ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

シュタイナー的生活を楽しむコミュの思考を感情と意志から解放 35週 シュタイナーと心理学(7)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
11/28〜12/4
 
私は存在が認識できるのか。
それによって魂の創造行為の中で

その存在がおのれを
また見出せるようにできるのか。

私は感じる。
私に力が授けられたのを。

だから今、私の自我は
宇宙の自我の一分肢となって生きる。
(Rudolf Steiner  高橋 巌訳)

……………………………
     

私たちは心魂の営みを思考、感情、意志の三つに区別している。

しかし、通常の心魂の営みにおいて、

思考、感情、意志は入り混じって活動している。

活動的な心魂の営みを把握するには

思考を感情と意志から解放する必要がある。

そのように解放された思考の考察をとおしてのみ、

人間の自由についての見解を有することができる。

さらに、この方法で思考、感情、意志をいきいきと把握でき

流動的、活動的な心魂のいとなみを把握することができるのである。

このことについて述べてある部分をみてみたい。

「わたしたちは現代の人間を見て、物質体、

生命活動の総体であるエーテル体もしくは形成力体、

感受・情動・思考の場であるアストラル体、自我を区別します。

心魂に関わる体験を認識するのではなく、意識化すると、

変動する心魂のいとなみを把握することができ、

わたしたちは心魂のいとなみを思考、感情、意志の三つに区別します。

通常の心魂のいとなみにおいて、

思考、感情、意志は入り混じって活動しています。

意志の活動が思考のプロセスの中に入り混じっていると思い描くことなしに、

思考のプロセスを思い浮かべることはできません。

わたしたちがある思考を別の思考に付け加え、

ある思考を別の思考から分離するのは、

思考のいとなみの中に進入する意志の活動です。

また、わたしたちが意志するとき、

そのプロセスが漠然としたものにとどまろうとも、

意志のなかに思考が衝動として関与していることを私たちは知っています。

通常の心魂のいとなみにおいても、

私たちは分離した意志を有するのではなく、

思考に貫かれた意志を有しているのです。

そして感情のなかでは、

思考と意志衝動と感情が混ざり合って流れています。

私たちの心魂のいとなみは、混ざり合っています。

しかし、今日では私たちが注意を向けようとしてしていない何かが、

流動的な心魂のいとなみの中で

思考、感情、意志を区別するように駆り立てるのです。

拙著『自由の哲学』をお読みになれば、

思考を感情と意志から解放する必要があることがおわかりになると思います。

そのように解放された思考の考察をとおしてのみ、

人間の自由についての見解を有することができるできるからです。

思考、感情、意志をいきいきと把握することによって、

わたしたちは流動的、活動的な心魂のいとなみを把握するのです。」
(『心理学講義』p34〜35)

私たちの心魂の営みは、思考と感情と意志が混ざり合っている。

しかし、今日では普段私たちが、注意を向けようとしてしていない

私たちの中に住んでいる、より賢い自分(霊我)が、

心魂のいとなみの中で

思考、感情、意志を区別するように駆り立てる。

『自由の哲学』の中に、

思考を感情と意志から解放する必要があることが書かれている。

そのように解放された思考の考察をとおしてのみ、

人間の自由についての見解を有することができる。

さらに、思考、感情、意志をいきいきと把握することによって、

わたしたちは流動的、活動的な心魂のいとなみを把握することができる。

ここで述べられている『自由の哲学』のこの部分の内容について、

簡単にまとめておきたい。

『自由の哲学』は普通の意味での哲学書ではないと常々思っている。

純粋思考によって、直接霊的現実の領域に導かれたという、

シュタイナーの実際の体験に基づいているのである。

ゲーテをヒントにして、思考と感覚的知覚の関係を明らかにしたのである。

日常生活の感覚界での事実について深く、

集中力をもって瞑想を行うことにより

シュタイナーの意識は、

自分の全存在─思考、感情、意志─が参加する認識に達した。

そして、その意識は、あらゆる自然界、

人間界の背後にある霊的現実の中に入っていったのである。

ここで、シュタイナーは三つの種類の認識が存在するといっている。

第一は、感覚界に対する知的な理解である。

第二は、純粋思考において、

内的に経験される霊的現実の直接的な把握で、

人の思考を越えるが、思考から生じる認識である。

第三は、感覚界の中で表現されている、

霊的現実に対する新しい認識で、

これは、感覚的現象について直接に瞑想することによって得られる。

第三の認識については非常に難しい認識方法であるが、

これらが観察者を霊界に導く思考であり、

その過程において、思考自体は、より高次の知覚に変容するという。

思考が、物質的─感覚的外界の印象に没頭するのではなく、

ただ思考そのものつまり純粋思考であるときに、

人間の思考が世界と人生の意味を獲得しうるものである。

感覚的なものの思い出に耽るのではなく、

純粋思考が生命的な存在のように活動する。

まさに生きた思考となるのである。

純粋な、みずからのなかで活動する思考が、

世界と人生と人間について解明するのである。

ここまで到達すると、シュタイナーにとって感覚で経験される対象はどれも、

霊界への入り口となったのである。

自然現象、私の周りで生じるあらゆる出来事、

快や不快、苦しみ、悩み

全てに意味があり、どうとらえるかによって価値が生まれるのである。

苦しみや悩みは、感覚の幻影によって自分が勝手に生み出して

いるものであることに気づくのである。

宇宙と人間の謎は、集中によってなされる瞑想的思考によって発見される。

すなわち、「人間自身」が自然の秘密を解く鍵を持っている。

高次へと高められた直感的思考は、

自然界の背後にある創造的な思考活動に気づくのである。

そして、対立していた自分と世界に橋が架けられるのである。

そして、私と世界の係わり、

私の周りに生じる様々な現象の意味が解明されるのである。

これは思考を感情と意志から解放することによって可能なのである。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

シュタイナー的生活を楽しむ 更新情報

シュタイナー的生活を楽しむのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング