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ein leben http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=105&bbs_id=31054177
 
cocktailparty-effekt http://zhp.jp/uA71 CP:http://zhp.jp/QKjT

↑ 2010/07/07...

コメント(15)

 


最近過去をよく振り返るもうやだ〜(悲しい顔)

唐突で瞬時に色々と。
その中の1つ、忘れられない想い出

小学校1年生だったか…

ほんの数ヵ月間だけクラスにいた外国人の女の子。

何処の国の子かもどの時期にいたのかも、もぅ覚えてなぃんだけど、小柄で肌の色は黒めのアフリカ系の子だった。(気がする)

外国人を物珍しく思う幼かった私達は、言葉も通じないその子にあまり近寄らなかった気がするあせあせ(飛び散る汗)

ある日の授業で、私は図書室に返却しなければいけなぃ本を自宅に忘れてしまい、泣いてたあせあせ(飛び散る汗)

それだけで?(白)って今考えるとバカバカしぃけどその時は重大なミスあせあせ(飛び散る汗)

クラスのみんながちゃんと返却していく中どぅしよぅかとただただ泣いていると、彼女がそっと私の肩をたたいた。

そして、自分の持っていた本を差し出し、私に返却するよぅに促した。

私は驚いたダッシュ(走り出す様)

言葉が通じなくても、私が何故泣いているのか、何をしたぃのかを解ってくれていたから。

あの子の事が未だに忘れられないわーい(嬉しい顔)


言葉なんて関係無い!
と気付かされた瞬間だった泣き顔ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

人の感じ方、表現は言語に関係無く共通だ

と幼いながらも実感したあの一瞬だった。

それからすぐ女の子は母国に帰ったんだけど、今何してるんだろ〜とか、覚えてるかなとか、働き出した今でもふと思い出すほっとした顔
会えるものなら会ってみたいなぁぴかぴか(新しい)
 






(『 『ありがとう』と言いたい』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=Gu8XNnGp2gk&fmt=18↑)
 
 

夕食のあと、ベッドに寝転びながらラジオを聴くのが日課になっている。

美味しいお料理をいただき、満腹になり、満足し切ったおなかでほくほくと部屋へ向かう。

ベッドとは反対側にある灯りをともし、ごろんとベッドに寝転びおもむろにラジオのスイッチをぽちっとひねる。

このラジオは数年前、近所の量販店の家電コーナーで購入したものだ。

白いのでほこりが目立ちやすいのが難点だが、なかなか重宝している。

われながら役に立つものを購入した、と悦に入っている。

ラジオとCDとカセットが聴ける簡素な作りのもので、最低限の機能しかついていないが、機械に疎い私にはこれで充分である。

そのラジオから外国のテンポの良い音楽や、DJのいささかわざとらしいほど陽気な声が流れてくる。

顔が見えないのに、いや、顔が見えないからなのか、声の持ち主に何となく親しみを感じる。

DJの提供する陽気な話題とは逆に、ぼんやりと灯りのひとつだけついた部屋で私はしだいに落ち着きを取り戻してくる。

いかにも満足気にベッドから腕をだらんと垂らしてみたり、横向けになってみたり、仰向けになって思い切りのびをしてみたりを繰り返す。

体と心と、外界を取り巻く自然のリズムが調和してきて、とくとくと時を刻み始める。

この時間を愛している。
 






聴覚以外の感覚が自由に使え、想像力に委ねているせいか、ラジオはテレビより自由になれる気がする。

居間からはゴールデンタイムのテレビの、けたたましい笑い声が聴こえてくる。

テレビは時に疲れる。

もちろん観ていて楽しいものや感動するもの、ためになるものも多いが往々にしてそう感じる。

朝から晩までこちらが必要ともしていない情報を流し続ける。

少し前、「サザエさん症候群」という言葉がはやっていたが、日々暮らしていてその時間の特性や雰囲気を、時間ごとに区切られたテレビの番組によって決めつけられてしまうことが多いような気がする。

