ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日々の祈りコミュの分かち合いたいこと

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
コミュニティの紹介の説明文を簡略化する為、冒頭の文章をこちらに移転します。


みなさんも分かち合いたいことがある時、こちらに残してみませんか?

コメント(8)

まずは余談で申し訳ありませんが、みなさんと分かち合いたい想い、エピソードがあります。

唐突ですが、たぶん、それが現実であれば神の声を2度聞いたことがあります。

1度目は17歳の時、水泳部引退の日。クラブ活動の最後の日。みんなの苦痛、苦労、希望を背負い、一人だけベストタイムを出す事をあきらめずに、プールで泳ぎ続け、粘った末にベストタイムを出した時でした。
みんなは厳しい練習の結果、体を壊し、ベストタイムが出ず落胆していて。
それならば、俺にみんなの希望を託してくれと。
しかし僕にも故障はありました。スポーツ障害で肩、腰、膝の炎症がひどかった。
さらに寒い季節だったので、水温が低く唇は紫になり、体は硬直しました。
1時間ほど、冷たい雨の降りしきる中を泳ぎ続けたでしょうか。
体からどんどん体温が奪われながら、必死に何度も挑戦しつづけました。

みんなはタオルにくるまり、屋根のあるプールサイドで見守り声援を送り続けてくれていました。

だた、100mの記録のコンマ1秒の壁を破るためでした。

希望を失う。そのことがどうしても嫌だった。希望を捨ててはいけない。あきらめてはいけない。
その願い、生きていく拠り所だった希望というもの。それを信じたい一心でした。

全身全霊をかけ、僕の過去、生きてきた全ての思いをかけ、泳ぎました。

そして、みんなが試合用の掛け声を掛け、プールの淵まで出てきて、集まり大声で試合用の戦いの歌を合唱し始め。僕は湧き上がる嬉しさと、湧き上がる力を感じながら、涙ぐみながら、心の中で叫びながら泳ぎました。

前へ、前へ。ひとかき、ひと蹴りに全身の力を振り絞りました。

そして、ベストタイムが出ました。

朝から降り続ける大雨で、厚い雲だったのに。1年半ぶりに自分のベストタイムを出してプールの水面を両手の拳で叩いて飛び跳ねて、喜んだ瞬間に。
急に上から光が降ってきて、体が光に包まれました。

見上げると、分厚い雲が2つに裂け、僕を中心として、スポットライトのように光が降り注ぎ、プールの水面にキラキラと光の波紋が広がっていくのでした。

それは今まで見た景色のなかで奇跡のように美しい光景でした。

そして、またたくまに雲が割れて行き、快晴となりました。

厚い雲が裂け、光が注いだとき、見上げると、ブイ字の形をした幾つもの光が舞い、声が聞こえました。

「お前を認める 私の子よ 真実を求め続けなさい」

だれだ?と問いましたが返事は無く。気のせいだろう、とプールから上がり、みんなと肩を叩き合って喜びました。みんなは涙を流しながら、まるで自分にベストタイムが出たようだ!と喜んでくれました。
鳥肌が立った、感動した!と。

そのとき、本当に嬉しくて感動しました。そして思いました。
頭で理屈を考えてばかりでなく、こうして体当たりで生きよう。真実を探していこう。希望を持ち続ける生き方をしようと。

その時、まだちゃんと聖書も読んだこともなく。その4年後に職場の人からもらった聖書を読みましたが、その時の光景を振り返り、思い浮かべると、なんとなくその光景が洗礼や祝福のように思えたのでした。

子供の時から親のケンカや暴力や、転校でのイジメに合い、辛かった時、心から祈り、希望にすがって生きてきた、ということはありましたが、初めて聖書という本、宗教に触れたのは、その21歳の時でした。

故に、祈るということは、宗教以前に僕の中にあったもので、なによりも心の糧でした。
世界の平和、自分を含めた子供たちの救いがあるように祈り続けてきました。
世界の子供たちを救える神様ならば、僕一人を助けることもできるだろう、というのがありました。
だから、僕が助かろうと祈るとき、必ず世界の同じく苦しむ子供たちと一緒に助かるように、と願いました。

