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ダンテス・ダイジコミュのダンテス・ダイジの一番弟子

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題名の通り自らを称して居たのはダンテス・ダイジのイトコである南雲浩一氏であった。

昨年12月8日、那須の自宅で亡くなっていた。

南雲さんとはついぞ生きている時に直接会うことはなかったが、幾度か電話で話したことがある。

今から10年は昔だと思うが、初めて電話した時には余りのキャラの強さに面喰らった。

まぁ、その時一回で懲りてずっと電話しなかったんだが、亡くなる確か半年くらい前から再び幾度か電話をする機会があった。

最後に話したのはスマホの記録をみると10月3日であった。

その後もう一度着信があったのだが、何かしら用事をしてて出られず、まぁ中々難しい方なので、折り返しもしなかった。

ある日ダイジの弟子のたっちゃんと話していると、「南雲さんが、最近ナチオから電話かかって来ないなぁ」と、言ってたとか。

そして折り返す事ないままに南雲さんは死んだ。

初めて南雲さんに電話をした時、「何が聴きたい」と言うので、「ダイジの話を聴きたいです」と返すと、「俺にとってダイジは、主!ダイジなんだ。」で会話が始まった。

僕が南雲さんとほんの少しではあるが関わって感じたことは、「主!ダイジなんだ。」

これが、南雲さんの全てだったんだろうと言うこと。

若き日、正確に何年何日ダイジと過ごしたかは知らないが、まさに死ぬ間際まで彼はダイジの弟子であり続けたように思う。

彼の死後、那須で彼の遺品を頂いて来た。

元奥様と、南雲さんの弟さん夫婦と、あるダイジの弟子と、南雲さんの家の片付けをしながら、穏やかな時を過ごした。

片付けながら、南雲さんが最後に行った修行、そしてやり切ったことを知った。

電話でもそのように話して居たが、彼の苦闘が書き込まれた手記があった。

恐らく、彼が今生やれる事は全て尽くしたのだと、彼自身解っていたのだと思う。

確か南雲さんはダイジに何歳で死ぬよと言われていたと聴いている。

僅かに誤差はあったようだが、概ね近いところだったみたいだ。

それは南雲さんにとっては嬉しいことだったんじゃないかと思う。

冥福と言う物があるとするなら、きっと彼には主・ダイジの元に行くことなんだろうと思った。

南雲さんは、ダイジに逢えただろうか…。

コメント(18)

主!ダイジ

すごい言葉お願い

南雲さんと関わりはありませんでしたが、たっちゃんからその訃報を聞いたとき、思うところがあり供養を出させていただきました

ナチオさんの投稿でその一瞬でもお聞きできたこと感謝します

きっとダイジとともにいらっしゃいますねお願い
ナチオくん、ありがとう♪

12月8日は、関係無いけど、ジョン・レノンの命日だな。
歴史的には、真珠湾攻撃の日でもある。
そして、ダイジ命日の3日前。
ああ、南雲さんは、神の世界へと、帰られたか。

私と南雲師との、最初の出逢いは、日本紅卍字会、福生道院にて。

笹目老人とは、師淑を得られなかったが、南雲師は、親切に吾を導かれた。ス神、老祖から、賜った道名は、暉芝。謂わば、南雲師とは、人を薬草の如く、人を癒す事を、修養として、展開された。

南雲師は、ダイジから、仙人の生まれ変わりであると、云われておられた。

私の道命は、暉來。この多摩道院前額、大岳光暉のなかで、暉が道名に就く人は、光や大や岳よりも、神の輝きを充たす人であると教えられた。

南雲師は、ダイジを愛すること、甚だしく、また、瞑想の道では、知られない、出口王仁三郎聖師と神霊的、出逢いにより、古神道の奥義を、授けられたと南雲師に語られた。南雲師は、出口王仁三郎など、知らず、道院に来て、初めて、王仁師を、日出麿師を知り、ダイジのあまねく拡がる世界観を鬼雷に教えて、くださった。

南雲浩一さんは、焼酎を土産にもっていくと、大変喜び、ダイジの宇宙感、南雲師が出会った、瞑想教室の真実を教えて、くださった。

ああ、かんながらたまちはへませ。

彼の魂は、シュミセンザンに、立ち返り、ダイジと共に、地球再生への御神業に、携わるであろう。
先日、とあるダイジの弟子さんに伊福部隆彦先生の著作数冊をお貸しした際、南雲さんの死因について教えて頂きました。病気や怪我ではなかったのでした。並外れた覚悟と求道心があってはじめて完遂されたのだと思います。今頃、雨宮先生と談笑しながらこちらの世界の行方を見守ってくれているのかもしれませんね。
>>[2]
どんな思うところがあったのか、また教えてねぴかぴか(新しい)
>>[3]
12月8日と言うのは発見された日なので、実際その日だったかは解んないんだけどね。

ソファーの所で亡くなってたみたい。
>>[4]
なんと!
南雲さんと笹目仙人の所にいらっしゃったんですね!