そして「この番組の時はこれをしなければならない」と、時に憂鬱になったり、慌しく過ぎ去ってしまう。

テレビを消して、時そのものをゆっくり味わってみると、自分が今この瞬間に本当にしたいこと、しなければならないことというのが、心の奥深くから自然と聴こえてくるような気がする。

時を味わい、人間の心と体と自然界との調和、リズムを一致させることによって、最高に心地良い状態が生まれ本来の時のリズムのなかに溶け込んでゆけるように思う。

如月、十六夜、水無月、夏至、立秋、寒露、立待月、霜降…

昔、テレビもラジオもまだ存在しなかった時代、人々は惑星の運行や時に美しい名前をつけた。

自然の時のリズムと人間本来のもつ体内時計のリズムが分断されず、美しく調和されていた時代。

人間は惑星の運行や季節の移り変わりの中に存在し、決してそれらのリズムから切り離されてはいけない。

テレビやラジオ、パソコン…、文明の利器の恩恵を十二分に享受しながら、時折それらの存在しなかった時代に想いを馳せてみる。

研ぎ澄まされた五感の自由な遊びと、それらで聴く宇宙のリズムはとても心地良さそうだ。
 






(『ラジオの時間 その1・その2』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=YwxsWIYJI2A&fmt=18)
 
 

東京で作品を作っていた時の事を思い出した時、その時に出会った人の記憶が甦ってきた。
 
とある年、彼女が受け取った、とある年賀状の差出人が分からず少しの時間悩んだそうだ。
 
文面は以下。
 
「未来の私へ。
こんにちは。
ちゃんと生きていますか?
元気で生きていますか?
私は過去からあなたを見守っています。
元気でいますように。
幸せでありますように。」
 



それは、1985年の筑波科学万博の企画「ポストカプセル2001」で
2001年の元旦に届けるというものがあって
過去の自分が未来の自分に送った年賀状だった。
 
当時、彼女はまだ小学生ではあったが
未来の自分について考えた時、
病気でもう生きてはいないだろう・・・・と思いながらも
未来を心配しながら書いたという。
 
「まだ子供なのに随分未来を悲観してたんだなあ。
でも、それでも子供心に“幸せになって欲しい”と
強く願っていたんだなあ」と感じたという。
 
とは言え、その年賀状を見た時、子供の頃に悩んでいた事を思い出したという。
テストの点が悪かった。
お母さんに怒られた。
運動会でビリになった。
 
今となってはそんな事で人生が終わるわけではないのに
あの頃は真剣に悩んでいたよね・・・・。
と数人で言いあった。
 
きっと今、私達が真剣に悩んでいる事も
あと10年、20年すれば
「なぜこんな事で悩んでいたんだろう・・・」と
思う時が来るんだろうね・・・・。
いつか笑って「それがどうした」ってくらい
悩みをどんどん突き抜けて生きていくのかもね?
と言って我々は別れた。
 
彼女は編集者としてまだ頑張っているだろうか?
 

東京、私はその地へ行くたびに、その記憶が忘れられず
「何がなんでも生きなくちゃ!」と
思うのです。
 




(『過去からの手紙』
2010/08/14 19:22↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓ 
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.youtube.com/watch?v=h-KTsUMEoNM&fmt=18↑
http://www.youtube.com/watch?v=hAoyWYcNcIA&fmt=18
http://www.youtube.com/watch?v=I-03LjcEnqU&fmt=18)
 
 

“あいちトリエンナーレ2010”に先日、行ってきました。
各会場で展覧会が行なわれていたり・街頭に単体でオブジェが設置されたり・しています。
「トリエンナーレ」は3年祭みたいな意味で、3年に1度で繰り返し催される大規模な(この場合は)芸術祭のことです。
内外の著名な芸術家が招待されたり・新鋭の作家が紹介されたる場であったりします。
こうした芸術祭はもともと、欧米の芸術が盛んな街の美術館で開かれていたんだと思います。
しかし施設規模に作品数が収まらなかったり・作品規模としてインスタレーション(機材を使用する作品)など大規模化した空間作品が増えたり・などにより、有志で市内の倉庫や空店舗などを借りて同期間に展覧会を開いたりしてゆきました。
そうしたなかで開催地が美術館から街全体という規模に膨らみ、今あるような形式が作られたよう。
美術にあまり興味がない人には、例えば賑やかな祭りと・こうした芸術祭と・を比べると芸術祭が大規模化するのは難しいと感じるかもしれません。
しかし芸術祭はただの祭りだけでなく、骨董市とかモーターショウなどの「市場」ともいえる、新人発掘などの場でもあるのでしょう。
ただ、名古屋など日本の地方都市で開かれる場合は趣が少し違い、80〜90年代に流行った地方博のような、国際的な発信というよりは街興し公共事業といった風情なのかなと感じます。
「2年祭」のビエンナーレというものも。
cf.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC
 
