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シュタイナー言語造形ことばの家コミュの今日の言語造形 と 帝塚山演劇塾 〜「ふ」の字〜 2012.11.14

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午前は、京田辺での言語造形クラス。

いつもクラスの始まりの時間に、集ったひとりひとりが、
自分のこと、家族のことなどを想い起こしつつ、
感じていること、考えていることを自由に話すことにしている。
ある人の話しを聴いている間は、他者は決して口を差し挟まない。
じっと耳を傾ける。

いつもながら、この時間がとてもいい時間で、
各々の方が話してくださることが、
その後取り組む言語造形への、
思いもかけない深い示唆になっていることがよくある。

個人が深く感じていることを語りだすことで、
それがもうひとりの人の経験に深く響きあっていき、
その響きあいが、各々取り組んでいる作品のあの部分、この部分に、また響きあうのだ。

そこから、なぜ、自分が、いま、この作品に取り組んでいるのかが、
以前思っていたよりも、いっそう深い次元で啓けてくる。

作品と自分自身。
その関係が、客と主(あるじ)というものであるに尽きず、
思いもよらず、深くからみあった間柄であったことに今更ながら気づくことができる。

今日も、そんな気づきと言語造形を分かちあう喜びに満ちた時間になった。

本当に、このクラスの皆さんにも、感謝、感謝だ。



午後は、帝塚山の「ことばの家」で演劇塾。

小学二年生の子が、若山牧水の詩「白鳥は」に挑戦してくれた。

   白鳥はかなしからずや 空の青 海のあをにも染まずただよふ

その子は、天にまで届くような声をからだいっぱい震わせて響かせる。
すると、白鳥(かもめ)のただよふ姿が、空間に見えるがごとく感じられてくる。
「ただよふ」の「ふ」の音。
「ただよう」と書かずに、昔は「ただよふ」と書いた。
言語造形をやってみて、その「ふ」という表記が本当にふさわしいことを実感する。
「ふ」の響きによって、
空間にただよふ姿が立ち現れてくるのだ。

八歳の人が、このようなことばの芸術体験を理屈ぬきにどう受け止めるのか、
わたしには、まだ、はっきりとは見通せないのだけれども、
日本語が本来もっている精神的な美と動きと確かさは、
子ども時代にこそ、頭でではなく、からだとこころで、たっぷりと味わうことができると信じている。

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