後の生活』(高橋巌訳 イザラ書房)を参考にしながら、

考察してみたい。

死から新しい誕生までの霊的生存の真夜中の時期

即ち、霊界での前半生を過ぎると、

地上生への第一の憧れの時期が始まる。

人間の中で、地上界への憧れが積極的な創造力になる時期が始まるのだ。

私達は、自分の内面生活を無限に豊かなものと感じているにもかかわらず、

外界を再び持ちたいという強い憧れを持ち始める。

孤独の中で、自分が引き離されてしまった世界(肉体ある生活)へ

再び入っていきたいという憧れが生じる。

これは、創造的な力となり、新しい種類の魂の光となって、

私達にひとつの新しい外界を与えてくれる。

魂の力を活性化する憧れ、魂の新しい種類の知覚力なのである。

自分の外にこの世界を知覚するようになるが、

それは生前の世界としても知覚する。

生前の世界が今、死者達の外界となる。

それは私達の過去の世界である。

その外界は本当は内界なのだ。

私達のこれまでの輪廻転生の世界なのである。

私達の憧れから生じた光に照らされて、

転生の諸相が私達の前に現れる。

霊的宇宙の中には、このような回想を体験させてくれる

憧れの力が存在している。

その外界は宇宙存在から得たものを思い出させ、

宇宙存在に何を負っているか悟らせる。

自身の過去の諸生活の光景と

その生活と密接に結びついた人間関係の光景を見る。

以前の地上生活で関わりを持った人々は皆、

私達と霊的な関係を持っている。

霊的生活の真夜中時の後、改めてその人達と再会するときには、

私達がその人たちに負担をかけていた事柄と、

その人達が私達に負担をかけていた事柄が、はっきりと見える。

以前の諸体験に決着をつけるために現れる。

死者は自分の内部でまだ、決着のついていない事柄を見るのだ。

特に、人を愛せなかった恨み、

親子の愛、夫婦の愛、隣人愛を実践しなかった自分に気づく。

そして、前世では悪いことをしたが、(例えば関わりのある人を愛せなかったことなど)

次の地上生活ではその償いをしよう、という憧れが生じる。

来世にどんな体験をすれば、

その人々に負担をかけた以前の行いに、

決着をつけられるのか、その人たちから見て受け取る。

このとき過ぎ去った地上での体験を記憶することによって、

自分が自我存在として生きていたと悟らなければならない。

この意識が、霊界での孤独な時期にも、

社交の時期にも一貫として存続していなければならない。

(この時点までキリストから生じる力が、自分を失わないようにしてくれる)