ということで名古屋駅に降りたつと、久しぶりに来たせいで街並みはかなり変わってました。
まず高層ビルがニョキニョキ増えていて、思わず見あげてしまった。
駅自体が巨大な総合ビルとして数年前に建てかえられ、このビルの高島屋に展覧会場があると聞いてたけれど、そこは8月末までの限定でした。
 
並んだりする混んだランチが嫌で、11時と少し早いけど店へ。
いわゆる飲食店街を避け、高島屋の各階に1つずつある飲食店から ハンバーガー レストランを選んで入ってみる。
といっても、そんなにお腹は空いていなく、サンドイッチとバドワイザーを頼むことに。
窓越しには「大名古屋ビルヂング」のビル ボードとビア ガーデンの眺め。
一昨年だったか、あそこでオフ会を開こうとしたら予約満席で入れなかった出来事が思いかえされました。
 
あいちトリエンナーレは芸術祭とはいえ、油絵・絵画などいわゆる古典的な美術は少なく、時間芸術(オペラやパフォーマンス)や現代美術(オブジェやインスタレーション)が中心で、そうした作品と次々に対面していると、何だかここがここではないような、..特別な時空や存在感が横たわっている気がしました。

 
comment=4
PC:http://mixi.jp/view_event.pl?&page=1&id=52807230
CP:http://mixi.jp/view_event.pl?&page=1&id=52807230&readmode=start
 
僕の管理するコミュニティに参加してくれている、あるマイミクさんから昨夜、このトリエンナーレを観に愛知へ来るので一緒に、という連絡がありました。
10/9(土)・10(日)にトリエンナーレを回りたいそうで、これには友人の女性も同行するそう。
また別のマイミクも来るかもしれないとのこと。
まあ現時点で最大4人ならオフ会として参加者を募集したらいいな、と。
 
来たる10/9(土)の昼・夜それぞれでこのトリエンナーレのオフ会を開きたいと思います。
昼は作品巡り・夜は夕食(酒宴)が主です。
詳しい時刻・場所は未定ですが、昼なり夜なりもし参加されたい方は、上記のトピックに登録するか・僕までメッセージをください。^_
 



http://www.youtube.com/watch?v=_TPevRb_SNk&fmt=18↑
 
 


恩師という言葉を

想い浮かべ

恩 感謝 を伝えたい人を
思い出していました。

私はいまでこそ、人前で講義したり、誰とでも話すことができるようになりましたが、小さな頃は、極端な引込思案で内弁慶な子供でした。
だから、宿題をやってきた人! と言われても、やっているのに手をあげなかったり、言いたいことも言えずに、一人ぼっちでいることが多い暗い子供でした。
劣等感の固まりでした。
小学一年の時の女性の担任には、はっきりと、私はこういう融通がきかない、何を考えているかわからない子供は嫌いなんです! と言われたくらい涙
これ今の時代ならかなりの問題発言ですよね。
 