2度目は、25歳の時。窓もない部屋で、夜勤に備えて、眠ろうとしている時でした。
昼でしたが、部屋は真っ暗でした。

その時、眠る前にと、祈っていました。世界はどうなってしまうのか?どうか救いを。と。深く深く祈っていたのでした。

祈りの中、眠りに着こうとした時、声が聞こえました。

「見なさい 山へ2つの虹を架ける ひとつは現実の為の虹 もうひとつは希望の為の虹」

その声を聞いたとき、自分は寝ぼけているんだとクスクスと笑いました。
しかし。

外から人が、はしゃいでる声がしました。虹が出てる!と。
僕は布団から飛び起き、廊下へ出て大急ぎで空が見えるベランダへ向かいました。
すると、山に2重に虹が掛かっていました。

僕は思わず鳥肌が立ち、震える声で呟きました。
本当だったんだ。二つの虹。一つは現実の為。もう一つは希望の為。

現実にも希望の為にも、その両方に祈り、願いを込め、思うことが大切。そういう気がしました。

ここへ書いたのは、言いたいことがあったからです。
この二つの虹のことを、必要とする人に。
あなたの心の中で意味を持つ言葉になるような気がして。

そしてプールの件もそうだけど、僕がもし、本当に神の声を聞いたとしても、特別じゃないと思うからです。

仮に、それが真実の出来事であって、僕が特別だとするならば、僕以外のみなさんも同様に特別だと思うからです。

みなさんも特別な存在で、仮に声が聞こえても聞こえなくても、とても大切な存在だと思えます。
そのことを伝えたかった。

全ての存在の上に、虹がかかる。それが真実の姿だと思うからです。
長くなりましたが、特に言いたかったことは、以上です。

みなさんに祝福がありますように。救いがありますように。
分かち合える幸せがありますように。
私は20歳のころ。自らの粗暴な性格を直したいと思い、その時の仕事の同僚の人に、そう話しました。
その人はエホバの証人だと、秘密を話すように話してくれました。

私は、その人の温厚な性格、穏やかさに感銘を受けて、その人のようになりたいと思いました。

ただ、私は、特定の宗教に入らないことを、自身の掟のようにしていました。
結局私は、今も、どの宗教にも属していません。

その人は、私に、聖書をプレゼントしてくれました。
そして、仕事が終わり、夕方から30分間、毎日のように公園のような場所の、テーブルと椅子に座り、教えのような、授業のようなものを受けました。

ある日、木漏れ日と風が心地よい中、私たちのテーブルの周りに何十羽というスズメが集まり、そして羽を休め、ひざを折りたたみ、一斉に目を閉じ、眠り始めました。

自分の足元にも、すぐ傍にも沢山のスズメが居て、彼らは眠りました。

講義をしていたその同僚は、口元に人差し指を当て、声を立てないように目配せしてきました。

5分か10分ほど経ったころ、私たちが立てた物音ではなく、何か他の大きな物音にスズメ達が目覚め、飛び去っていきました。

木漏れ日の中、風の音だけが流れ、そこには静寂がありました。


私達のテーブルが、穏やかだったからでしょうか。
鳥達が目を閉じて眠る光景を、間近で見れたのは、あれが初めてで最後でした。


私は、聖書というよりも、信仰心というよりも、あの静寂の中に神が居たのだと感じました。

ひたすら穏やかになりたい、粗暴な性格を直したい一心で、講義を聴きました。
その思いが、神を感じる心なのかもしれません。


ある時、大会が開かれ、何十という家族が集まりました。
壇上でスピーチをする女性、男性、たくさんの人たちが入れ替わり、話をしていました。

私は、その言葉を何も覚えていません。

しかし、ある愛する夫を失った年配の女性がスピーチしたあとの、たった一行の、締めくくりの言葉だけは鮮明に覚えています。

涙ぐみ、心から搾り出すように話した、その言葉は。
「生きている夫と、生きている私で、もう一度、会いたい。あの人に会いたい」
でした。

キリスト教で異端とも呼ばれるエホバの教えは、天国で魂として生きるのではなく。
甦り、生きた生身の人間として、また命を与えられる。それは永遠の命だということです。

その婦人は、その教えを信じ、生きる糧としていたのです。ただそれだけを頼って。

私は、胸を打たれました。
異端だろうか?異教だろうか?いや、そうは思えない。

そう信じる人の、生きる力になっている。
信じることが、悪いことだろうか。
また、生きてるあの人に会いたいと、ただそれだけを願って懇願する祈りが、邪悪だろうか?と。

