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The Finn Brothersコミュのライヴレポ Finn Brothers in New Orleans(綿内)

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7月23日に開催されるフィン=スプリット・エンズのファンイベント。残念ですが、この日、僕はライヴのため出席できません。せめて・・・という感じで我がFCの会報に載せたライヴ記を転載いたします。

◆「ENZ VIDEO EXHIBITION VOL.3」◆
7月23日(土)高円寺・円盤
http://mixi.jp/view_event.pl?id=1290027
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「Finn Brotehrs in New Orleans 2004」

 8月3日
 南部の夏は湿度がたっぷりでとにかく暑い。汗が背中から滴り落ちる。真夏にニュー・オリンズなんて物好きだね、と米国人に言われたけれど、暑い熱い南部に夏行かなくてどうする。僕はそれが欲しいのである。涼しくなりたきゃアラスカでも行っとけって話である。

 フランス領時代のスノッブな香りと、黒人奴隷達の泥臭い歴史をミックスして辛口スパイスをまぶしたようなムード溢れる街、ジャズ、R&B、フランス経由のアコーディオン・カントリー「ケイジャン」が街中に溢れてガンボ(ごった煮)状態のにぎやかな街ニュー・オリンズ。今回やって来たのはDr.ジョンやネヴィル・ブラザーズ、アラン・トゥーサンのライヴを観るためではなく(観れたらいいけど)、ニュージーランドの麗し音楽兄弟に会いに来たのだ。

 午後3時、ミシシッピー川下り(本当にマディなウォーターだった)、ヴードゥーお土産屋であやしい買い物を終え、ホテルで昼寝をし、今日のメインイベントに備える。
 備えようと思ったけれど、遠足の日の子供のように、すぐ目が覚めてしまったので、少々早めだけれど、地図を片手にライヴハウス「ハウス・オブ・ブルース」へ向かう。ここは数あるライヴハウスの中、ここはニューオリンズならでは・・というより全米展開のチェーン店で、プロアーティストがツアーで使用したりもする。ただ、元来、デザインもフードも南部テイストなので、雰囲気はある。
 
 7時に入れておいた予約席に座り、生ビールとジャンバラヤ(こいつがまた量が多い)を頼む。ここはレストランとライヴハウスが敷地内で分かれていて、食事だけの人も、ライヴだけの人もいる。レストランでもアマチュアが弾き語りをしているので、なかなか楽しめる。今夜の弾き語りは若い白人青年で、渋めの歌声を聴かせていて、悪くなかった。悪くなかったが、ギターケースを持った帰り際の彼を見たら、ビーチサンダル履きだった。おいおい。
 
 オープニングアクトが8時に、メインのフィン兄弟は9時半スタートである。ジントニックを飲みながら、ゆっくりとフィン兄弟の時間を待つ。すると、観光客らしき男が「フィン・ブラザースのチケット余ってるからタダであげるよ〜」と店内の客に声をかけ始めた。たぶん1986年の全米大ヒット名曲「ドント・ドリーム・イッツ・オーヴァー」だけ知っていて、観光ついでに観に行くか、といった感じの30代観光客だ。チケットを買い過ぎたのだろう。冗談じゃないのだ。こっちは東京の深夜0時、インターネットで発売開始と同時にチケットをオーダーしてはるばる東京くんだりから完全装備で来ておるのだ。タダとはなんだタダとは!コラ!
 
 なにせ88年に初来日して以来、その後一度も日本に来なかった彼らに、16年振りに会えるのである。あの頃僕はまだ23歳だった。23歳が39歳になっているのだ。その歳月の重みを考えよ重みを。白髪だって増えたし、今年はデビュー10周年だぞ。などとチケットタダ男に私は一言言ってやりたくてしょうがなかった。
 
 などと憤りを感じながら、時計の針が9時を回り、そわそわしてきた。チケットが余ってるとはいえ、できるだけ早く会場に入りたい。ライヴハウス側に立ついかついスキンヘッドの門番に「お客さんいっぱい来そう?」と訊ねると、「どうだかねェ」といった表情で首をかしげた。客入りまで心配している私である。
 
