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日記ロワイアルコミュの未亡人とトラブル

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 熟女ブームの昨今、わたしも例に漏れず年上の未亡人と沖縄へ旅行に行ってきた。

 歳の差は、なんとわたしと祖母ほどにある。

 祖母である。

 ◇◇

 二月上旬のことだった。深夜番組を観ていると、すでに眠りについていたはずの祖母が自室から出てきた。何事かと思っていると、「みち、沖縄へ行かないか?」という。

「いいよ」

 わたしは笑いながら答えた。

 その日のこと。叔父夫婦が遊びに来ていた。沖縄へ旅行に行ってきたのである。海や桜の写真を観ていて、祖母は無性に行きたくなったらしい。彼女は、「息子が行くんだから、負けていられない」と思ったという。

 なぜか判らないが、祖母は負けん気が強い。わたしの親は年がら年中、山へでかけていくのだが、体力的に完全に劣っているにもかかわらず、自分も負けていられないと考えている節がある。母やわたしがナンプレを得意とし、祖母も趣味でやっているのだが、初心者の問題をやっているのに、常に対抗意識を燃やしている。この沖縄旅行も、「おかんはこんなに強いんやで!」ということを誇示しようと思ったか定かではないが、考えているうちに寝られなくなり、「思い立ったが吉日」ということでわたしを誘いにきたのだ。

 わたしが抜擢されたのにはわけがある。いまから10年前にもふたりで沖縄へ行っているのだ。わたしが24歳のときである。

 そのときは喜寿のお祝いということで、彼女の娘息子が費用をもち、旅行をプレゼントすることになった。祖母の希望で行き先は沖縄に決まった。

 ある日、当時旅行代理店に勤めていたわたしのところに伯母から電話があった。「みちくん、ばあちゃんが沖縄に行きたいって言ってるんだけど、みちくんガイドで行かない?」と言う。わたしは、「へ?」と頓狂な声を出した。

「なんで、おれ?」

「だってみちくん、旅行会社でしょ? ガイドもできるしょ」

 安易な発想だ。フランス人が全員フランス料理を作れると思ったら大間違いである。しかし、この伯母にはそういう理屈が伝わらないと判っていたので、わたしは論破するのをあきらめた。

「ということは」わたしは言った。「白羽の矢が立ったんだ」

 白羽の矢が立つという言葉の語源は、神に捧げる生贄の家に、目印として白い矢が立てられたという俗信からきている。それを知ってか知らないでか、伯母は楽しそうに、「そう。よろしくね」と答えた。

 プランを決め、旅行会社に申し込み、そのチケットを取りにいったとき、事件が起こった。そこの女性社員に、「これ、みちさんが行くんですか?」と訊かれた。

「そうなんですよ」

「相手は……」とチケットの年齢を見る。「おばあちゃんですか?」

「そうなんです。白羽の矢が立って」

 笑うと、彼女は驚いた。

「ふたりでですか?」

「そうなんですよ。かくかくしかじかで」

 説明すると、彼女は、「うそー、すごーい」と目を大きくした。まるで、福山雅治を目撃したかのようだった。

 それ以降、その旅行会社に用事で行くたびに、いろいろな女性社員から、「みちさん、おばあちゃんと旅行に行くんですって!?」「すごいですね」「もう、みちさんの株、あがりまくりですよ」「みんなですんごい見直したって話題です」と誉めちぎられた。

 わたしは思った。

 どれだけ評判が悪かったのだろう……、と。

 株が上がったり、見直したりというのは、その設定が低かったときに生じる。彼女たちの言い方は、わたしに対して蔑みの視線をもっていたことを如実に語っていた。まるで、ゴキブリがアイドルになったかのような感覚であった。

 ◇◇

 祖母といえば、今年の一月に驚いたことがあった。普段はのほほんと生きている彼女の口から、日本の経済を心配する言葉が出てきたのだ。

 考えてみれば大正、昭和、平成と生き、戦争という我々が体験したこともないような苦境を乗り越え、家族を支えてきたのだ。いつもはナンプレや刑事モノのドラマに熱を上げ、ひ孫に振り回され、のんびりしているように見えるが、そういう知識と、するどい視点を密かに持ち合わせているのかもしれない。