そう願う心に、邪さはあるだろうか?と。

私は涙ぐみました。私はそこにも神が居ると感じたのです。
愛する者を失い、そしてまた会いたいと願う心の中に。
ただそれだけが胸に残っています。

1年半かけて、与えられた聖書を全て読みました。
聖書の中の言葉が、違うと、色んなキリスト教の人たちから言われたので、その後、プロテスタントの教会に通い、その違いを読み返し、確かめました。

確かに、文章は少し違っていましたが、意味は同じに思えました。

教えが違ったり、戒律が違ったり。宗派が違うと、敵同士のような、そういう雰囲気もあります。


みなさん。思い出はありますか?心の中に良い思い出、悪い思い出、たくさんあると思います。

時には、良い思い出を心の中に巡らせて、あの頃に帰りたいと思うことも、大切なことなのかもしれませんよね。


私には、良いも悪いも分かりません。
宗教についても、同じです。

祈りにすがる人々のことを、分別できるほど、私は完全ではありません。
いまもまだ、どの宗教に属するかということで、人を否定できないままでいます。

ただ、私は、祈らずにいられないような時に、祈ることを許されることを、願うだけです。

心の拠り所、糧として。すがる時に。そう願うときに。
私はただそこに居る神に、祈るだけです。

死後の世界があろうとなかろうと。今の私には肝心なことではありません。
ただ生きていて、そして祈りだけがあり。
行いが元で救われようと、救われまいと、それはどうでもよくて。

信じるからそこにあるのではなく、信じる者だけが救われるのではなく。
ただそこに神が居るということだけが、おぼろげに分かるだけなのです。

私にとって、信仰とは、あの日の木漏れ日であり。心地よく木々の葉を揺らす風なのです。
ただ穏やかになりたいと願う、心と思いなのです。
20歳の頃。
聖書を読破しようと通勤の中、電車の長椅子の座席に座りながら、聖書のページをめくっていた時、目の前に吊革につかまって立っていた若い女性が突然声をかけてきました。

