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ゴスペルハウスコミュの「祝福の重み(レント-1)」2025.03.08

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ゴスペルハウスメッセージ 2025.03.08
「祝福の重み(レント-1)」マタイ19:13-15、マルコ10:13-16、ルカ18:15-17

マタイ19:13-15
13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。
14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」
15 そして手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた。

マルコ10:13-16
13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

ルカ18:15-17
15 さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。
16 しかし、イエスは幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
17 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

今年のイースターは、4月20日です。
ゴスペルハウスは、4月19日にイースター礼拝を予定しています。
そして、イースターの備えのためのレント(受難節・四旬節)が始まりました。
今週の聖書箇所は、子ども祝福式でよく開いた箇所です。
このできごとは、イエスさまの最後のエルサレムへ向かう途上、つまり、十字架に向かう途上のことです。
なので、今年のレント第一週は、ここから「祝福の重み」というテーマで、御言葉を開いていきましょう。

「子どものように神の国を受け入れる者でなければ」(マルコ10:15、ルカ18:17)
皆さんの中には、この言葉から「謙遜であること、身を低くすること、それが天国への大切な道」というようなメッセージを聞いたことがある人もいるかもしれません。
確かに謙遜は美徳です。
しかし、5人の子育てをしてみて、たくさんの子どもたちを教室や教会で教えてみて、はっきり言えることがあります。
それは「子どもは謙遜ではない」ということです。
そんな謙遜な子どもは見たこともないですし、もし、いたとしたら、なにか問題をかかえているのかもしれないと、心配になります。
直前の『取税人の祈り』(ルカ18:10-14)の文脈が、そのような理解を導いているのかもしれません。

また、「子どものように取るに足りない者」という解釈をする人もいますが、親として、教師として、その意見には賛同できません。
親は子どもを、目の中に入れても痛くない存在として育てているのです。
私自身もそうですし、他の父母も同じです。
取るに足りないなんて言える人は、子育て経験が不足しているのかもしれません。

この聖書箇所の場面で、子どもは「謙遜」でも「取るに足りない者」でもありません。
子どもたちは「場違い」だったのです。
前後の箇所を読んでわかるように、イエスさまは神の国を語っているのです。
加えて言えば、エルサレムへの途上、十字架への途上の、緊張感のある場面なのです。
そんなときに、話の流れを遮るようにして祝福を求めるのは、場違いとしか言いようがありません。
さらに言えば「遠慮なし」です。
彼らは、この場にふさわしくない状態であり、祝福にふさわしくない存在だったのです。
弟子たちが叱るのも、退けようとするのも、無理ありません。

それでも、イエスさまは子どもたちを受け入れました。
ここに、イエスさまの愛、イエスさまの覚悟があります。
ここに、神の国の門があるのです。
「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」という言葉は、説明を加えれば、こうなります。
「子どものように場違いなまま、でも遠慮なく、神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」

「私は十分に善行(祈り・献身・献金・聖書研究・伝道・修行・・・)を積んだから、神の国にふさわしい」という人は、天国に入れないのです。
『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』(ルカ18:11-12)のパリサイ人の祈りそのものです。
一方、取税人の祈り『神様、罪人の私をあわれんでください。』(ルカ18:13)は、まさに子どものように、場違いでありながらも、遠慮のない祈りです。
自分には神の国に入る資格がない、でも、すがる神様がいる。
そこに神の国の門があるのです。
そうすれば、続く金持ちの青年の話(ルカ18:18〜)も、さらに深い理解をすることができるでしょう。

イエスさまが子どもたちを祝福したのは、彼らが「場違い」で「遠慮なし」で「資格もない」からなのです。
そしてイエスさまは、その祝福の約束を成就するために、エルサレムに向かうのです。
マルコ10:32にこうあります。
「さて、一行はエルサレムに上る途上にあった。イエスは弟子たちの先に立って行かれた。弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えた。」
イエスさまの覚悟と決意を感じ取って、彼らは驚き、恐れを覚えたのです。
そしてその場で、イエスさまは三度目の受難予告、すなわち十字架の死について、弟子たちに伝えます。

子どもたちを祝福するため、資格のない者を神の国に導くため、イエスさまはいのちを捨てるのです。
イエスさまは、「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)として、この世に遣わされました。
そのイエスさまが、あらためて、死に向かって覚悟の歩み、愛の歩みを進めるのです。
この祝福は、「子どもが好き」「謙遜が大事」という軽いものではないのです。
イエスさまのいのちがけの祝福、非常に重い祝福なのです。

そして、この祝福の重さは、あなたへの祝福の重さなのです。
あなたは、「場違い」で「遠慮なし」で「資格もない」ままでいいのです。
イエスさまのいのちがけの重さを、覚悟の愛を、あなたのものとして歩んでいきましょう。

あなたのために、お祈りします。


【参考聖書箇所】
☆ 取税人の祈り
ルカ
18:10 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
18:11 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
18:12 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
18:13 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
18:14 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」

☆ 金持ちの青年
ルカ
18:18 また、ある指導者がイエスに質問した。「良い先生。何をしたら、私は永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
18:19 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。
18:20 戒めはあなたも知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。あなたの父と母を敬え。』」
18:21 するとその人は言った。「私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」
18:22 イエスはこれを聞いて、彼に言われた。「まだ一つ、あなたに欠けていることがあります。あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
18:23 彼はこれを聞いて、非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
18:24 イエスは彼が非常に悲しんだのを見て、こう言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。
18:25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
18:26 それを聞いた人々は言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
18:27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」

☆第3の受難予告
マタイ
20:17 さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
20:18 「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、
20:19 異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」

マルコ
10:32 さて、一行はエルサレムに上る途上にあった。イエスは弟子たちの先に立って行かれた。弟子たちは驚き、ついて行く人たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二人をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを話し始められた。
10:33 「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。そして、人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。
10:34 異邦人は人の子を嘲り、唾をかけ、むちで打ち、殺します。しかし、人の子は三日後によみがえります。」

ルカ
18:31 さて、イエスは十二人をそばに呼んで、彼らに話された。「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子について、預言者たちを通して書き記されているすべてのことが実現するのです。
18:32 人の子は異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、唾をかけられます。
18:33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
18:34 弟子たちには、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。

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