全然知らなんだ。
文章では南雲さんがダイジに逢えたかとドラマチックなことを書きましたが、それではこの世の夢の延長をあの世にまで持ち越そう、報われなさをいつか取り返そうと言う愚かな妄想なのかも知れないという思いも浮かびました。

ダイジは講話の中で弟子に死んでも意識はあるんでしょと問われて、そんなの意味ないよと答えていました。

南雲浩一と言う生命が南雲浩一と言う唯一無二の生き方を生きるべく生じ、その南雲浩一を寸分の狂いなく生き切り、帰すべき所へ還ったのだと思います。

>>[5]

その弟子の方と南雲さんの所へ行きました指でOK

亡き人の所へ行くのにやや不謹慎ではあるかも知れませんが、中々楽しい旅でした。

南雲さんの元奥さんも、弟さんご夫妻も、名古屋の会ったこともないような正体不明の奴をよくぞ受け入れてくれたもんだと思います。

初めて津田さんに会いに行った時もそうですが、ダイジの関係者はみんな優しい方が多いですねぴかぴか(新しい)
>>[9] 雨宮先生と関わったという経験は愛そのものと関わったと同義なのかもしれません。
>>[11] 南雲師は、常にお酒を愛しておられ、焼酎をお土産にもって行かれると喜んでくださりました。年上の彼女を愛しておられ、当時、多磨道院から五万円しか貰っていなかった為に、彼女に食わしてもらっていると。その方が奥様なのでしょうね。大変な美人さんでした。
さて、いろいろコメントしましたが、とおりませんでしたのでこのへんでさいならです。
>>[12]
「さて、いろいろコメントしましたが、とおりませんでしたのでこのへんでさいならです。」とのこと。

鬼雷さんのコメント、読ませていただきたかったです。
とても、残念です。
>>[13] いえいえ、南雲さんは、実にお酒を飲むと、大きな声を出すとか、実は美人の彼女に、飯を食わせてもらっていたとか。ダイジも同様とか。
つまるところ、自分の瞑想を持っている存在は、不思議と援助してくださる方がおられる云々に、あさはらに関連する事を書き込んだ所以であります。
一番弟子の南雲さんと会ったのは、残念ながら、たった一回しかありません。
雨宮先生が亡くなって、一年ぐらいが経った頃です。Kさん宅で一周忌のような法要が行なわれ、同席させてもらいました。
私達の頃は、横の繋がりがほとんどなかったので、みんなで集まることはほとんどなく、この時、どうして同席させてもらえたのかわかりませんでしたが、その時に、一度だけ、南雲さんに会うことができました。
南雲さんを導師として、法要のようなことをしましたが、南雲さんの声、雰囲気が、雨宮先生によく似ていて、従兄弟であることを改めて強く感じたことを思い出します。雨宮先生の高校時代の学生服を着た姿の写真も見せてもらいました。
残念ながら、南雲さんとは、道場では一度も会ったことがなく、電話で話をしたこともありません。
一番弟子であった南雲さんから、雨宮先生のこと、雨宮先生との修行の日々のこと、など、いろいろ聞かせてほしかったです。南雲さんは、一番身近で、そして、おそらく一番長く、雨宮先生に接することができたと思うので、貴重な話を沢山聞かせてもらえたのではないかと思います。
このコミュに南雲さんが参加しなかったのには、大きな理由があるのでしょうが、参加してくれなかったことが、とても残念です。
今は、きっと、ふるさとで、雨宮先生と一緒に酒を酌み交わしていることと思います。お願い
鬼雷さん、残念。

投稿して少しの時間は見れるんですかね。その後、自動的にミュートされちゃうのかな。
雨宮先生が遷化された後に、クンダリニー3兄弟と南雲さん、佐々木君が呼ばれて、『アメジスト・タブレット・プロローグ』を出版するか否かを検討した事があります。出した方が良いとなってその旨を佐藤のり子さんにお伝えしたように記憶していますが、のり子さんとは南雲さんが連絡していたと記憶しています。その後もおそらくは、南雲さんとのり子さんはつながりがあったと拝察していますが、南雲さんの最期についてはのり子さんはご存じなのでしょうか?

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