 彼女は自室から出てくると、きらりと目を光らせて言った。

「インフレのことばかりテレビでやってるね」

 しかしわたしも孫である。30年以上の付き合いがあるから、祖母が何を言っているかすぐに判った。

「インフルエンザのことでしょ?」

「いや、インフレのことさ」

 祖母は頑なに、経済知識を披露した。

「そうなの?」

「うん。テレビでやってる。うがい手洗いが必要だって――」

 言い終わる前に、わたしは言った。「うん、風邪のことでしょ?」

「そう」

「だからそれ、インフルエンザって言うんだよ」

「いんふれ――なに?」

「インフルエンザ」

「いんふ?」

「うん、風邪のことだよ」

 なんだかややこしいねえとぶつくさ言いながら、祖母はその言葉を確かめるように、「インフれエンザ、インフらエンザ」と繰り返した。

 そして、言った。

「覚えるころには、風邪が治ってるわ」

 まるで、落語だった。

 ◇◇

 これまでいくつか創作を書いている。それを読んだひとたちから、「みちさん、おばあさん好きですよね」という感想をいただいた。

 これには理由がある。意図的にそうしたのだ。おばあさんの出てくるほのぼのとした話とそうじゃない話を混ぜることで、効果を狙った(うまくいったかどうかは別として)。

 ただ、共通する設定がある。それは、全員、夫が早くに他界していることだ。

 その話の登場人物としてそれが相応しいと考えたのが第一の理由だが、もしかしたら実際に、わたしが早くに祖父を亡くしているのが要因の一つかもしれない。

 父方は小学生のときに。母方は、わたしが二十代前半のころに亡くなった。

 人の死に初めてショックを受けたのが、父方の祖父の死だった。しかし、衝撃を受けただけで、泣くことはなかった。けれど、母方の祖父のときは違った。泣きに泣き、泣きじゃくった。大きな後悔があった。

 車で40分ほどの距離に住んでいたのに、顔を見せたことは数えるほどしかなかった。高校に入ったころから、おそらくは年に一度ほどしか会っていなかったと思う。

 それでもそのころは罪悪感もなく、何とも思わなかった。親元を離れて暮らすようになり、たまに実家に帰っても、ほとんどの日々を友人の家で過ごした。お盆も正月も飲み会に明け暮れ、祖父母の家に顔を出すことはなかった。

 ある年の夏、なにを思ったのか、わたしの弟が祖父母の家に遊びに行き、祖父と共に酒を飲んだという。本当は飲まずに帰ってくるつもりだったのに、泥酔して、宿泊したらしい。

 祖父は酒を飲むのが好きだった。焼酎の入ったポリタンクのようなものを取り出し、夕食のたびにそこから注ぎ、楽しそうに飲んでいたのを覚えている。わたしが五歳のころ、「なに飲んでるの?」と訊いたことがあった。透明の液体を嬉しそうに飲む祖父が不思議でしかたなかったのだ。

「水だ」

 彼は言った。笑っていた。幼心にもそれはないだろうと思ったが、透明なのでそうなのだろうかとも思った。

「飲んでみるか?」

 祖父はグラスをよこした。このときわたしの親は、笑ったか、母が「ちょっと」とたしなめただけで、止めようとはしなかったと記憶している。わたしは受け取ったグラスの匂いを嗅ぎ、「くさいよ、これ」と顔をしかめた。

「水だ、水」

 祖父は笑っていた。わたしはぐびりと飲んだ。まずかった。初めて飲んだアルコールだった。具合を悪くしたかどうかは覚えていない。

 それを最後に、祖父と酒を酌み交わしたことがなかった。酒を飲めるような年になり、味わえるようになったにもかかわらず、わたしはその機会を自ら逸していた。

「よし、こんどの正月はじいちゃんと酒をとことん飲もう」

 弟から話を聞いたとき、わたしはそう決めた。

 だが、想いが叶うことはなかった。その年の12月半ばに、祖父は不帰のひととなった。突然の出来事だった。

 葬式のとき、祖父が生涯の最後に撮ったという写真を観た。わたしの弟だった。弛緩した顔を真っ赤にし、ビール瓶を抱いて笑っている写真だった。

 祖父はその夏、どんな思いでシャッターをきったのか。ファインダーを覗いていた彼は、笑顔だったのか――。

 通夜前のとき、わたしは泣いた。後悔が止まらなかった。涙が止まらなかった。自分はあほだと初めて気づいた。もう祖父と、酒を酌み交わすということは絶対にできない。あれだけ酒を飲むことが好きだった祖父と。