それ聖書ですよね?と。
私は、はい、そうです。とだけ答えました。

その女性は、次の駅で降りていきましたが、その駅の近くに教会があるので良かったら今度たずねてくださいとだけ、伝えてきました。

私は次の週、尋ねてみました。プロテスタントの教会でした。

交流を持ちながら、自分と向き合いました。
ちょうどその頃、知的障害が少しある、同年代の男性と友人になりました。

彼は、17年が経過しようとしている今日も、友人のままです。

ここ5年ほどは、日本語になっていない、意味不明なメールを毎日のように送ってきます。
昼夜を問わず、迷惑なので、相手に迷惑だと告げました。

返事は返さなくていいから、読んでくれるだけでいい。読まなくてもいいけど、届いてるだけでいいんだ。

という、彼の言葉に、私は了承し。
いまも着信拒否にしないでいます。

一年の間に彼に返すメールは、彼が本当に落ち込んでいる時に励ますときだけにしています。
だからこちらからの返信は、年に一回あるかどうかです。

目を通すこともあり、通さないことも多々あります。
正直、うんざりするほど、意味不明で、誤字だらけで自己中心的な内容ばかりだからです。

たまに、聖書の一部を送ってくることがあるのですが。
先日、聖句を送ってきた言葉は、ちらっと読み、そしてその言葉は心に留まりました。


「主は愛する者を訓練し、受け入れるすべての子を、むち打たれるのである」
ヘブル人の手紙12:6 口語訳


私は、あらゆる宗教の経典の中だけに神の言葉があるとは思えません。それは普段の何気ない生活に、言葉として、あるいは、言葉ではない現象として溢れているからです。

逆説で言えば、経典の中にも平等に神の言葉はある、ということです。

だから、聖句であってもさらに好ましく思えたり、思えなかったりということはありません。

あらゆる偏見を心に置かず、その文章を見たとして、その言葉は心に留まりました。


愛のある中で、むち打たれるのならば、耐えられることもあるのではないか、と。


そう思えました。
忘れる前にメモしときます。

ここ数日、何度か少しだけ神様とリンクするというか接点があるというか、共鳴する妙な感覚がありました。

たいてい気のせいみたいに何事もないんですが、今回の数回は少し感覚が違ってて。

救いに関することで、少し言葉を受けました。単なる夢の中の出来事ですが。

「セラフィ」と「ブリストム」という存在を探しなさい。というもので。

私が探せるといってもネット上での検索くらい。

セラフィについては、聞いたことなかったし初見の言葉でしたが、ネット上ではこうありました。


フランス語で「天使」を意味する「セラフィム(seraphim)

語源は「燃える」、「炎のような」を意味するそうです。
天使の世界は9段階あり「セラフィム」はその内の最高位に
位置し、常に神の王座の周囲にいて、彼らは「愛の精霊」と
呼ばれています。
人間を聖なる愛(高貴な愛)へと導いてくれます。

セラフィーはセラフとか、織天使とか言われるもので、
9階級ある天使の最高位に位置するものです。

4大天使というのはかなりポピュラーなので知っている人も多いと思います。
ミカエル、ラファエル、ウリエル、ガブリエルの4体を、最高位のセラフィーのなかでも、他とは別格として4大天使と称します。

だそうです。




ちなみに、私自身は聖書に記述のないこれらの天使達の名前や呼び方に興味を持ってませんし、信じていません。

信じる人にとっては大切なものなんだろうな、というくらいです。

すいませんね。宗教観がキリストではないので・・・

プロテスタントでは、ミカエルとか言わないんで、どっちかいうとカトリックのほうなんですかね?
自分はプロテスタントなら少しは知ってるんですが・・


私はキリスト教徒ではないのです。どこの教徒でもない、というのが一番正しいのですが。


あと、ブリストムですが、プリストムかもしれなくて、発音がハッキリしてなかったんで、色々調べたんですが。ブリストムでは見つかりません。

ブリストでは、胸という意味で、水泳ではブレストと言えば平泳ぎです。私が高校の時にベストタイムが出た時に、神様からの声らしきものを聞いたのも、ブレストを泳いだ時です。どうでもいいと思いますが。


さらに調べて、プリストムから、プリストン、プリンストンと発音されるなら、英国にあるそうですね。
プリンストン市の近くに、セラフィなんとか、っていうのが見つかりましたが、おそらく単なる偶然の一致。
何もないでしょう。


というわけで、ブリストムという存在だけ、宙ぶらりんです。意味、わかりません。


もうちょっとネットで調べてもいいんですが、疲れたらやめます。


今回、記すつもりになったのは、救いをあらわす夢をみて、聞いたことの無いセラフィという名前が、最高位の天使であるらしいこと。

夢の中では数十の名前の中から、救いを行う者であるセラフィを私が選びました。


救い、ということと、天使であるということ。


何か関連があるのかもしれませんね。

天使を信じる人にとっては、意味のある言葉にもなるんじゃないでしょうか??