ところが、学年が変わって、大橋先生という男の先生になった時、はじめて、今までにないくらい褒めてもらえました。
みんながやり残した掃除を黙ってしていたりすると、
やあ、すごいな。気遣いが素晴らしいよ。
と言ってくださったり、具合が悪い子が嘔吐したとき、背中をさすっていたら、
ナイチンゲールになれるよ。
とにこやかに言ってくれたり、なによりも、大橋先生に教えられたことは、言葉の素晴らしさと文章を書く喜びです。
私は頭も悪かったし、全てにおいて劣等感だらけだったのに、ある日、作文を選んでくださり、
着目点が人と違うことを誇りに想いなさい、
と文章を書くときの文章の組み立てかた、言葉の選び方など本当に丁寧に放課後に教えてくださいました。
みんな、笑っちゃうかな?
そのとき書いた野毛山動物園の作文は神奈川県で優秀賞を取りました。
これが私のたったひとつの勲章かな(笑)
大橋先生はいつも変わらぬ態度に笑顔でした。
その後私は転校し、大橋先生とも連絡は取れなくなってしまいましたが、私にはじめて自信と笑顔の素晴らしさを教えてくださった恩師です。
探しだせるならば探して、心からお礼をいいたい気持ちです。
 
大橋先生に教えて頂いた文章を書く喜びや表現する喜びは今も心の支えです。
褒めて育てる。
笑顔で見守る。
個性を伸ばす。
教師として一番に大切なことを実行なさった先生でした。
今もお元気かな。
浦島小学校、私の大切な思い出の詰まった学校です。

プリザーブドフラワーは、次の講座でリースに香りをつけるというテーマで見本に作ってみました。
私が教えているのは、大人の生徒さんですが、大橋先生のように個性を大切に心を汲めるような、そんな人間関係を作っていけるように目標にしたいです。
 




(『大橋先生』
2010/09/08 23:54↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.youtube.com/watch?v=4QpNrSvHA_w&fmt=18↑)
 
 


 はずかしながら。

 わたくしが、作詞・作曲をした歌が、この世に存在していたりします。

 存在しているだけです、流通はしていません。

 そんなこと言ったら、おれにだって、わたしにだってと仰るかたがいるでしょうか?

 一応、my song は、自分以外にその存在を知っている人がいちゃったりします。

 そういう意味で、この世に “存在して” います。“認識されて” いる、と言い換えてもいいかもしれません。

 なんとなく、こはずかしいものですね。いわゆる『真夜中に書いた手紙』でも読まれているようで...。

 存在するって、こっぱずかしいものなのでしょうか。認識されるって...。 生きるって...。(以下略)



 さて、先日、友人のライヴを観賞しに行きました。その友人のライヴを観るのは、かなり、ひさしぶりでした。

 なんとなく、なんにも言わないでいきなりライヴを観に訪ねて行って驚かせてみようと思ったのですが。

 わたしのほうが逆に驚かされました。

 その、わたしが作った歌をいきなりうたいはじめたからです。
 最初は、なんの曲か分かりませんでした。なぜなら、旋律が違っていたからです。
 けれど、詞は、わたしが書いた(存在させた・認識させた)そのままの、一字一句変わらないものでした。
 人は、予測もできないことが起こると言葉を失うものなのでしょうか。

