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ゴスペルハウスコミュの「十字架(レント‐6)」2025.04.12

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ゴスペルハウスメッセージ 2025.04.12
「十字架(レント‐6)」マタイ27:31-44

31 こうしてイエスをからかってから、マントを脱がせて元の衣を着せ、十字架につけるために連れ出した。
32 兵士たちが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会った。彼らはこの人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。
33 ゴルゴタと呼ばれている場所、すなわち「どくろの場所」に来ると、
34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
35 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。
36 それから腰を下ろし、そこでイエスを見張っていた。
37 彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。
38 そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。
39 通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしった。
40 「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
41 同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。
42 「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。
43 彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」
44 イエスと一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

今年のレントのゴスペルハウス礼拝では、イエスさまのエルサレムへの道・十字架への道をテーマに、御言葉を味わってきました。
レント最終週の聖書箇所は、その終着点、イエスさまが十字架にかかる場面です。
この場面の登場人物たちを通して、十字架とあなたの関係を、御言葉から受け取っていきましょう。

まず、「クレネ人シモン」です。
クレネというのは、エルサレムから1500km以上の道のりにある、リビアの町です。
ここ七ヶ浜町からだと、およそ鹿児島までの距離に相当します。
シモンが住んでいるクレネからエルサレムに出てきたのか、エルサレム近郊に住んでいたのかは、聖書に記されていません。
いずれにしても、シモンは、エルサレムに過越の祭りのためにやってきたのでしょう。
彼は、エルサレムでの過越の祭りを楽しみにしていただろうに、まさか罪人の十字架を運ばされることになるとは思ってもみなかったでしょう。
ローマ兵としては、ユダヤ三大祭りの期間中にユダヤ人に命じて問題を起こすよりも、アフリカから来たシモンに命令するほうが簡単だったのかもしれません。
シモンは、イエスさまとともに、十字架を担ぎました。
いえ、徹夜の裁判や鞭で打たれてヘトヘトのイエスさまですから、十字架はほとんどシモンが担いだと言っても過言ではないでしょう。

ここで、「聖書の大原則」を思い出してください。
それは「神様は、命令しっぱなしではない」ということでしたね。
「命令しっぱなしではない」には2つの意味がありました。
「命令したことを守れるように、力や導きや守りを与えてくれる」が第一番目の意味です。
自分の力では誓いの言葉を守ることができないときこそ、神様に力・導き・励まし・しるしをいただくのです。
そして「命令したことを、神様は完全にやり遂げる」が第二番目の意味でした。
神様は命令しっぱなしではなく、神様ご自身がその約束を守る方なのです。

聖書の大原則とシモンの行動を通すと、次のイエスさまの言葉は、まったく違った輝きを放ちます。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(マタイ16:24、他にマタイ10:38、マルコ8:34、ルカ9:23などに類似の言葉があります)
そう、イエスさまは、一人で十字架を背負うことができなかったのです。
つまり、「自分の十字架を負って」という言葉は、「あなた一人でそれを負いなさい」ということではないのです。
イエスさまの十字架をクレネ人シモンがともに負ったように、あなたの十字架をイエスさまはともに負ってくれるのです。
しかも、イエスさまの十字架の重さをシモンがほとんど一人で担いだように、あなたの十字架の重さのほとんどをイエスさまが担いでくれるのです。
「それでも・・・」と、疑問や抗議をしたい方もいるかも知れません。
では、ヨハネ福音書の次の言葉を読んでみましょう。
「イエスは自分で十字架を負って、『どくろの場所』と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。」(ヨハネ19:17)
クレネ人シモンが助っ人としてほとんど担いだにもかかわらず、「イエスは自分で十字架を負って」と書かれているのです。
あなたの十字架をイエスさまと担いだとしても、ほとんどをイエスさまが負ったとしても、あなたは自分の十字架を負うことになるのです。
クレネ人シモンは、過越の祭りが台無しになってしまって残念だったのかも知れませんが、私たちに対して、イエスさまの愛を証ししたのです。

第二の登場人物は、「ローマ兵たち」です。
彼らはイエスさまに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしました(34節)。
また、くじを引いて、イエスさまの衣を分けました(35節)。
どちらも、十字架刑におけるローマの兵士たちの当たり前の行動、彼らなりのルールです。
クレネ人シモンを強要したのも、同じように彼らにとっての当たり前です。

「聖骸布」という、イエスさまの遺体を包んだ亜麻布であると伝えられている布があります。
今は、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されているこの布は、イエスさまを記念するものでもあります。
聖骸布をくじ引きで手に入れる機会があるなら、世界中から多くの人々が参加することでしょう。

しかし、ここでのローマ兵は、イエスさまの記念のためとか、イエスさまを愛しているからとか、そういう理由でのくじ引きではありません。
ちょっとした利益のための、ちょっとした楽しみのための、いつもの行動なのです。
彼らはローマ兵として、何も悪いことは、していません。
いつものルール、いつもの行動、それにともなう、ちょっとした楽しみや利益。
何も悪いことはしていないのですが、そこには、他の人への愛も、神様への愛もありません。
行動としては正しく、何も悪いことはしていないのに、そこには愛がないのです。
これは、私たちが「キリスト教」という宗教を一生懸命にしてしまううちに、陥りやすい過ちなのかも知れません。