私の場合は、天使のような存在(世界の宗教を含む、日本の神道も仏教も含めて)
みたいなふうに解釈しました。
私の性格上、特定の宗教に捉えることが無いので。


とりあえず、救い、関連なんだな。という曖昧な解釈に留めました。


あとひとつ、どんな時でも笑いなさいっていうようなメッセージもありましたよ。


これは、努力したら個人レベルで、できそうですね。

笑いかあ・・
コメント5へ追記  そのあと、ちょっとセラフィムについて調べたので 参考まで。

ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A0

ん?フランス語じゃなくてヘブライ語って書いてある。
http://homepage3.nifty.com/onion/monster/seraphim.html

ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%BE%E5%A4%A9%E4%BD%BF

はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%DF%F5%C5%B7%BB%C8

単数形はセラフ、複数形がセラフィムらしい。
5のコメントについて ブリムストン 聞いた言葉の発音で一番近いのを見つけた。

辞書より 
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/11237/m0u/brimstone/


brimstone


音節
brím • stòne

[名]
1 [U]((古))硫黄(sulfur)
fire and brimstone
地獄の業火.
2 《昆虫》ヤマキチョウ(brimstone butterfly).
[BURN+STONE]
brím・stòn・y
[形]

ふむ・・・硫黄・・・地獄の業火?なんでこの訳?? 火と硫黄・・・そういやこの記述、聖書に出てるんじゃない??違ったっけ。

焼けた石??


聖書つながりの言葉を聞いたってことなのかな??いや、はやまるのは良くない。まったく関係ないと考えるのが普通。だよね。

地獄(キリスト教)ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84_%28%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%29

なるほど。
ゲヘナ。ソドムとゴモラ・・火と硫黄の燃える池。

それで地獄を表してるんだな。

しかし、救いに関する夢で、この二つの対極に近い文字って、興味深いね。

偶然とはいえども、まったく知らない聞いたこともない言葉だし。英語だし。英語苦手だし。

硫黄って、ずっとサルファーのほうだと思ってたしなあ。。


救いについて
最高位の天使 織天使という意味のセラフィー。

硫黄ブリムストン fire and brimstoneで地獄の業火か。

あと、どんなに辛くても笑っていなさい。とは。

意味深だねー。.


ちなみに、個人的な神様とつながる感覚だけど、夢だけじゃなく、起きててもあるんだよね。
夢のほうが珍しい。

妙なもんだな。あんましこういうの書くの好きじゃないんだけど。

現実主義者なんで。

基本的に、霊能力者は好きじゃないし。そうだから当たり前のように自分が霊能力者のように話すことは、すごく毛嫌いするので。

神様とつながる、としか言いようのない感覚だから、そう書かざるを得ないんだけど。
それ以外の言い方だと・・・なんだろ。

剥き出しのもの??が一番近いか。

殻も表皮もない、そういう感覚??

物で例えるなら、皮をむいた葡萄みたいな?


たわごとだよね・・・笑えるけども。何事も真剣に捉えないとね。という基本姿勢なので、たわごともしっかり調べてみる。

たとえたわごとだとしても。
でも、もしかしたら、だれかの救いの光にもなるかもしれないからと思って。あえて書き残してみた。


信心というもの、信仰、霊的なもの、そういう定義しにくいものは私は、他人の事をどうと言うこともできないが。


私はその手前と、その向こう側にある、祈りだけは別格で大切と思ってる。


祈りは全てだからね。私個人としては。祈りから全てが生まれるのは、心があるからだから。


何の信仰にせよ、心や愛のないものは、殺戮や争いを生んでしまう。

宗教も偏っていくと、人を差別してしまう。


同じ人間なのに、宗教が違うだけで対立して破壊しあうのは、とても悲しいことだと個人的には思う。


争わずに、手をつなぎ、平和について語り合えないものだろうか。


人種や、国、肌の色が違うことは、そんなに差別的なことだろうか。


だれもが平和を望み、歩み寄れば、道は開けるのではないだろうか。


私の信仰は、宗教ではなく。
人の心として、ただ平和と調和を願う、祈りそのもの。

この地球の上にある全てのものが、手を取り合い、互いに助け合うこと。


ただそれだけです。


なので、宗教のこと、よく分かってないのに書いてしまってごめんなさい。

みんな、宗教や人種、国にかかわらず仲良くして欲しいです。
2014年の初日の出です!
太平洋の圧倒的な自然を前にして謙虚で穏やかな気持ちで 一年の幕開けができました。
皆さんにとって善い一年になりますように

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日々の祈り 更新情報

日々の祈りのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング