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ゴスペルハウスコミュの「まっすぐな道」2023.07.29

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ゴスペルハウスメッセージ 2023.07.29
「まっすぐな道」使徒13:1-13

1 さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。
2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。
3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。
4 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
5 サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。
6 島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。
7 この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。
8 ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。
9 すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
10 こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
11 見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。
12 総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。
13 パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。

今週の聖書箇所は、パウロの第一回伝道旅行の始まりの箇所です。
つまり、パウロの巡回伝道者としての記念すべき第一歩、異邦人への神様の愛の記念碑的なものとも言えるでしょう。

今日はここから、10節にある「まっすぐな道」というキーワードで、御言葉を開きましょう。

第一に、パウロとバルナバの選びは、まっすぐな道だったということです。
パウロとバルナバは、聖霊様が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」(2節)という言葉で選びました。
パウロやバルナバの希望でもなく、人が話し合った結果ではなく、教会の方針や規則に従ったのでもなく、まっすぐに神様が招いたのです。
彼らは、礼拝し、断食し、祈っていましたが、礼拝や断食や祈りが、バルナバとパウロを選んだのではありません。
ただ、神様が彼ら2人を選び、招いたのです。
そして、彼らの人生に大きな意味と使命を与え、現代に生きる私たちにも、信仰の指針を多く残してくれたのです。
パウロやバルナバのような人たちだけでなく、神様は、あなたの人生にも、招きの恵みを、また使命を与えます。
すべての人の人生には、神様の計画があるのです。
そしてその招きは、人々の話し合いの結果ではなく、あなたの所属する団体の方針や命令でもなく、神様からのまっすぐな招きなのです。
それは、あなたの計画や、あなたの希望とは違うかもしれませんが、神様からのまっすぐな道なのです。

第二に、パウロとバルナバの伝道は、まっすぐだったということです。
神様に選ばれた彼らが、ますはじめに行ったところは、「ユダヤ人の諸会堂」(5節)でした。
そこには、過去のパウロのように、キリスト教会への迫害者がいるかも知れません。
実際、この伝道旅行の中で、パウロは何度も迫害にあっています。
たとえ迫害はなくとも、ユダヤ人の諸会堂は、福音が拒否される可能性は多い場所です。
でも彼らは、ユダヤ人の会堂を外すことはありませんでした。
まっすぐな神様の招きに対しての、まっすぐな応答です。
御言葉や福音を、受け入れてもらうために、拒絶や迫害を避けるために計略とか、からめ手とか、そういう裏ワザ的な小細工は用いなかったのです。
あなたが、だれかに神様を伝えるときも、だれかと福音を分かち合うときも、まっすぐな道を通っていけばいいのです。
「ビジネスの成功のために聖書を」とか「家族がうまくいくために礼拝へ」とか、むずかしい計画は必要ないのです。
神様の使命ならば、そのまっすぐな道は、神様が支えてくれますから。

第三に、神様が与える救いの道は、まっすぐということです。
パウロとバルナバが神様から託されたのは、異邦人伝道、異邦人へ福音を伝えることです。
それは、キリスト教会を大きくするためではなく、教会員を増やすためでもなく、イエスさまの十字架の救いを伝え、その完全な救いで一人でも多くの人を救うことです。
そして、その救いは、「まっすぐな道」、わかりにくいものではなく、単純明快なのです。
イエスさまをあなたの救い主として受け入れたなら、その十字架の贖いによって、完全に罪は赦され、永遠のいのちが与えられるのです。
その救いの道は、他に寄り道や曲がり道もなく、まっすぐあなたへ繋がっているのです。
教会や教団を通さなくてはならないものではなく、牧師や神父を介さなければならないものでもなく、神様からダイレクトに、そしてまっすぐに与えられるものなのです。
あなたは、だれからも自由に、救いの道を歩んでいいのです。
パウルスという地方総督にも、もちろん彼は異邦人ですが、神様の愛はユダヤ人を経由する必要もなく、まっすぐに与えられるのです。
しかし、バルイエスは、魔術師としてのエリマは、その道を曲げることで、パウルスに自分の価値を認めさせ、支配しようとしたのです。
福音を利用して、他の人を支配しようとするのは、まったくの間違いです。
「自分がいなければ、あなたに神様の祝福はない」とか「この教団でなければ、神様が悲しむ」とか、二千年前の偽預言者であり魔術師だけでなく、現代も起こりがちなできごとです。
神様は、聖霊様は、パウロを通して、そんなエリマを叱りつけたのです。
エリマは、一時的にですが目が見えなくなりました。
そして、地方総督パウルスは、「主の教えに驚嘆し、信仰に入った」(12節)のです。
かしこい彼は、「厄災を恐れて」ではなく「奇跡を見て」でもなく、主の教えに驚嘆し、信仰に入ったのです。
それは、まっすぐないのちへの道を、自分の人生の道にしたということです。

第四に、神様はまっすぐな道に、あなたを引き戻してくれるということです。
「ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった」(13節)とあります。
このヨハネは、先週のメッセージでお話した「マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。」(使徒12:12)のマルコです。
彼は、伝道旅行が辛かったのか、ホームシックになったのか、パウロと反りが合わなかったのか、もともと甘いところがあったのか、理由は定かではありませんが、エルサレムに帰ってしまいます。
まっすぐな道から、それてしまったと言ってもいいでしょう。
神様の計画に対して、反した行為なのかもしれません。
しかしこの後、マルコはバルナバとともに、再び伝道の旅に出ることになるのです。
神様は、世話や慰めの上手なバルナバを通して、マルコをまっすぐな道へ引き戻してくれたのです。
あなたを招く神様も、あなたの力だけで、あなたをまっすぐな道にとどめようとはしません。
あなたがそこからそれてしまっても、神様は直接、あるいはだれかを通して、あなたを取り戻そうとするのです。
ルカ第15章の3つのたとえ話「いなくなった羊のたとえ」「失われた銀貨のたとえ」「失われた息子のたとえ」は、すべてそれが主題です。
そして、聖書全体の主題は、イエスさまの十字架を通して、全人類が神様に取り戻されることです。

まっすぐな道を、4つの側面から見てきました。
・神様の選びは、まっすぐな道である。
・伝道は、まっすぐな道でいい。
・救いの道は、まっすぐである。
・まっすぐな道に、神様は引き戻してくれる。

これらは、二千年前の終わったことではなく、あなたの人生に起こることなのです。
神様の用意した、あなたへのまっすぐな道を、神様と一緒に歩んでいきましょう。

あなたのためにお祈りします。

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