 いよいよ入場である。楽勝でスタンディングの会場の前列から5番目中央あたりを確保出来てしまった。いいのかこれで。MDの盗録準備もばっちりである。ステレオ録音だと74分で切れてMD交換の時ドキドキしちゃうから、やむなくモノラルで倍録音にする。マイクはバッグの口からちょろっと先っぽだけ出して、これで大丈夫だろう。盗録したりなんて、こんなの高1の時、学校さぼって小池雄治やタダオ君らで観に行ってバレて謹慎処分くらったホワイトスネイク浅草国際劇場公演以来か。いや、高3の時に行ったU2初来日渋谷公会堂以来か・・・。などとそわそわしていると、気が付けば人がけっこう溢れているではないか。おっさんだらけ。そうか私もおっさんだ。

 Dr.ジョンのインストが流れ、いよいよ開演。気軽な感じで兄弟含むメンバー5人が現れた。全員私服じゃん?それ、みたいな軽さである。メンバー中ハゲ一名、デブ一名である。     
 二ールが歪んだエレキを鳴らし始め、オープニング曲へ。おっさんはみな大騒ぎである。こんな近くで見ていいのか!まるで赤坂グラフィティじゃないか。16年振りだぞ!
 
 「おい弟や、ニューオリンズは何年振りだっぺか?」「そうさなぁ、10何年振りでないの?」などと東北訛りかどうかは別として、そんな感じでカジュアルに進むライヴ。ニューアルバムからの曲も多いが、どれもメロディくすぐりまくりで、相当気合の入った仕上がりであることが容易に想像がつく。
 他はクラウデッド・ハウス、スプリットエンズで、すべて兄弟が録音に絡んでいる曲ばかり。互いのソロや、兄が絡んでいない時期のクラウデッド・ハウスの曲は何とゼロである。そう、最後の最後にはやってくれると思っていた「Don’t Dream It’s Over」でさえ、演らなかったのである。「マニアはご機嫌かもしれないけど、あれ目当てに来たのによ〜」などとこの曲を目当てに来た観光客ファンから少々ブーイングが起きたが、ちょっとだけマニアである私にもまったく残念でなかったといえばウソになるが、ナツメロではなく、「現在進行形」で勝負する心意気が伝わってきて納得であった。あの曲は兄がまったく絡んでいないクラウデッド・ハウスのヒット曲であるし。
 
 天然陽気なパフォーマーの兄と、センシティヴな弟のキャラクターの違いも見え、今でも喧嘩するという兄弟の関係まで想像させて面白かった。また、スプリットエンズの珍しい曲の演奏後には、「今の曲は珍しいよ!MD録った人〜!」などと語りかけ、観客も正直に手を挙げる奴が何人もいた。なんだ、ぜんっぜん盗録OKじゃないか!わざわざビビッてモノラル倍録音にするんじゃなかった。これなら思いっきり堂々とMDの交換も出来たではないか。
 
 最後は「Don’t Dream It’s Over」の代わりに切ない名曲「Four Season In One Day」を会場全体で合唱して終了。素晴らしいショウだった。息の合ったという言葉以外浮かばない二人の歌声、美しいメロディの渦、カジュアルで温かい雰囲気・・・色んな意味でwebb(綿内+小池)の参考及び刺激になった。タイムリーであった。50歳前後でまだ「現在進行形」である。気合の入ったアルバムを作り、ずっとこれまで何年もやってきたように、またプロモーションの王道そのままに、コツコツと全米中、世界中をくまなくツアーバスで回っているのだ。
   
 心地良い高揚感に包まれながら会場を後にする・・・はずであったが、入り口に年季の入った追っかけがすでに出待ちをしていて、旅行のついでに僕も初の出待ちに挑戦してみた。いや、初ではない。25年振りか。中2の時、長野でツイストの出待ちをしたことを思い出した。実家居酒屋「幸べえ」の近くに現存するホテル「犀北館」でコンサート終了後の世良公則が顔を出すのを待った記憶がある。奴は結局顔を出さなかったが・・・。
 