 このときよく判らないのだが、10分ほど号泣し、途端にすっきりした。泣いてもしょうがねーやと思ったのかもしれない。

 晴れ晴れとした気持ちになったわたしは、通夜から葬式にかけて、飲みに飲みまくった。祖父を見送るには、これしかないと。さすがに親族も酒飲みで、大いに盛り上がった。わたしはさんざんゲラゲラ笑い、酔いつぶれた。翌日、具合が悪かった。

 ただ、結局、生前の祖父と飲めなかったという後悔はいまも残っている。どれだけ想いをこめて酒を飲んでも、話すことも、笑いあうこともできない。相手がいなくなってしまっては、もうやりなおすことはできない。

 できなかったことはできないままに、ずっと心に残り続ける。

 ◇◇

 喜寿の祝いで沖縄に行ったあと、祖母が、「失敗した」と悔やんでいるのを聞いた。「なしたの?」と訊ねたら、「そういえば、海に入らなかった」と言う。

「あれだけきれいな海なのに、眺めるだけで入るの忘れちゃった」

 後悔しているらしい。そのときは、「じゃあ、もう一回行こうか」なんて軽く笑って応えた。それが三年経ち、五年経ったころ、わたしの心に残るものになっていった。

 一回目の旅行のとき、わたしはガイドとして選抜されたのに、ほとんどいい加減に過ごしてしまっていた。仕事が忙しいという言い訳で、沖縄について調べることもせず、どこに行くのかも祖母まかせで、彼女が選んだ場所に車で連れて行こうという考えでいた。

 それなのに、ホテルで寝坊するという失態をおかし、行きたいところの半分も観光できなかった。だが、「忙しくて疲れていたのだから、仕方ない」という言い訳で自分をごまかしていた。

 年数が経つうちに、「失敗したなあ、たぶんばあちゃん死んだら、おれ、後悔するだろうなあ」とずっと思っていた。楽しませることができなかったのではないかという心残りだ。数年前に「行くかい?」と誘ったが、「もう体力ないから」と断られていた。ああ、もうこの後悔を払拭する機会はないんだと思っていた。

 そんなおりに、祖母が行く気になった。これはチャンスである。思い立ったが吉日。わたしも時間を作れたので、さっそく申し込むことにした。

 もと勤めていた旅行代理店に電話すると、「あら、前にもばあちゃんと行ってなかったっけ?」と覚えていた。「そうなんですよねー」と笑いながら、希望のホテルなどを申し込んだ。どうせなら、海のきれいに見える宿がいい。

 希望便もあいていて、滞りなく手続きは終わった。あとは出発の日を待つだけとなった。

 ところがである。支払いも終えた三日後に、代理店から連絡が入った。

「希望のホテルが、修学旅行かなんかで、満室だったんだって」

 この代理店が、沖縄専門の旅行会社に頼んでプランを組んでくれたのだが、その沖縄専門のほうで手違いがあったらしい。

「それで、このホテルでどうかって言われてるんだけど、どう?」

 名前を聞いて、「あー」と声を出してしまった。いろいろ調べて、はずした宿だったのだ。金額的には同じだが、評判が違う。

 希望以外のホテルになってしまうのは、最高の思い出にしようと考えているのに、ちょっと惜しい。けれど、自分も勤めていた経験があるので、事情は判る。無茶はいえない。とりあえず、もう一度宿を探してみますと応えて、電話を切った。

 だが、同じ金額で調べると、満室になってしまったところがどうしても良いことが判った。あとは下がるだけだ。仕方がない。日程をずらすのも嫌なので(祖母の気持ちが高まっているうちに行きたかった)、提案されたところであきらめようと、電話をした。