 それまでノリノリでライヴを観ていたわたくしでしたが、思わず顔をそむけ、黙り込んでしまいました。
 で、そのまま何事もなく、次の曲へ行ってくれれば良いのに。友人ときたら、その歌の成り立ちを説明しはじめてしまいました。
「さっきの曲は、今そこにいる○○○○(私の名前)さんが書いた曲……の詞だけを頂戴して、勝手におれなりのメロディーをつけました。べつに○○さんの曲がだめってことじゃないんだけど。自分でうたう歌は、自分のメロディーでうたいたかったのでそうしました」
 とかなんとか。
 いやあ、あせりますね。なんの予告もなく、心の準備もなく、自分の隠された過去を暴かれたようで、ひさしぶりに冷や汗をかきました。しかも、びっくりさせようと思った相手に 100倍にして返されたようで。やられたという気持ちでいっぱいでございます...。
 ところで、一緒にそのライヴを観に行っていた女性の友人から、
「勝手に曲を変えられたりして。いいの?」
 と聞かれました。
 ふむ。たしかに、ちょっと考えると、失礼な ...ということなのですかね?
 でも、なんとも思いませんでした、いえ、むしろうれしく思いました。
 よく、メロディーだけもらって、詞は自分のオリジナルでうたう、というのは聞いたことがあるような気がします。が、その逆、というのは、めずらしいような気がします。
 曲じゃなくて、詞なんだ、というのが意外でもあり、また、だからこそうれしかったのかもしれません。
 わたくしの場合、特にその歌に関しては、一番伝えたいところは、詞です。その詞をうたいたいが為に曲をつけました。ええ、若かりしころ。ああ、はずかし。
 ですから、その歌に関しては、詞を伝える為に、メロディーが、あります。
 もし、詞が大切な荷物だとしたら、メロディーは、それを載せて運ぶ乗り物のようなものなのです。
(で、歌い手は、その乗り物を運転する運転手?)
 まあ、ですから、乗り物がなんであろうと、わたしの伝えたかったこと(=詞)が運ばれてゆけば、それで十分だ、と思うのです。
 伝達方法は違えども、詞は、運ばれてゆくのです。
 そして、日々は続いてゆくのです。
 そんな、秋晴れのある日の出来事でございました。
 # ほんとはね、詞と旋律とが一体となった、もう、それ以外の組み合わせも、それ以上の組み合わせも考えられない楽曲 ...というのが理想形なんでしょうか?
 



(『I'm Your Vehicle, Baby』
2010/10/01 19:51↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://m.youtube.com/watch?v=eimjmlWiP9I↑)
 
 


彼女のことをよく考える。
どんな気持ちだろうと思ってみるけど、想像しきれない。

飛んでいきたい
違法トンネルをくぐってでも行きたい
ただ、会いたい・・。

そんな、言葉にも もうできないほどの切望、
そして毎日突きつけられる現実に絶望、
それでも家族との対話を欠かさず・・

ガザと日本とのギャップ。
日本社会にあって一人だけこころがガザにある孤独。
ガザの家族とともに生きているのに一人だけ日本にいる孤独。
日々は過ぎていく。葛藤、希望、絶望の繰り返し。


一度お会いしたことがある。おっとりとしているのにお茶目、とても可愛らしい声の人だった。側にいるだけで癒されるようで、もっとたくさん話が聞きたかった。

その後起こったあの2008年から9年にかけての「ガザ紛争」のとき
離れたままでいる家族の身に、いつ何が起こるか分からない状態で・・

いや、その時の話はいまは止めておこう。
私がいまここで話すべきではないような気がする。


それより、私がお伝えしたかったこと、いや彼女から下のニュースを通して受け取ったメッセージは、人生は続くということ。

どんな状況にあっても、どんな経験をしても、命のある限り人生は続く。

人生の続く限り人は生きる。

彼女が元気でいる姿を見ることができて嬉しかったのと、
着実に何かをやっていく実行力に感心感動感銘感服・・・なんて言ったらいいんだろう?

早速飛んでいってすごいねーがんばってるねーよかったねーえらいねーごめんねー

って言いたい。


http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865


彼女は例え一人の力でもパレスチナを占領から開放させようと努力するだろう。
ガザの封鎖を解けと一人でも訴え続けるだろう。

パレスチナに関する講演会や報告会がもっと手軽に開けるような場所が必要で、それを自分で作っちゃったんだろうと思う。

イベントのない時でもみんなが集まれるような、少しずつでも、一人ずつにでも何かを伝えられるような、そういう場所にしたいんだろう。
とっても彼女らしい。

カフェは彼女が仕事の休みの日にだけオープンするようだ。

前もって電話をするようになっているらしい。

彼女の健康と家族との再会と、パレスチナの解放、すべてうまく行きますように、祈るばかり。
 




(『飛んでいきたい』
2010/10/07 18:35↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
エルサレム在住、ある友人の日記。
承諾を得て転載しました。
 
2010/10/06 西日本新聞朝刊
『パレスチナのブックカフェ開店へ 早良区の藤永さん』
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865↓
 
> 中東のパレスチナに関する書籍を中心にそろえたブックカフェ「ヤスミン・ライブラリー」が24日、福岡市早良区西新にオープンする。店を開くのは、パレスチナ人の夫(38)を持つ同区の会社員、藤永香織さん(39)。夫ら家族8人はパレスチナにいるが、イスラエルによる封鎖で会えない日々が続く。藤永さんは「パレスチナを幅広い視点で知ってほしい」と、個人で集めた約200冊を同店で公開する。
> 藤永さんは大学時代にイスラエルやパレスチナを訪問。卒業後の1997年から2年間、パレスチナ自治区のガザ地区にある障害者施設でボランティアをした。2001年に結婚したが、イスラエルから配偶者ビザが発給されず、観光ビザでガザに滞在していた。
> 反イスラエル闘争が激しくなるにつれ、イスラエルはガザ封鎖を強化。藤永さんはエジプトで夫と面会していたが、06年を最後に会えていない。家族と暮らしたのは通算でも8カ月ほどという。
> 藤永さんは、パレスチナの取材経験があるジャーナリストを福岡に招いて講演会を開催している。だが、「継続的にパレスチナのことを伝えることが必要」と考え、同店の開設を決めた。
> 店は西新4丁目のマンションの一室。店名は、パレスチナでの藤永さんの愛称で、アラビア語で「ジャスミン」の意味。
> 書籍はパレスチナだけでなく、イスラエルやイスラム教に関する専門書、滞在記など幅広い。また、現地のオリーブオイルやハーブを販売し、アラビア語教室も開く。
> 1日1回、夫と電話で話す藤永さん。夫はアラビア語教室の開講を喜んでくれたという。藤永さんは「気軽に店に立ち寄ってほしい。そして、パレスチナに行きたいと考える人が一人でも増えてくれたら」と期待する。
> 開店時間は土曜・日曜・祝日の午後1‐9時。
 

http://m.youtube.com/watch?v=XeoKpuc6WwI)
 
 


数年前、まだ体と心が調子良く元気だった頃は私もフルタイムで働いていた。

普通にお金ももらっていたので、毎日のように色々なものを購入していた。

洋服、化粧品、食べ物、雑貨、雑誌類…。そのどれもが私にはなくてはならないもので、なくなると急に不安を覚え常に絶やさないようにしていた。

今年に入って病状が悪くなり、今までのように働けなくなってしまった。

当然お給料も激減した。

当初私は途方に暮れ、これから一体どうやって生活していこうか悩みあぐねた。

不安で仕方なかった。しかし現状は変わらない。

何とか今できる簡単な仕事を見つけ、その中ですべてやりくりしていくしかなかった。

それから約7ヶ月が経ったが、当初感じていた不安はなくなりなかなか満足のいく生活をしている。

もし私の人生でこれだけは必要なものは何かと聞かれたら、お茶と本だと答えるだろう。

お茶を飲みながら本を読んでいる時、不思議と充足感で満たされ「私の人生、これさえあれば満足に過ごしてゆける」と思えるのである。

そしてお金があった時私は一体なぜあんなにたくさんの物を欲し、それがないと生きていけないとまで思い込み、なぜ目の色変えてそれらを保持しようとしていたのだろうと愕然とした。

私は一体何がしたかったのだろう。何にとらわれていたのだろう。

何もかも削ぎ落とす心地良さというものがある。

以前必要としていてそれがないと生きていけないとまで思い込んでいたものが、実は本当は必要でなかったということがある。

本当はたいして必要としていなかったものに対して、目の色を変えてそれらを死守していた私の心は、それに対する執着がびっしりとこびりついていた。

そしてそれがないと自分はだめになってしまうのではないかと、自分の存在価値が失われてしまうのではないかと思い詰めるまでに、自分自身に対して自信がなかった。

それらへの執着を放し、大量のものから心を自由にすることで、執着でがんじがらめになっていた心が自由になった。

「真我」と呼ばれるように、私が私を織り成す最も元の部分、私という存在の中核の部分、私が私たる所以の部分が剥き出しになって現れ、その素のままの自分でこの世に立たされている清々しさ、晴れやかさに驚いた。

何も持たない私を、周囲の人は前と全く変わらず受け入れてくれた。

ありのままの自分が他人から認められたようで心から嬉しかった。

心の健やかな発展を押さえ込んでしまう重い装飾、自分を飾り立てようとする我も執着とともに降ろすことができた気がした。




 
(『シンプル 〜その1』
2010/10/20 14:07↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
ある人(8120264)の日記。
承諾を得て転載。
 

http://m.youtube.com/watch?v=u_3dYnTtO6Y↑)
 
 


夫から「ボランティア便り」が届いた。
夫の了解なく公開(笑)

夫は一昨日から被災地の瓦礫処理などの手伝いをするために石巻へ行っている。
所属するなんちゃらいうスポーツ系組織で誘われたらしい。
総勢5人でワンボックスカーで出かけ
被災しなかった地区の民宿に泊まり(もちろん自腹で)
朝食と夕食は民宿で
昼食はボランティアのための食事作りボランティアが用意してくれるらしい。


 ・・・・・・・・・・・


ボランティア便り?

昨日の夜10時に松島の目の前にある宿舎の旅館に到着。
あまりに海の近くなのにビックリ。

今朝食後8時に旅館出発、石巻を目指すも渋滞して9時過ぎ到着。
石巻は全国屈指の魚の加工、輸入集積の基地だそうだ。
この石巻で当地ならではのハードなボランティアを10時より開始。
それは港近くにある中堅水産物会社の破壊された冷凍庫に放置された、
千五百トンにもなる魚(カキ、カレイ、鮭、穴子、ホッケ)などを
梱包材と中身に区分し廃棄する作業。

冷凍庫の破壊から一ヶ月たって
やっと在庫品の処理まで手が回るようになって
まず一番に手をつけたようだ。

物は溶けかかり始めたところで
かなり臭いが、まだ良いほう。
これから気温が上がればその悪臭は想像できないくらいだろう。

後10日もすると悲惨な状態になると思われる。
会社の人の説明によると後2,3ヶ月はかかるそうだ。
ちなみに今日の処理は十数人で25トンだった。

同じような会社が2百社。
だからおおよそ千トン×2百の廃棄水産物ということになる。
この会社だけで時価四億円の損害。

明日もおなじ作業の予定。
廃棄水産物は岸から百キロメートルぐらい運び海洋投棄するそうだ。


 ・・・・・・・・・・・


ううむ。
かなりすごいことになってるんだね。
あまり想像したくないような状況だけど
千トン×2百の廃棄水産物・・・
この会社だけで時価四億円の損害・・・
なんて聞くと気の毒で言葉もない。

復興支援しなくちゃね。

ボランティア便り?ってことは
その?も来るかな。
来たらまた公開するね。

夫は63歳だけれど、メンバーの中には70歳の人もいるとのこと。
スポーツで鍛えてるとはいえ
それはそれですごいね。




 
(『夫からのボランティア便り?』
2011/04/26 02:20↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
ある人の日記。
承諾を得て転載。
 
http://www.youtube.com/watch?v=Hj58NpanX3g
 
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
CP:http://bbgate.froute.jp/pc2m/?_ucb_u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
 
東日本大震災について多くの詳しい報道・逸話にふれて、涙を零しました。
ただ。
これまで世界の様々な過酷な報道・逸話にふれても、これほどには同情できなかった鈍さに、改めて恥ずかしくも感じています。
もし親近感が薄くても、自身に起こったように想像力をもっと鍛えなくては、この今の世界を認識してゆくことにならない。
 
http://www.youtube.com/watch?v=w3AdFjklR50)
 
 
John Lennon 1985/09/20
http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=008&bbs_id=71246776
 
 
 ありがとう。

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=061&bbs_id=14503467
http://hatenanews.com/articles/201103/2881
 
 
少女たちに教育を受ける機会を与えることで、世界をより良いものに変えることができる。

2014/04/24 赤坂経済新聞 http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=005&bbs_id=44362497
 
 
さみしいシンクロ。
TV旧『ルパン三世』五エ門の声優大塚周夫さんの訃報。
テレビで『カリオストロの城』を観ている最中に。
 

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