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シュタイナー的生活を楽しむコミュの「自由の哲学」とある登山家夫妻 30週

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10/24〜10/30

 魂の陽光の中で
 思考の熟した果実が実る。

 すべての感情が
 自己意識の確かさを受けとる。

 喜びにみちて、私は秋の霊性の
 目覚めを感知する。

 冬は私の中に
 魂の夏をよびさますであろう。
    (Rudolf Steiner  高橋 巌訳)

……………………………

9月に再放送されたハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む〜クライマー山野井夫妻〜」

を録画していたので先日見た。

見ながら、クライマーとしての夫妻の生き方にとても共感し、

まさに「自由の哲学」を生きている夫妻だなーと感動した。

この感動を忘れないうちにメモしておきたい。

( この番組は第34回「放送文化基金賞」テレビドキュメンタリー番組部門
本賞受賞作品とのことである。)

『心理学講義』のなかに

「しかし、だれでもある地点にいたると、自分の思考が抽象的な思考、

死んだ思考から、生き生きとした思考になるのに気づきます。

内的に生き生きした思考は、宇宙のリズムを体験することができます」(p63〜64)

まさに、二人は大自然との一体感の中で

この境地を体験したからこそ、こういう生き方をしているのだろうと思った。

世界最強と称されたクライマー夫妻は、

2002年秋、ヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7952メートル)に挑戦し、

下山途中、雪崩に襲われ、妻の妙子さんが滑落、宙吊りになった。

夫の泰史さんが助けようと思ったが雪崩の際に目が見えなくなった。

クラック(割れ目)が見えなければカムが打ち込めない。

視力をなくしているので、頼れるのは素手の感覚しかない。

生きるためにグローブを脱いで、素手で指1本1本使って、

凍傷になるまで、何時間もかけてカムを打てる岩の隙間を探り続け、

遂には無事帰還出来たという。

カムを打つのに1本に1時間も費やして、生還したのだ。

しかし、凍傷で泰史さんは10本、妙子さんは18本もの手足の指を失い、

クライマーとして致命的なダメージを負った。

それから5年、夫妻は残った身体機能を使い、リハビリとトレーニングを続けながら、

クライミングへの夢を追い続け、2007年8月、

二人はグリーンランドにある、高さ1300mの未踏の大岩壁「オルカ」に挑んだ。

まず一番に感動したのは、なぜグリーンランドの岩山に登るのかという質問に対して

「理由はわからないけど、

グリーランドの山を登っておかないとまずいんだよね」との一言である。

「理由はわからないけど」というのが「自由の哲学」に通じるようで深く心に残った。

もう一つは番組では触れていなかったが

一般に知られているクライマーは殆どスポンサーがついているという。

しかし、山野井夫妻の場合は自分で働いて得た金でしか登らないという信念をもっている。

今回も費用は自分の貯金を取り崩してまかなったとのことである。

テレビ局からエベレスト登山を打診され、

高収入になると分かっていても、自分の山ではないと拒否している。

自分の金で、自分の望む山へ、

自分たちの思うスタイルで登る。

それが二人のこだわりなのである。

自分が登る目標は常に前人未踏の岩壁を「自分」で選ぶのだ。

外的な損得にまどわされることなく

自らの内から湧き起こる内的に生き生きした思考で判断するのだ。

ちなみに現在の収入は、登山用具メーカーからのアドバイザリー契約などによる、

年間300万円程度である。

そして、奥多摩で家庭菜園を耕し 生活費を切り詰めながら、

山への挑戦を続けているのだ。

この生き方は、いっさいの外的なものに支配されることのない

自らの内から湧き起こる「自由意志」によるものである。

「自由の哲学」の生き方とは

聖書の「善きサマリア人」の生き方であると理解しているが

まさに善きサマリア人に通じるものだと思った。

私は、判断に迷った時などいつもこのたとえ話に立ち戻るようにしている。

これはイエス・キリストの「隣人愛」についての考えが示されている

箇所であるが、「自由意志」ということにおいても教えられる。

このたとえ話は何度読んでも意味深長な内容である。

「ある人が エルサレムという大きな都から

エリコという町へと下っていく途中、

追いはぎに襲われてしまった。

追いはぎは、その人の持っているもの全部と着ていた服を剥ぎ取り、

殴りつけ、半殺しにしたまま行ってしまった。

ある祭司がたまたまその道を下ってきたが、

息も絶え絶えのその人を見ると

道の向こう側を通っていってしまった。

それからしばらくして、レビ人もやってきたが、

その人を見ると

やはり道の向こう側を通って行ってしまった。

しかし、そのつぎにそこを通りかかったサマリア人は、

倒れているその人を見ると、

気の毒に思い、近寄って、傷に油とぶどう酒を注ぎ、

包帯をして 自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って、介抱した。」
 (ルカによる福音書 10章 25節〜36節より) 

最初の二人は、へたに介抱すると他人に何と言われるかわからないと、

世間体、社会のルールやしきたりなどを気にして行動した。

それは、自分の中の「死んだ抽象物の思考」である一つの

教条化された概念に、行動の根拠を持っている。

これでは、自分が、自分の人生の「主人公」とは言えない。

シュタイナーが語る「思考」による直感内容から取り出した

「生きた思考」と結びついたとき、「本当の自分の生き方」

が生まれるのではなかろうか。

倒れているのはユダヤ人にであったようだ。

そのユダヤ人達から軽蔑され、敵対関係にある

サマリア人は、思考による直感内容から取り出した

「生きた思考」に行動の根拠を持って行動した。

これこそ自由な魂による判断だったのである。

これは、山野井夫妻の生き方に通じるものがある。

外から来る一切のものに振り回されることなく、

頼ることなく自分の内から沸々と湧き出でる

「生きた思考」にもとずいて行動をするのである。

そこに「自分のなかに住んでいる、より賢明な人間」に出会うであろう。

現代はマニュアル大好き人間が多く、

マニュアルに基づいて行動する人が多い。

そして、あまりにも情報が溢れていて、いつのまにか

情報に影響されている自分を発見する。

こういう時代だからこそ、二人の生き方にとても共感する。

山登りにもっとも必要なものは、何かの問いに対して、

「最も重要なのは強いモチベーションで、諦めるとか諦めないとか、

そういうんじゃなくて、ただ単純に、この先に上がりたい、

頂近くまで登ってみたい、そういうモチベーション、

技術云々よりも、それが最も重要だと思います」と答えている。

これは、今の私自身の心境に通じるものである。

私にとってトピックを書くことは人智学という岩山に

カムを打ち込むことである。

この岩山の頂き近くでも良いから登ってみたい。

そして、その風景を眺めてみたい。

ただそれだけである。

純粋にクライマー夫妻のような気持ちを持ち続けたいと思った。

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