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シュタイナー的生活を楽しむコミュのシュタイナーと心理学(1)27週

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10/3〜9

存在の深みへ降りていく。
予感と憧れに誘われ
自己を省察しながら
私は自分を見出す。

私は夏の日の贈りものだ。
私は秋の日に萌える芽となり、
魂の熱い力となって働く。
((Rudolf Steiner 高橋 巌訳)
----------

秋が深まる中で『シュタイナー心理学講義』(西川 隆範編訳 平河出版社)

を少しずつ読み返している。

最近、精神分析学のエリッヒ・フロムの著書にとても共感することもあり

改めてこの本を読んでみたくなった。

久しぶりに読むと、以前読んだ時と全く別の本のように
心魂に迫ってくる。

シュタイナーはこの中で、最初に「神智学と心理学」について述べている。

そこで一番に問題にしているのは、長い間「心理学」が、

人間は「体と心」からなる、と捉えている点であると述べている。

そこに、何百年にもわたる偏見があり、

いまだに人々はこの偏見にとらわれていることが

大きな問題点であると以下のように述べている。

「インドのヴェーダーンタ哲学の時代、仏教の全盛期、ギリシア哲学の最盛期、

そしてキリスト教の最良の時期において、

人間の本質は身体と心魂と精神(霊)の三つに分けられていました。

心魂を正しく考察しようとするなら、人間の本質のほかの二つの部分、

すなわち一方では身体、他方では精神(霊)との関係において考察しなければなりません。

・・・
一般に、人間は体と心からなる、と言われています。

この考えに心理学は基づいており、心理学における多くの誤りは

ここに起因しているのです。

この考えには歴史があります。

初期キリスト教の時代まで、人間について考え、

人間の本質を解明しようとした人々はみな、人間を三つの部分、

すなわち身体と心魂と精神(霊)に区分しました。

初期キリスト教、グノーシス主義を見ると、

いたるところにこの三分説が見出されます。

紀元二、三世紀まで、キリスト教の教義は人間を身体、

心魂、精神の三つからなるものとしていました。
・・・・
デカルトは心魂を精神と名付け、

精神と名付けた心魂と身体とを区別しているだけです。

今日、心理学について語っている人々は、

自分がキリスト教のドグマの下にあることに

気づいていません。

心理学の入門書を見れば、人間は『体と心』からなる、と書かれています。

そこに、何百年にもわたる偏見があり、

いまだに人々はこの偏見にとらわれているのです。」(『心理学講義』p7〜9)

シュタイナーは人間の三分説、即ち人間は、身体、心魂、霊

からなっていると述べているが

では、なぜこの三分説が否定されるようになったのか、その歴史をみておきたい。

シュタイナーが、繰り返し言及した教会会議がある。

869年から東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の

首都コンスタンチノープル(現トルコ領イスタンブール)で開催された、

キリスト教の公会議である。

この時の、公会議で、人間というのは魂と肉体からなる存在であるということが、

キリスト教の教義の中に取り入れられたのである。

「聖書」の福音書を読むと、

あらゆるところに「霊」の存在がでてくるにもかかわらず、

「霊」の存在は、西洋では869年コンスタンチノープルにおける

公会議で否定されたのである。
 
それ以前のキリスト教の人間観では、

プラトンやアリストテレス以来、

基本的には人間は霊と魂と肉体からなるものと考えられていた。

このことが『精神科学から見た死後の生』(西川隆範訳 風濤社)に

以下のように述べられている。

「霊の存在は、西洋では869年コンスタンチノープルにおける公会議で否定された。

カトリック教会は、人間が身体と心魂と霊からなるものではなく、

身体と心魂からなるものであるということをドグマにしました。

そして、心魂は『霊的な特性』を持っている、と書き添えられました。

このようにして霊が否認されたことは、非常に大きな意味をもっています。

人間は『心魂と霊』を持っていると考えてはならず、『理性的で知的な心魂』しか

有していないというドグマが、869年コンスタンチノープルで決定されたのです。

『心魂は霊的な特性を有している』という考えが、

9世紀以来、西洋の精神生活に雲のように覆いかぶさってきました。

このような考えを、再び克服しなくてはなりません。

霊の存在が再び承認されなくてはなりません。

中世においては、『人間は身体と心魂と霊からなる』という三分説を唱えると、

『著しい異端だ』とされました。

この三分説が再び正しい人間観として通用するようにしなくてはなりません。

・・・・・哲学者たちの書いているものを読むと、

身体と心魂のみを区別し、霊を抜かしています。

彼らはそれを『とらわれのない』世界考察だと言いますが、

『霊を承認しない』という869年コンスタンチノープルでの決定に拠っているのです。
人々はそのことを知りません。

例えば、ヴィルヘルム・ヴントのように、

出版社のおかげで世界的に有名になった哲学者も、

人間を身体と心魂に分けています。

彼はそれを『とらわれのない学問的な見解だ』と言いますが、

自分が869年コンスタンチノープルの公会議の決定に

従っていることを知らないのです。」
(『精神科学から見た死後の生』より)