 ところが。

「あのさ、日航アリビラでどうかって言ってきてるんだけど、どう?」

 おおう、まじか――そこは高すぎて無理だなと思い、外したところだった。わたしは、「いいんですか?」とジョン・カビラ風に訊きかえし、了承した。

 しかも代理店が力を見せ、ホテルでの夕食をつけてくれた。ラッキーである。こうして準備は整い、あとは沖縄に向けて出発するだけとなった。

 ◇◇

 二月某日。

 寒い北海道から、あたたかい沖縄へと飛んだ。夕方の到着だった。レンタカーを借り、まっすぐホテルへと向かった。びっくりした。

「ご、豪華……」

 わたしはこれまで、下は80円(エジプト)から、上は3千円(オーストラリア・しかも、30人相部屋とか)といった安宿を利用するのがほとんどで、これほどまでに立派なホテルは、一度しか経験したことがなかった(フィリピン。飛行機がストライキで欠航になり、5つ星ホテルが用意されたことがある。汚れたバックパックときたない格好で行くのは、恥辱の極みだった。最上階にあるバーに行ったら、「お客様、その服装ではちょっと……」と追い返された。ふんだ! こっちから願い下げだよ。バーカバーカ(涙))。

 ホテルを見たとたんに気分がふわふわしてしまった。祖母も「すごいね」と喜んでいる。よかった。よかったけど、どういう紳士の顔をしていればいいのか判らない34歳のわたし。心配しながら、チェックインした。

 ホテルのひとたちはみな優しく、わたしを蔑むような視線もしなかった。よかった。予約表に祖母の年齢が蛍光ペンで入念にマークされていたのかもしれない。

 案内してもらった部屋も広く、ふたり部屋にはもったいないほどだった。三十人くらい雑魚寝できそうだ。何につかっていいのか判らない備えがたくさんある。まくらはなぜゆえにこんなにあるのか、枕投げをするためか――首を傾げながら、息をついた。

 サービスしてもらった無料の和食懐石もすばらしく、「なんてついてるんだ」という言葉を、祖母とふたりで何度も繰り返した。

 ◇◇

 朝、バルコニーから海が見えた。青い。きれいなコントラストが、遠くまで続いている。

 朝食をとったあと、ホテルのビーチへ向かった。さっそく祖母に、念願だった海に触ってもらおうと思った。

 ところが、ビーチへ降りていく30段ほどの階段で、祖母はすっかりまいってしまった。具合が悪そうに、ベンチに座る。しばらく休憩したいという。

 これを見て、そうかあ、ばあちゃん年取ったんだなあと実感した。10年前は、もっとしゃきしゃき動いていたのだ。

 無理もない。米寿間近である。しかも冬の雪道が危険なので、いつもはしている散歩を控えていた。体力が落ちているのかもしれない。普段は、「大丈夫、大丈夫」と平気な顔をする彼女が、明らかに弱った表情をしていた。

 三歳くらいの女の子が、波に触れようとして、逃げていた。親がそれを見て、笑っている。わたしと祖母は、ベンチに座ってそれを見ながら、のんびりとした。

 やがて体力を回復した祖母に、わたしは、「海に触ってきたら?」と命じた。これにより、わたしの後悔はもうなくなる(←悪魔)。

「そうかい?」と言いながら、彼女が触りに行く。わたしはその始終を写真に収めた。波から逃げられずに靴を濡らした祖母は、それでも満足そうな笑みを浮かべていた。

 ◇◇

 美ら海水族館へ向かう車中、助手席の祖母が眠りについた。

 かくん、と落ちていた彼女の顔を見て、

「し、死んだ……?」

 と思った。

 実に心臓に悪い寝顔である。

 ◇◇

 水族館や古宇利大橋などを観光し、沖縄在住の友人に勧めてもらった名護市の居酒屋で食事をした。日本ハムのチームがキャンプをしているホテルの裏で、たまに選手もいるらしい。
 
