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シュタイナー的生活を楽しむコミュの自己愛からアガペーへ「魂のこよみ」41週

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1/13〜1/19
 
 魂の創造する力が
  心の奥底から流れ出ようとする。

   その力は人生の中で
     神々の力を正しく働かせようと
                 燃え上がり
 
 人間の愛と仕事を通して
   自分自身を鍛え上げる。
        (シュタイナー 高橋 巌訳)
  
………………………………

先週の魂のこよみ、
『自己愛から生じた幻想の空しさが宇宙の言葉のの焔に貫かれる。』
にあるように「自己愛」から生じた幻想が、
ロゴス=キリストによ って焼き尽くされる。
このことを我が魂で実感した週であった。

今週の魂のこよみでは『人間の愛と仕事を通して自分自身を鍛え上げる』とある。
これについて考えてみよう。

「自己愛」が宇宙のロゴスによって焼き尽くされたあと、
そこから生まれてくる愛は「アガペー」の愛ではなかろうか。

アガペー は、キリスト教における神学概念で、
神の人間に対する「愛」を表している。

神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、
神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、
「無償の愛」とされる。
新約聖書では、キリストの十字架での死において
顕わされた愛として知られている。

またキリスト教においては、神が人間をアガペーの愛において愛するように、
人間同士は、互いに愛し合うことが望ましいとされており、
この人間同士の相互の愛もまた、広い意味でアガペーの愛である。

今週の魂のこよみの『人間の愛と仕事を通して自分自身を鍛え上げる』
の「人間の愛」は、この意味でのアガペーだと理解している。

『マタイ福音書』にある著名な「山上の垂訓」においても、
「神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく、
太陽の光の恵みを与えてくださる」
というように、
人間をその行為や社会的地位や身分や性別などによって区別せず、
恵みを与えてくれる存在として示されている。

また同じ「山上の垂訓」において、
イエスは、知人や友人、家族などを愛するだけでは十分ではない。
わたしの教えに従う者は、
みずからの「敵」さえも愛さねばならないとして、
単なる「隣人愛」以上の普遍的な人間愛を語っており、
このような愛こそ本当の愛(アガペー)であるとしている。

これらのアガペーに対して自己愛は
「エロース」と呼ばれる。
「エロース」は、古典ギリシアにおける神聖な神であり、
また「性愛」「肉体の愛」を典型的に意味した。
そして情欲的な愛、自己中心的な愛を意味している。

エロースとは,もともとはギリシア神話の愛の神のことである。
エロースは翼を持つ少年の姿で表され,
ローマ神話ではキューピッドと呼ばれる。

この神は富裕の神と貧乏神の間にできた息子であり,
常に美しいもの,価値あるものを求めてさ迷う。
すなわち,エロースの愛とは
「価値あるものを求める心」のことである。

たとえば,「おいしいものが食べたい」「かわいい彼女が欲しい」
という気持ちがそれに当たる。
前者は食欲,後者は性欲と置き換えることもできるが,
それは結局“自分のための愛”“奪う愛”である。

しかし、食欲がなくなれば人間は固体を維持できなくなり命を落とし,
性欲がなくなれば人類という“種”が地球上から消えてしまう。
つまり,人間は,他の生物の命を奪いそれを食しなければ生きてゆけず,
出家僧のように性欲を消し去ればその遺伝子もともに消滅するのである。
   
また、現代では,エロチックという言葉が「性的」な意味を強調されているがために,
「エロース」という言葉は非常に卑猥な響きを持って語られるが,
本来は決してそういったものではない。

この高きを目指す感情があったからこそ,
人類はその文明を発展させてきたのである。
したがって、自己愛そのものは、善でも悪でもないと私は考える。
それをどう用いるかが問題なのである。

しかしながら、人類が今後進化していくには、自己愛を越えて、
アガペーの愛を育成しなければならないのではないだろうか。

そのために、キリストは地上に降臨したのである。
そして、キリストは本当の「愛」の大切さを語った。
その愛とは「アガペー」の愛であり、
「汝の敵」を愛する愛であった。

本当の愛というのが、キリストによって初めてことばにされた。
それまでの愛というのはすべて自己愛であった。

普通、人間が、「私はあなたを愛している」と思った時点で、
もう愛ではなくなっている。
そこには、たいていの場合「私」が含まれているために、
結局は自己愛でしかない。
「私」の幸せのために「あなたを愛している」からである。

では、本当の愛(アガペー)に近づくにはどうしたらよいか。
それは、「自分」「私」を含まなければよい。

本当に愛情深く生きるには自分を捨てる必要がある。
先週の魂のこよみのように「自己愛」から生じた幻想を焼き尽くすこと。
即ち、我を捨てると神からの愛(アガペー)が流入してくる。

自分を捨てるとは、自分の立場を考えに入れず、相手の立場を思いやることである。
自分が少しでも入ったら、そこには自己愛が入ってしまい、アガペーにはならない。

「自己愛」が、過剰になれば、
自分の思い通りにならないと、攻撃的になり、
争いとなり、社会や家庭を崩壊させる。

あらゆる戦争、紛争、社会的事件、家庭内の問題は、
すべて、過剰な「自己愛」から生じているように思う。

そして、自己愛からアガペーへの変容こそ地球紀の課題である。
地球は愛の発展を課題としている。

『愛と仕事によって自分を鍛え上げる』とあるのは、
自己愛をアガペーに変容することで自分を鍛えるのである。
そして、魂の修行のためには、愛の能力の育成が必要なのである。

さらに、「自分を鍛え上げる」ことは、決して自分だけのためではない。
人類のためにそして、宇宙全体のために役立つのである。
なぜなら、私達は宇宙に繋がっているからである・・・・・。

コメント(5)

シュタイナーのいう「キリスト衝動」
をわかりやすく魂に響く言葉で
語ってくださり、ありがとうござい
ました。
このメッセージが、一人でも多くの人に
広がっていくことを願っています。
しーさま

コメントありがとうございました。
「キリスト衝動」については、
シュタイナーの核心だと理解しています。
これについては、まだまだ、理解が浅いですが
今後のテーマの一つとして、
理解を深めたいと思っています。
リトセアさま

知識の幅の広さはすごいですね。
老子も同じようなことを言ってたのですね。

また、知的理解だけでなく、それを、日々の生活で
実践されていることは、素晴らしいですね。
電車の中での体験は、まさに「キリスト衝動」だと
思いました。

>宇宙=神=無条件の愛、というものが見えてきました。
>そして、宇宙=私=人類全て、であるということも見えてきました。

これも素晴らしい悟りだと思いました。
ありがとうございました。

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