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キリスト教のここがちょっと!コミュの水子供養について

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いきなり仏教的なタイトルのトピ立ててすみません。
私の母はクリスチャンで、流産したことがあるんですけど、
あるとき観光で訪れたお寺の水子地蔵に、
母がそっとお賽銭をあげてるところを目撃しました。
クリスチャンなのに何故お地蔵様に頼るんでしょう。
キリスト教では水子供養はしないんでしょうか?
私も流産したことがあるんですけど、主人の実家は仏教系なので、
お仏壇にいつも「ご先祖様、水子様、阿弥陀様・・・」というふうに拝んでます。
そういう祈りが心を落ち着かせてくれます。
クリスチャンの友人に、キリスト教では水子はどうなるのか
尋ねてみたことがあるんですけど、みんな言葉を濁すんですね。
胎児は洗礼を受けてないので天国に行けない、という話も聞いたことがあります。
私が水子にこだわってると、
「そんなこと考えてたらいつまでもクリスチャンにはなれないよ」
と助言してくれた友人も。
まあ、そのとおりになっちゃってます・・・。(^^;

コメント(12)

これねえ、「胎児は人か」「いつから人か」という教義上の争点であると同時に社会的主張の焦点でもあって、みんな下手なことがいえないんですよ。
つまりその決着次第で「人工妊娠中絶は十戒に抵触するか」が決まるんで、それに対する態度が違う派閥がどっちも自派に有利な神学を主張しているんです。
LucifeRさん、べるのさん、亜子田虫和さん、レスありがとうございます。

>「胎児は人か」「いつから人か」という教義上の争点であると同時に社会的主張の焦点
>その決着次第で「人工妊娠中絶は十戒に抵触するか」が決まる

うーん、そういう感覚って、実際に赤ちゃんを身籠った
女性の感覚とは、かけ離れてるような気がしますね。
流れてしまったあの子は、間違いなく「わが子」でしたよ。
人間であろうと、人間でなかろうと、私の子であったことには違いないんですね。

人でなければ、流産しても供養する必要もないし、
堕胎しても罪の意識も持たなくていいということでしょうか。

要するに政治的なことが絡んでるということなんでしょうか。
政治と宗教が絡むとあまり楽しいことは起こらないですよね・・・?

>「なる」前に疑問はたくさんあって当然だと思います。

疑問がありすぎて、私は多分「ならない」と思います。(^^;

>私は胎児はある意味天国(のような状態)しか知らず
>亡くなっていったというような感覚を持ってます。

でも、流れてしまう瞬間には苦しかったんじゃないかなあって・・・。
言葉を知ってれば「おかあさん、たすけて」って叫んだかも知れないなあって・・・。
たすけてあげられなかったよ・・・。
医学的には、妊娠初期でしたから、
まだ人のかたちもしてなかったかも知れないですけど。
> 4: tonia_ir さん
>人でなければ、流産しても供養する必要もないし、
>堕胎しても罪の意識も持たなくていいということでしょうか。

申し上げにくいですが、そういうことです。これはむしろ個人の打算を後押しするもので、政治的には「利用されている」ほうですね。
ちょっと詳しく説明すると、分娩後に最初に息を吸う時に「神の霊(息)」が入って初めて「人」になる、それ以前はただの土をこねたものと同じ、という死生観がソレで、これはむしろ創世記の人類創造の場面によく一致しています。

これを却下しても次に「原罪の有無・その捉え方」と「予定vs自由意志」の神学論争が控えています。そもそもキリスト教は死後の状態についての教理も混乱しており、「標準模範解答がない」、あるいは「大多数の信者が間違っている(どの説も支配的ではないのでどの説に立ってもそうなる)」状態です。

判らないことは素直に判らないといえばいいのですが、そう云わせてくれない「大丈夫だといってくれ」みたいなひととか、「そんなことも判らないなら○○教の方がいい」とか言い出す人を経験してしまうと、それもいえなくなって言葉が濁るんです。

という総論を押えたうえで私の教会での事例を紹介しますと、葬儀の数年後に「○回忌」相当の「没後○年記念祈祷」というセレモニーをやってるんですが(主に仏教徒の親戚の手前の「キリスト教式法事」ですね)、流産のお子さん(名前はついています)のそれを行っておられるご夫婦がいます。そういう「覚え方」ではいかがでしょうか。
レスが遅くなってごめんなさい。
問題を咀嚼するのに時間がかかってます。

>分娩後に最初に息を吸う時に「神の霊(息)」が入って初めて「人」になる、
>それ以前はただの土をこねたものと同じ、という死生観

キリスト教にはそういう死生観があるんですか。
クリスチャンホームに育ったのに、知りませんでした。
それまで土くれだったものがオギャーと泣いた瞬間に人になる、
劇的な変化なんですね。
でも私は・・・命が生まれるというのは、
もっと無から生へのグラディエーションがあるように思います。
世界は、地上は、人間だけのものではなく、
人間以外の命にも満ち溢れてるじゃないですか。
動物も魚も虫も花や植物も。
土くれと人間しか存在しないという考え方はすごく寂しいです。
たとえそれがまだ人間になってない命だったとしても、
それが命であることには、変わりないと思うんです。
私は他者のペットを殺すことが法律的には器物損壊だということに、
大きな違和感を覚える者なんですけど、
胎児も器物じゃないですよ。
断じて違います。
命なんです。