 20分、30分、中々顔を出さないフィン兄弟。あ〜一体何をやっておるのだ〜!などとイライラし始めたが、自分に置き換えよ。汗だくのライヴ終了後、すぐさま移動車に乗り込むほどせわしないものはない。汗が止まるのを待ち、体を拭き、まずゆっくり一服はしたい。そして着替え、挨拶、荷物確認・・・やることはそこそこある。などと色々想像しながらひたすら待っていると、向かいの通りで「ガシャ〜ン」という音がして振り向くと、ガールフレンドを連れて、ハンドルを思いっきり長く改造した自転車に乗ったモヒカン、皮ジャン、チェーン、タトゥーの正統派パンク兄ちゃんが、思いっきり前のめりでコケているではないか。どうやったらそんなに見事にコケられるのか、という見事なコケっぷりに出待ちしている一同から拍手が沸き起こった。バツが悪そうな顔をしてパンク兄ちゃんはスタコラ逃げていったが、せっかくなのでしっかり写真を撮っておいた。
 
 ツアーマネージャーやローディーらしき人物が出入りする度、一同から小さなため息が漏れる。熱心なファンへのせめてものプレゼントのつもりか、年配スタッフの一人がプロモーションCDを最前列に陣取る女性らに配り始めた。「I'm from Tokyo!」などと言えば「何?東京からわざわざ来たのなら君にあげようではないか」という運びにならないかと期待していたが、多民族国家のアメリカではあまり意味の無いことなのであった。のどから手が出るほど欲しかったが、押しのけてCDを奪い取る気合は・・・無い。まぁ、ライヴを観れただけで充分ではないか、と自分を慰めていると、同じ年配スタッフが今度はCDを大量に抱えて配り始めた。もうカッコつけてはいられない。目の前の中年女を張り倒して思いっきり手を伸ばし、CDを掴み取った。嬉しい。ものすご〜く嬉しい。
 
 待つことおよそ40分。スーツケースを引っぱりながら、地味〜に弟二ール・フィンが出て来た。「16年前に来たっきりそれ以来一度も日本へ来なかったアンタにはるばる会いに来たんだぜ!」と声を掛けたかったが、「アンタみたいな曲を書きたくてデビューしてCDも作ったんだぜ!」と言いたかったが、二−ルの視線は押しの強い最前列中年女性ファンに向かっていた。彼女らとひと言ふた言会話をして、彼はツアーバスに消えて行った。なんだか繊細そうな印象の人である。でもいいのだ。こんな近くではるか遠くニュージーランド在住の敬愛するアーティストを見ることが出来た。ブクロの自宅のベッドで、眠りにつく前に、さんざん聴いた作品の張本人にこんな近くで会えたのだ。何も言うことは無い。
 
 ほどなくして、兄ティムが出て来た。明るい感じの人である。最前列ファンに、「アンタお兄ちゃんなんだから、ちゃんと弟の面倒みんのよ〜」などと軽口を叩かれて、「はいよ〜わかったよ〜」などと明るく答え、去って行った。心待ちにしていた夜が終わった。手に入れたCDを大切にリュックにしまい、僕はお祭騒ぎのバーボンストリートに戻った。ホテルに戻ったらすぐ、今夜録ったMDを聴くんだ。

翌朝・・・
 8月4日
 朝8時に目が覚める。テレビをつけると、ローカルモーニングショーにニュー・オリンズの小室哲哉、巨匠アラン・トゥーサンが出演していたので、飛び起きてヴォリュームを大きくする。金に汚いらしいが(笑)、素晴らしいニューオリンズポップソングの多くは、彼の手によって送り出されたのである。
 いよいよニューオリンズともお別れである。フィン兄弟は昨夜のうちに次の公演地(米ツアー最終)へ向かったのだろうか。長い旅だな。次はヨーロッパツアーが控えているらしい。
 
 ねっとりとした暑さの米国南部を飛び立ち、夕方近くに帰路(クリーヴランド)に着いた。車の中でさっそくCDをかける。なんて素晴らしい。ハイウェイの向こうの曇り空をぼんやり眺めながら、フィン兄弟の極上のメランコリックなメロディにエンドレスで浸り続けた。同乗者の迷惑顧みず。

(綿内克幸 Fancy Soul Picnic2004秋号より抜粋)

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