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ゴスペルハウスコミュの「がんばれなくても --子ども祝福礼拝--」2022.11.13

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ゴスペルハウスメッセージ 2022.11.13
「がんばれなくても --子ども祝福礼拝--」マタイ19:13-15、マルコ10:13-16、ルカ18:15-17

マタイ19:13-15
13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。
14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」
15 そして手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた。

マルコ10:13-16
13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

ルカ18:15-17
15 さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。
16 しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
17 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

今日は、子ども祝福礼拝です。
この聖書箇所は、過去の子ども祝福礼拝で何回もメッセージしている箇所です。
皆さんの中にも、他の場所や集会で、ここからの子ども祝福メッセージを聞いたことのある方もいると思います。

さて、「子どものように」という言葉から、あなたはどんなイメージを浮かべますか。
また、説教者からどんなメッセージを受け取ってきましたか。
「自分を低くする」とか「取るに足らない存在」とか「謙遜」とか、「信仰者のあるべき心構えのすゝめ」みたいなメッセージを聞いたこともあるかもしれません。
しかし、子どもは、自発的に自分を低くすることはありません。
また、親から見て、子どもは取るに足らない存在でもありません。
謙遜な幼子を、私は、見たことも聞いたことも育てたこともありません。

また、「子どもは素直」とか「子どもは従順」とか「子どもは純真」とか、言われることもあります。
きっと、子育てしたことのない人が、実際の子どもについて勘違いしているのでしょう。
もしくは、過去の自分の姿(子ども時代)を、忘却しているか、誤解しているのでしょう。

イエスさまのおよそ3年の公生涯で、この場面は、エルサレムへ向かう途上です。
それは、十字架への歩み、イエスさまにとっての苦い杯への歩みなのです。
イエスさまは、大きな覚悟をもって、歩んでいました。
途中、律法学者やパリサイ人たちが、論争という罠を仕掛けてきました。
金持ちの青年が、永遠のいのちについて、イエスさまに尋ねました。
その間にあるのが、今回のできごとなのです。

これまで、この箇所から、「イエスさまの覚悟と極限状態での愛」(十字架へ向かう中でも、苦しみの中でも、子どもを祝福するイエスさま)、「弟子たちの成長」(イエスさまの大きな覚悟を察して、人々を遠ざけたのは、弟子たちの成長)、「子どもは無遠慮でくどい」(神の国は、大胆に遠慮なく求めてよい)、「安堵感」(無条件の愛に、しっかりと愛される)などとメッセージをしてきました。

今年はここから、「がんばれなくても」というテーマで、御言葉を開きましょう。

弟子たちは、子どもたちを連れて来た人々を叱りました。
それを見て、イエスさまは、弟子たちに憤りました。
リビングバイブルには、「弟子たちをおしかりになりました。 」(マルコ10:14)とあります。
弟子が人々を叱り、その弟子をイエスさまが叱ったのです。

聖書には、イエスさまが笑ったとは、一回も記されていません。
しかし、それは記すまでもないほどに、イエスさまがたくさん笑っていたからだと、私は思います。
では、イエスさまが叱ったのは、聖書の記述で、何回あると思いますか。
調べてみたところ、いくつかの場面に分類されることがわかりました。

1つ目は、「風と湖を叱ったイエスさま」です(マタイ8:26など)。
これは、全宇宙の創造者である神様のひとり子としての、イエスさまの姿です。

2つ目は、「悪霊を叱ったイエスさま」です(マタイ17:18など)。
これは、サタンの縛りから、人間を解放するイエスさまの姿です。

3つ目は、「熱を叱ったイエスさま」です(ルカ4:39)。
ペテロの姑の熱を、イエスさまは叱りました。
これは、病に苦しむ人のための、イエスさまの言葉の力です。

4つ目は、「弟子を叱ったイエスさま」です(マルコ8:33など)。
神様の御心を、人間の良識や常識に押し込めようとしたペテロや、神様からの裁きを、人間が勝手に行使しようとしたヤコブとヨハネの兄弟を、イエスさまは叱りました。
ペテロ・ヤコブ・ヨハネは、十二使徒の中でも、最もイエスさまの近くで用いられていた3人です。
その3人が、イエスさまに叱られたのです。
それは、自分が、神様以上に、イエスさま以上になろうとしたからです。
神様の御心ではなく、善悪を人間の都合でつけることを「罪」といいます。
善悪を知る木の実を、アダムとエバが食べたからです。
イエスさまは、罪を叱りつけたのです。

今回の聖書箇所以外で、イエスさまが叱ったのは、以上です。
創造主のひとり子のイエスさま、サタンから解放するイエスさま、病を退ける力ある言葉のイエスさま、罪から解放するイエスさま、が、そこにいるのです。
どれも、大きなイエスさまの御業、イエスさまでしかできない御業です。

そして今回、イエスさまは、「子どもたちを受け入れ、祝福するために、叱った」のです。
それほど、大きなできごと、それほど大切な場面なのです。
それには、理由があります。