>「そんなことも判らないなら○○教の方がいい」

うわあ、ごめんなさい、仏教のほうがいい、とか思っちゃった。(^o^;
でも仏教だって死後のことは何も分からないんですよ。
お釈迦様は死後の世界について何も言及しなかったそうですから。
ただ、キリスト教でも仏教でも、それ以外の教えから、
死後の世界を想像・・・構築?しようとしてるのかなって思います。
神学のような難しい学問のことは分かりません。
私にとってはもっと感覚的なものです・・・生きることも死ぬことも。
マザーテレサさんが、神様に導かれて行った事をご存じですか?

誰からも忘れられ死んで行くような、道ばたに倒れた人の傍らで、自分もお金が

無いのですから、出来ること。水で体を拭いてあげて、万一臨終するときは、

その人の宗教宗派を聴き、本人希望の寺社仏閣に連れて行ったり、本人の希望が

赦される限り、隣り人で居てあげた事です。

彼女は、「イエスキリストを信じましょう」と言ったのではありません。

でも、彼女に、イエスキリストを見いだした人が、多いのです。

インドに於いては、仏教関係者も、ヒンズー教関係者も、イスラム教関係者も

マザーは他宗教の敵対者では無いのです。

私達も、愛(福音)を掲げ、愛を論じ、愛を訴え・・・愛を知りません。

こっそり、水子の為にお参りする、行いの根底は、愛で無くて何でしょう。

ナアマン将軍に預言者は、なんと答えたのでしょう??

今も生きて働かれる神なら、私達の心をご覧ならなくて、なんでしょう。。
キリスト者の育った環境や神学や国や性格によっても、相当生き方が違います。
まして、日本人のアイデンティティはケースバイケースですからお地蔵さんに手をあわせてもおかしくありません。

キリスト教には水子供養はないです。お子さんのことは神様しか知りません。

それから仏教にも色々ありますが各宗派の常用経典には残念ながら水子供養のことが書かれてはいません。

最後に、イエス・キリストは確かに背負ったんです。お母様と映画パッションを毎年、見て下さい。律法よりも、はるかに大きなことをしてくれました。
鎌倉の長谷寺に何回か行ったのですが大小様々なたくさんの水子地蔵が祀られています。その地蔵の前にはオモチャやお菓子が供えられています。そこには中絶してしまったわが子、流産してしまったわが子、幼くして死んでしまったわが子に対する供養の心を感じました。それは親の愛です。 
 神学的にどうだとか、教義的にどうだとか、僕はあまり言いたくないんです。
水子地蔵にそっと手を合わせたお母さんにそれは偶像崇拝であるとか、クリスチャンとしてはいかがなものかと言うことはないんだと思うんです。水子地蔵を見て生まれることのなかったわが子のことを思い出しお賽銭を捧げてしまった。いいじゃないですか、
 水子供養など寺院はそれをお金儲けのために行っている側面も確かにあります。その問題はありますがしかしわが子を思うその心を神様は分かってくださると僕は思いますよ。
カトリック系出版社のサイトに、「生まれることの出来なかった子供のための祈り」が載っていました。
その祈りの文は次の通りです。

命の源である神よ、私(たち)に 命を与えてくださったことを 感謝いたします。
生まれることの出来なかった子供を、あなたの力によって、永遠の命に導いてください。
母親のぬくもりを知ることができず、この世であなたの慈しみを
体験することの出来なかった子供たちが、
あなたの光につつまれて、その愛に満たされることが出来ますように。
絶えざる御助けの聖母よ、御子の母としての喜びを、深く体験なさったあなたのお取り次ぎを、
生まれることの出来なかった子供のために 祈り求めます。アーメン。
 
       レデンプトール修道会 『絶えざる御助けの聖母への祈り』より

http://www.donboscosha.com/index.php/product-list/18?page=2
「生まれることの出来なかった子供のための祈り」

素晴らしい祈りですね。
この祈りに、どれだけの人々が救われる事か。。。

最近カトリック教会に通いはじめたばかりですが、お盆はお墓参りに行って来ました。と長年信者の方にお話したら「それは亡くなった身内の方々も喜んで下さったでしょう」と笑顔で言われました。

丁度、今月はカトリックでは「死者の月」といって、亡くなった方々全てを思い出し・祈りを捧げる月です。

この世に生まれる事が出来なかった子への、お母様が自然に行った行為。
それは母性愛に基づいた、素晴らしい祈りだと思います。

イエス様・マリア様は、きっとお母様の祈りを(たとえお寺の水子地蔵への祈りだったとしても)受け入れて下さったと思います。

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