第三は、「通りすがりの人たち」です。
5日前の「棕櫚の日曜日」のイエスさまへの大歓迎をともなうエルサレム入城から、人々の心は大きく変化しました。
ローマの圧政に打ち勝てなかったイエスさまに失望し、怒り、罵っているのです。
自分の希望を叶えてくれるようなら称え熱狂し、叶えてくれないなら怒り罵る。
まるで、主人がしもべに、飼い主がペットに接するような態度であり、現代ならパワハラと訴えられてもおかしくない姿勢です。
「神様に祈っても、聞かれなかった」「神様を信じたのに、いいことがない」
「いいことあるなら、神様信じる」「いいことあるから、神様信じたら?」
もし、こんな姿が、こんな思いが、少しでもあなたの中にあるのなら、通りすがりの人たちの姿は、他人事ではありません。

第四に、「祭司長たち、律法学者たち、長老たち」です。
通りすがりの人たちと違って、彼らは(パリサイ人なども含めて)、イエスさまの3年間の公生涯にわたっての敵対者でした。
目の上のたんこぶで、憎むべきイエスさまの死、イエスさまの敗北に、喜びを感じています。
たとえ敵が弱ったとしても自分たちが正しいという証明にはならないのに、争いの中で、利権に縛られ、対立に翻弄され、自分自身を見失っている姿が、ここにあります。
宗教の対立による争いが今も絶えない中で、この醜い姿は、私たちは忘れてはならないでしょう。

第五に、「強盗たち」がいます。
彼らについては、ルカ23:39-43に、詳しく記されています。

39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

強盗のうちの一人は、通りすがりの人たちと同じように、イエスさまをよく知りもしないで罵りました。
もう一人は、十字架につけられている状態になって、死に直面した状態で、人々の罵りとイエスさまの姿を見ました。
そして、自分自身の姿を発見したのです。
それで、「救ってください」ではなく、「生かしてください」でもなく、ひかえめに「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」(ルカ23:42)と願ったのです。
自分自身が何者であるかがわかったときに、それが彼からでてきた願い、精一杯の願いだったのです。
ルカ18:9-14に、「パリサイ人と取税人の祈り」というイエスさまのたとえ話に、次のような言葉があります。
「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。」(ルカ18:13-14)
イエスさまのこのたとえ話は、十字架上で、実現したのです。

第六は、「この場にいるべきなのに、いない十人」です。
そう、それは十二弟子たちのことです。
ヨハネは、十字架上のイエスさまから声をかけられています(ヨハネ19章)。
ユダは、自殺してしまいました。
その他の十人の姿は、ここには記されていないのです。
ペテロは昨夜未明に、イエスさまのことを三度知らないと言いました。
他の弟子たちは、イエスさまの逮捕時に、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまいました。
イエスさまをだれより知っていたのに、だれより近くにいたのに、今は自分の弱さを噛み締め、悲しむことしかできないでいるのです。
それでもイエスさまは、そんな弟子たちを見捨てないのです。
前の晩にイエスさまは言いました。
「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-32)
弟子たちの弱さもずるさも知っていて、すでに愛と赦しと励ましの宣言をしているのです。

他にも多くの人が、イエスさまの十字架の周辺にいました。
十字架を担いで歩くイエスさまを見て、悲しんでいた女性たち。
イエスさまの母親のマリアも、ポンテオ・ピラトも、百人隊長も。

そして、忘れてはいけないのは、「あなた」です。
あなたは、この十字架の場面の、どこにいますか。
クレネ人シモンのように、イエスさまの愛を証ししますか。
ローマの兵士たちのように、自分たちの正しさの中で力を持ちますか。
通りすがりの人たちのように、利益を求めて叫びますか。
祭司長たちのように、敵対や争いの中で自分を見失いますか。
強盗の一人のように、自分の罪に気づき、畏れますか。
十人の弟子たちのように、弱さに打ちひしがれて悲しみますか。

あなたが、このうちのいずれであるとしても、また他であるとしても、確かなことがあります。
イエスさまは、そんなあなたを赦すために、十字架にかかったのです。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34)
この言葉は、あなたのための言葉なのです。

どんなあなたも、イエスさまの愛の中、覚悟の愛の中、十字架の愛の中にいるのです。
だから、どんなあなたであっても、どうか目を背けないでください。
イエスさまの愛の中にいる自分を、愛されているあなたを、生きましょう。

あなたのために、お祈りします。



【参考聖書箇所】
☆ あなたの十字架を負って
マタイ
10:38 自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
16:24 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
マルコ
8:34 それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
ルカ
9:23 イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。

☆ パリサイ人と取税人の祈り
ルカ
18:9 自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
18:10 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
18:11 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
18:12 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
18:13 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
18:14 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」

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