親にとっても、国にとっても、「取るに足らない存在」であるわけがない子どもたち。
その彼らが、「取るに足らない存在」とされる時があります。
それが、戦いのときです。
民数記第1章3節にこうあります。
「イスラエルにおいて、二十歳以上で戦に出ることができる者をすべて、その軍団ごとに登録しなければならない。」
20歳未満の人は、数えられることもないのです(レビ族はのぞく)。
戦いに出ることができないのです。
がんばることができない、がんばらせてもらえないのです。

そのためか、人としての評価も、低くされてしまっています。
レビ記第27章1-7節によれば、次のようになっています。
20歳から60歳までの、男子50シェケル、女子30シェケル。
5歳から20歳までの、男子20シェケル、女子10シェケル。
1ヶ月から5歳までの、男子5シェケル、女子3シェケル。
5歳までの子どもは、大人の10分の1なのです。

しかし、聖書は、神様は、あなたをキリストの兵士として招くのです。
「キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。兵役についている人はだれも、日常生活のことに煩わされることはありません。ただ、兵を募った人を喜ばせようとします。」(2テモテ2:3-4)
イエスさまの立派な兵士として、イエスさまを喜ばせよと、命じるのです。
戦い抜け!と、励ますのです。

でも私たちは、弱くて、力が足りなくて、小さくて、立派な兵士になれないときがあります。
しっかり戦えないときが、まったく戦えないときが、そう、幼子のようなときが、あるのです。
私たちは、信仰を持ったとしても、スーパーマンになるわけではないのです。
弱くて脆い私たちががんばれなくても、がんばれないからこそ、弟子たちを叱ってまで、イエスさまは受け入れ、あなたを祝福するのです。
それは、他の叱った場面に比べても、イエスさまにとって大切なことなのです。

5歳までのみなさん、あなたがまだがんばれなくても、がんばらせてもらえなくても、イエスさまはあなたを愛しています。
20歳までのみなさん、あなたのがんばりが不十分でも、イエスさまはあなたを愛しています。
立派な大人のみなさん、あなたが傷つき、疲れて、兵士でいられなくても、イエスさまのために戦えなくても、イエスさまはあなたを受け入れ、愛しています。

サタンは、そんなあなたを、「神様にふさわしくない」「価値のない兵士」「神様の足手まとい」と責め立てるでしょう。
しかし、イエスさまの愛は、あなたから決して離れることはないのです。
弟子を叱りつけてまで、あなたを受け入れ祝福する、イエスさまの心が、イエスさまの覚悟が、そこにあるから。

あなたは、他の人と比べなくてもいいのです。
がんばれなくてもいいんです。
今日は、子ども祝福礼拝、神様の子どもである、すべてのあなたのための、祝福礼拝です。
イエスさまの愛に、しっかり向き合いましょう。

あなたのためにお祈りします。


【参照聖書箇所】
「風と湖を叱ったイエスさま」
マタイ 8:26 イエスは言われた。「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。
マルコ 4:39 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
ルカ 8:24 そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった。

「悪霊を叱ったイエスさま」
マタイ 17:18 そして、イエスがその子をお叱りになると悪霊は出て行き、すぐにその子は癒やされた。
マルコ 1:25 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
マルコ 9:25 イエスは、群衆が駆け寄って来るのを見ると、汚れた霊を叱って言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」
ルカ 4:35 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、何の害も与えることなくその人から出て行った。
ルカ 4:41 また悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは悪霊どもを叱って、ものを言うのをお許しにならなかった。イエスがキリストであることを、彼らが知っていたからである。
ルカ 9:42 その子が来る途中でも、悪霊は彼を倒して引きつけを起こさせた。しかし、イエスは汚れた霊を叱り、その子を癒やして父親に渡された。

「熱を叱ったイエスさま」
ルカ 4:39 イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。

「弟子を叱ったイエスさま」
マルコ 8:33 しかし、イエスは振り向いて弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
ルカ
9:54 弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
9:55 しかし、イエスは振り向いて二人を叱られた。


民数記 1:1-3
1 エジプトの地を出て二年目の第二の月の一日に、主は、シナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げられた。
2 「イスラエルの全会衆を、氏族ごと、一族ごとに調べ、すべての男子を一人ひとり名を数えて、その頭数を調べよ。
3 あなたとアロンは、イスラエルにおいて、二十歳以上で戦に出ることができる者をすべて、その軍団ごとに登録しなければならない。


レビ記 27:1-7
1 主はモーセにこう告げられた。
2 「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって主に特別な誓願を立てるときには、
3 その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。
4 女子なら、その評価額は三十シェケル。
5 五歳から二十歳までなら、その男子の評価額は二十シェケル、女子は十シェケル。
6 一か月から五歳までなら、男子の評価額は銀五シェケル、女子の評価額は銀三シェケル。
7 六十歳以上なら、男子の評価額は十五シェケル、女子は十シェケル。


(兵士・戦い)
1テモテ 1:18 私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言にしたがって、私はあなたにこの命令を委ねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くためです。
1テモテ 6:12 信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。
2テモテ 4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
ヘブル 10:32 あなたがたは、光に照らされた後で苦難との厳しい戦いに耐えた、初めの日々を思い起こしなさい。
ヘブル 12:4 あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。
ユダ 3 愛する者たち。私たちがともにあずかっている救いについて、私はあなたがたに手紙を書こうと心から願っていましたが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。

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