憧れから生じる新しい霊力を、

新しい光になるまで燃え立たせなければならない。

その力は、霊的生命の中にのみ存在している。

そして第二の憧れの時期が訪れ、二つの方向が選択を迫る。

過去における満足や喜びの体験は、いまでも自分の中に生きている。

私達はそれを回顧する度に、それを直接体験し直して、

それを魂の力にしている。

そのような魂の力が、宇宙の真夜中の後の霊界生活の中で、

今、二つの可能性を私達に示す。

第一の可能性は、過去の喜びや満足を「魂の能力」に転化できれば、

その魂によって世界にとって「価値」のあることを創造できるようになる。 

「喜びや楽しみや満足の感情を、

お前自身のために受け取ることは許されない。

喜びは宇宙に対する、宇宙の霊的力に対する、

感謝の感情とならねばならない。」のである。  

第二の可能性は、喜びを自分にとどめている場合である。

「私は体験したことに、喜びと満足を感じている。

私はこの喜びを魂で受け止める。

過去にこのような喜びがもてたことは嬉しいことだ」

と、過去に体験した喜びや満足から、このような気分だけを取り出すなら、

自身を霊的に退化させ、窒息させるような力を生み出す。

私達は、喜んだり、満足感を味わったりすることによって、

「宇宙生活の債務者」となる。

しかし、もしも適当な時期に、過去の満足感や喜びを人生のために

価値あるものに転化させる能力を創造しようと決心しないなら、

満足や喜びの余波の中で窒息させられてしまう。 

その後、第三の憧れの時期が訪れ、

それは、地上を志向する力の形成期となる。

自分が負担をかけた人たち、

迷惑をかけた人、心を傷つけた人、愛せなかった人がいるが、

この人達との関係も魂の前に償いを求めて現れ、

次の地上生活で、再びその人達と一緒に生きようとする傾向を生じさせる。

それによっても、地上を志向する力が作られる。 

来世で再会し償い合おうとするのだ。

宇宙の真夜中から、私達の憧れから、一つの霊的なものが生じて、

新しい宇宙光を創造し、私達自身の本性の上に光明が生まれる。

そして、いよいよ新しい地上生活の霊的原像形成期が到来する。

霊界で様々な体験をしたことから、

新しい地上生活への霊的原像を作り上げる。

霊界で霊的、エーテル的な原像を構築する。

その原像は霊的、磁力的とでも言うべき力を担っている。

その力が新しい地上生活にふさわしい遺伝的特徴を持った

両親のところへ私達を引き寄せる。

さらに、父親と母親から受ける物質成分に自分を結びつける。

前世の生活の果実と再び結びつくのは、この霊的、

エーテル的な原像を構築する時である。

しかし、人間が必ずこの時点に到るとは限らない。

この時点に到ると体と霊との完全な一致を感じる。

しかし、大抵の人間は霊的に早産させられている。

まだ、十分に浄化されていないのに、早く地上生活を望むのである。

そして、その償いをするために、

前世の生活の果実と完全に調和できる結びつきを、

もっとずっと後から持つことができるのだ。
  
死者達は自分に身近な成分に惹かれるので、

遺伝的な特徴と、この原像との間に

親和力が見いだせるような両親に惹きつけられる。

そして、その両親のもとに誕生し再び地上で肉体を持った存在として生きる。

ここで、「霊的早産」という言葉がとても気になる。

シュタイナーは『死後の生活』(高橋巌訳 イザラ書房p65〜67)の

中でこのことについて述べている。

彼は、大抵の人間は霊的に早産させられていると述べているが、

特に犯罪者を霊視すると、その性質が一種の「霊的な早産」によるものだというのだ。
 
「人生の本当の神秘は、犯罪者がいるという事です。

霊学研究者は、犯罪者が罰せられるべきで無いという様な、

ユートピア論者であろうとはしませんけれども、

人間生活の中に存在するものであれば、

どんな事でも理解しようとします。

ですから、どうして犯罪者的な生活が可能なのかを知ろうとします。

この点に関しては、いろいろなことが安易に語られておりますが、

霊学の立場からもそれに答えなければなりません。

これから言おうとするのは、背理であるかように思われるでしょうが、

あえて発言しなければならないことなのです。

 犯罪者を霊視しますと、

その性質が一種の霊的な早産によるものである事が分ります。

どんな魂も、物質界に正しい時点で降下する事が出来ます。

しかしそうしようとする傾向が別の傾向とぶつかりますと、

大抵の人は、そして特に犯罪者は、

通常の場合よりも遥かに早く地上に降りて来てしまい、

そして別の結果を生じさせてしまうのです。

 私たちの魂が正しく体内の隅々にまで浸透する事によって、

私たちが「全人」として生きられる様になる為には、

ほぼ正常な時点に生れて来なければなりません。

しかし前世の特別な事情の為に、

早期に受肉する理由がある時には、

私達はそれとは知らずに、

地上生活をいい加減に生きようとする傾向を魂の奥底に持って、

生れて来るのです。

人生を真剣に考えない態度が、

その人の魂の内的な在り様になってしまいます。

たとえ日常意識の表面では強度の自己保存本能を持っており、

この上無い利己主義的態度で生きている様に見えても、

その人の心の奥底では、人生をいい加減に考えて、

霊的に早産した自分の人生に

余り価値を置こうとしないでいるのです。

その様な場合、その人の人生は、そうとは気付かずに、

表面上、自己保存本能に益々駆り立てられて行きます。

そして、人生をいい加減にする態度が、

そこから生じる犯罪者の特徴なのです。

 私がこのことを知った時、別の事柄もはっきりと見えて来ました。

犯罪者言語の辞書があるということです。

犯罪者特有の語り口、

犯罪者が語る言葉の中に見られるいい加減な態度、

それは今述べた事を知っている時にのみ、

理解出来るのです。

人間の地上生活全体の中で、

この傾向は再び清算されます。

現世に余り早く生れて来た為に生じた行為が、

次の人生で清算されるのです。」
『死後の生活』(高橋巌訳 イザラ書房p65〜67)より

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