では、なぜ、このようなドグマがコンスタンチノープルで決定されたのか。

その理由が、『シュタイナー入門』(小杉英了著 ちくま新書)に書かれている。

「普通、教会史の中でこの公会議は、

最終的には東方教会と西方のローマ教会とが分裂するにいたる

教義論争の流れの中に位置づけられているが、

シュタイナーがこの会議を繰り返し取り上げたのは、

会議における三位一体論をめぐる聖霊論争の中で、

個々の人間と霊的なものとの直接的な結びつきが否定され、

人間はただ、使徒の系譜に立つ教会を通して

聖霊を受ける時にのみ霊的なものと結びつくという

教義が確立されてしまったからであった。

それによって人間は、肉体と、個人的な内面生活の場である魂との、

二つの要素から成る存在とされたのである。

肉体は動物的本能と感覚とに支配されており、魂は悪魔の誘惑に弱い。

これだけでは救済はかなわない。

肉体と魂という二元的要素からなる人間は、

霊がそこから恩寵として下される教会組織に属してはじめて、

永遠なる神との契約に入る、とされたのである。

裏をかえせば、教会の外では、

霊的なものとの直接的な結びつきなど生じるはずがない。

もし、そのようなことが可能であると主張する者がいたならば、

それは悪魔のささやきにほかならず、

悪しき異端である、ということになるのだ。」
(『シュタイナー入門』より)

即ちこの教義では「人間には魂と体だけで、

霊は教会の中のみにある」ということになり、

人間の中に霊は存在せず、教会の中に聖霊が生きておられて、

信者にならなければ霊性にふれることはできず、

悪魔の誘惑に堕ちてしまうというのである。

これ以来、「人間は身体と心魂と霊からなる」という三分説を唱えると、

「著しい異端だ」とされた。

そして、 心理学の入門書を見れば、人間は「体と心」からなる、

と自明の理のように書かれている。

そこに、何百年にもわたる偏見があり、

いまだに人々はこの偏見にとらわれているとシュタイナーは語る。

そして、キリスト教的な学問が中世において心理学を育成していくにつれて、

三分説は忘れられていった。

近代の自然科学の成果によって、心魂について一千年前に語られたようには、

もはや語るべきでないと思われている。

十九世紀の精神的発展に決定的な影響を与えた自然科学は、

ゲーテやアリストテレスに見られるような古い意味での心理学にはもはや同意できない、

と繰り返し述べている。

果たしてそうなのであろうか?

しばらく、この問いに対するシュタイナーの見解を考察してみたい。

コメント(4)

三分説納得です。そういう経緯があったのですね。宗教が利用されている?!書き換えられた?!解釈に違い?!部分としても納得です。
だから心理学では混乱というか謎が深まるというかイマイチわからないな〜と感じてました。
それでゲーテさんやシュタイナーさんに惹かれて今に至るのだな〜と感じます。その三つの関係性で見えてくる感じることがあると思うので^^上手く説明できませんがあせあせ
ありがとうございます。^^/
おたかさま
ヘヨカさま
コメントありがとうございます。

トピックを読んで共感してくださりとても嬉しく思います。

今、『心理学講義』を読み進めているのですが、
別のルートからシュタイナーという岩山を登っているような感覚です。
素晴らしいです。

自分なりにしばらくこの本と格闘して読み解いて見たいと思っています。

シュタイナー心理学に関する本は、今所有しているものでは、
深層心理を扱った『魂の隠れた深み−精神分析を超えて』がありますので、
この本も引き続き読み直してみたいなと思っています。

少し前から精神分析学のエリッヒ・フロムに惹かれて
何冊かよんでいるのですが、
彼の著作も自分なりに三分説で読み解くと、
さらに深く納得がいくことが多いのを感じています。

ありがとうございました。
現代心理学では、心理の働きを脳の機能として捉えようとする傾向が主流になっています。

脳の機能は肉体機能に帰せられますので、心理の働きも肉体機能の一部と考えるようになっています。

ということは現代心理学は、霊・心魂・肉体の3分節か、心魂・肉体の2分節かという問題どころの騒ぎではなく、もはや肉体一辺倒という、完全な唯物論になってしまっているんですね。

ですから心の病に対しては、薬物療法が主流になってしまいました。

けっこう、ゆゆしきことであります。

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