ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゴスペルハウスコミュの「時」2026.08.22

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゴスペルハウスメッセージ 2026.08.22
「時」伝道者の書3:1-11

1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
 植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
3 殺すのに時があり、癒やすのに時がある。
 崩すのに時があり、建てるのに時がある。
4 泣くのに時があり、笑うのに時がある。
 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
 抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
6 求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。
 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
7 裂くのに時があり、縫うのに時がある。
 黙っているのに時があり、話すのに時がある。
8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。
 戦いの時があり、平和の時がある。
9 働く者は労苦して何の益を得るだろうか。
10 私は、神が人の子らに従事するようにと与えられた仕事を見た。
11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
 神はまた、人の心に永遠を与えられた。
 しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

今週の聖書箇所は、伝道者の書です。
伝道者の書には、「空しい」、もしくは「空」という言葉がたくさん記されています。
1章から2章で、すべてのことが空しいと語った伝道者が、続く3章では「時」を語り始めます。
ここから、「時」というテーマで御言葉を開きましょう。

2-8節には、14の「時」が対になって語られています。
例えば2節「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」。
つまり、人生、命の始まりと終わりです。
また、「植えるのに時があり、植えたものを引き抜くのに時がある」。
これは、農耕における「始まり」と「終わり」です。
そして、「殺すのに時があり、癒やすのに時がある」。
これは、死と命という、両極にある「時」です。
このように、端から端まで、それぞれの「時」が語られています。

そして、その中には、自分の力だけではどうしようもないことが、とても多く書かれています。
神様の定めた、神様の「時」に従うしかない。
そういうことが記されているのです。
ここから、「受け入れるしかない」「あきらめるしかない」「人の力では何ともならない」と読むこともできるでしょう。
そうした捉え方や考え方も、もちろんあります。

けれど、聖書全体が語っているのは、むしろその反対です。
聖書全巻の冒頭、創世記1章1節です。
「初めに、神が天と地を創造された。」
「初めに」とあるように、時間には始まりがあったのです。
そして「天と地」、つまり空間にも始まりがあったのです。
つまり、時間も空間も、すべて神様の創造物であり、神様の御手の中にあるということです。

この前提に立つとき、この章の「時」は、全く別の意味を帯びてきます。
あなたの命の始まりから終わりまで、いつも神様が共にいてくださる。
あなたが何をしていても、何もしていなくても、いつも神様が共にいてくださる。
あなたがどんな場所にいて、どんな気持ちでいても、いつも神様が共にいてくださる。
それは、端から端まで、すべて神様の御手の中にあるということです。

そして今、私たちも同じ「時」の中にいます。
できれば、成功の中に、繁栄の中に、喜びや楽しみの中に、ずっと居続けたいと、私たちは願います。
でも、自分のせいで、あるいは自分でもどうしようもない原因で、うまくいかない時も、やはり多くあるのです。
むしろ、そのほうが多いでしょう。
「何で私だけ?」
「何で今?」
「何でこんなことが?」
「神様、ちゃんと見ていますか?」
そして、ついには、
「神様なんて、いないんじゃないの?」
そんな思いを抱くこともあるかもしれません。

でも、そんな状態のあなたの「時」も、確かに神様の御手の中にあるのです。
どうにもならない時も、自分の無力さにへこむ時も、神様は共にいてくださるということを、忘れないでください。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(11節)
「空しい」という言葉が繰り返される伝道者の書の中で、この言葉は多くの人を慰めてきました。
しかし、ともすると、「神様があなたの願いや望みを叶えてくれるから、すべてが美しい」と読まれてしまうこともあります。
続きを読めば、そうではないと分かるはずです。
「神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」(11節)
人の心には「永遠」を思う思いがあるけれども、人間には神様の御業を始まりから終わりまで見極めることはできないというのです。
つまり、「時にかなって」の「時」は、人間の「時」、あなたの「時」ではなく、神様の「時」なのです。

その最もはっきりした例が、イエスさまの「時」です。
イエスさまも、私たちと同じように、この地上で「時」を過ごされました。
ガラテヤ人への手紙には、こうあります。
「しかし、時が満ちると、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。」(ガラテヤ4:4)

しかし、私たちの「時」とはまったく異なる、「イエスさまの時」と呼ばれる時がありました。
「すると、イエスは母に言われた。『女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。』」(ヨハネ2:4)
これは、カナの婚礼で、水をぶどう酒に変える奇跡の場面での、マリアとの会話です。
「そこでイエスは彼らに言われた。『わたしの時はまだ来ていません。しかし、あなたがたの時はいつでも来ているのです。』」(ヨハネ7:6)
「そこで人々はイエスを捕らえようとした。しかし、だれもイエスに手をかけなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。」(ヨハネ7:30)

では、何が「イエスさまの時」なのでしょうか。
それをはっきりと示す箇所が、マタイの福音書にあります。
「イエスは言われた。『都に入って、これこれの人のところに行き、こう言いなさい。「先生が、わたしの時が近づいたので、あなたのところで弟子たちと一緒に過越を祝いたい、と言っておられます」』」(マタイ26:18)
そして、ヨハネの福音書には、イエスさまご自身の言葉があります。
「今、わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。」(ヨハネ12:27)

イエスさまの時、それは、イエスさまの十字架です。
イエスさまだけの「時」。
救い主だけの「時」。
神様のひとり子だけの「時」です。

イエスさまのこの「時」がなければ、私たちは罪に閉じ込められたままでした。
私たちの「時」は、ただ空しいだけで終わってしまったはずです。
イエスさまの「時」は、全人類の「時」を、変えたのです。

全世界、全宇宙に関わる、ただ1つのイエスさまの「時」も、2000年前のその場面、その時点では理解されていませんでした。
あまりにも大きな神様の御業だったからです。
イエスさまが十字架にかかられた時、弟子たちは散り散りになり、希望は絶たれたと思い、悲しみ、落胆しました。
まさに、「人は神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない」(11節)という御言葉のとおりです。

十字架の時、弟子たちには、それがすべての終わりに見えました。
しかし神様にとって、それは終わりではありませんでした。
3日目、イエスさまはよみがえられたのです。
そして、天に昇り、ペンテコステの日を迎え、教会が始まり、今、ここにキリスト教会があるのです。

人は、不完全で、足りないところの多い存在です。
それでも、神様に愛される存在なのです。
人とは、どこか他の誰かのことだと考えてはいけません。
まさに、あなた自身が、不完全で足りない存在なのです。
そして、そのあなた自身が、神様に愛されているのです。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」(11節)
この神様の「時」は、あなたが願う時、あなたが望む時とは違うかもしれません。
いえ、ほとんどの場合、違うでしょう。
もちろん、教会や牧師、あなたのお父さん、お母さん、友人の「時」とも、ほとんどの場合、一致しません。
神様の時、神様のなさることは、人間には見極められないからです。

しかし、私たちは空しくありません。
あなたは、あきらめなくていいのです。
約2000年前、イエスさまの「時」があり、あなたのために十字架の贖いがあったからです。
それは、あきらめを希望に、空しさを生きる意味に、死を命に変えたのです。

あなたの「時」と神様の「時」は、ずれていました。
罪人であり、不完全であるあなたは、神様の「時」に生きることができなかったのです。
そこにイエスさまの「時」が与えられた時、空しいと思っていた人生にも、神様から与えられた意味が見えてくるのです。
生きる意味、使命と言ってもいいでしょう。

昔も今も、そうして変えられてきた人生が、数えきれないほどあります。
数々のクリスチャンの先輩方も、そうでした。
そして、私自身もそうでした。
自分の「時」が本当に行き詰まって、どうしようもない時、そこに神様の「時」が与えられ、イエスさまの「時」が与えられました。
そして、私は立ち直り、今こうして御言葉を伝えているのです。

イエスさまの「時」は、すでにあなたの前に用意されています。
あなたの人生に、あなたの思いどおりにならない「時」に、あなたの絶望の中に、イエスさまの十字架と復活の「時」を迎え入れましょう。
その「時」が、あなたの人生を新しくするのです。
そして、神様の「時」に信頼し、希望を持って、新たな一歩を踏み出しましょう。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。