「ふたりです」

 店員さんに、指と声で示し、座敷へ案内してもらう。「お決まりになったら、およびください」と、彼女がおしぼりを『三つ』置いて、いなくなった。

「ふたりなのに、三つ置いてったよ」

 笑っていると、注文をとりにきた。ラフテー、野菜炒め、鉄火巻きなどを頼む。

 しばらくして、店員さんが、しょうゆ皿を『三つ』置いていった。

 おかしいな、と、この辺で気づいた。

 ◇◇
 
 翌日、那覇市内のホテルに移動した。

 部屋に入ると、『三人部屋』だった。二人なのに、なぜ……。

 わたしは早速、「こわいんだけどww!」とボイスでつぶやいた。

 マイミクのひとりが、「みちのことだから、嘘でしょ」と信じないので、明かりを消した暗い部屋だったが、三つのベッドを写真に撮ってUPした。

「ほら、トリプルの部屋でしょ!」

 と言うと、マイミクのひとりが、

「ほんとだ。三人いるね」

 と言い出した。

 こわいんだけど!!

 ◇◇

 旅行中、かなりいろいろ祖母と話をした。それこそ、祖母の人生から、戦争時代の話にまで話題がとんだ。

 やはり、この時代の人はかなり苦労していると思った。笑い話にしたり、失敗談として紹介してくれたりしたが、当時は歯を食いしばって耐えたんだろうなと思った。

「いまは物がたくさんあるから、あるものでどうかしようって考えないよね」という話が、ひとつ印象的だった。

 しょうゆがないから、黒豆を似た汁に塩を混ぜて、それの代わりにしていたと言う。

「おいしいの?」と訊いたら、「ぜんぜん」と笑っていた。

「色だけだね。それでも、ないよりはましだったからねえ。考えたら、よくあんなもん食べてたって思うよ。そんなのばっかりだ」

 他にも、物資のない当時は、タバコの代わりにゴボウの葉っぱを干して吸っていたという。

「おいしいの?」と訊くと、「じいちゃんが、まずいって文句いいながら吸ってた。軍人さんは、口がおごってるからねえ」と笑っていた。

 戦後67年。祖母はいま、どんなものも残さずに食べている。

 ◇◇

 旅行三日目にブセナテラスの海中展望台を観に行くことにした。窓から海中を覗ける建物である。祖母が行きたがっていたのだ。

「ここ、前に来たとき閉まってたもんねえ」と祖母が言う。はたして記憶がない。「そうだったっけ?」とわたしは訊ねた。

「ほら、到着したとき、もう閉まった直後で、あきらめたしょ」

「そうだったっけ??」

「ほら」と、彼女がいろいろヒントを述べるうちに思い出した。確か、そうだったような気もする。

 他にも、祖母が覚えていて、わたしが失念していたことが多くあった。言われて思い出したのである。たいした記憶力だ。

 おそらく、都合の悪いことだったので忘れたのだろう。人間にはそういう能力がある。たとえば、昨日計った体重をもう覚えていない。

 海中展望台はしかし、エレベーターがないというのであきらめた。一瞬、かついで階段を下りていこうかと考えたが、祖母のプライドが許さないだろうと思ってやめた。代わりにグラスボートに乗った。海の底が見える船である。

 彼女は楽しんでいたが、わたしはそれでも心残りになってしまった。10年前にしっかり起床してきていたら、そのときの体力なら下まで歩いていけたかもしれない。

 後悔先に立たず――むかしのひとは、よく言ったものである。

 ◇◇

 あっという間の三泊四日だった。雨の予報だったが、天候にも恵まれ、暑過ぎず、適度な気温だった。海がきれいに観たいときには、見事なくらい青空だった。ブセナテラスの移動バスのお兄さんが、「こんなに晴れたのは久しぶりです」と笑みを浮かべた。沖縄の海はいつでもきれいなのかと思っていた祖母は、天気が重要だと教えられ、「そうか、ラッキーだったんだねえ」と何度も口にしていた。

 本当に、いろいろとついている旅行だった。本当に、何か憑いていたのかもしれない。

 ◇◇

 北海道へ戻る乗り換えの羽田空港で、わたしはお土産に、羽田空港限定のケーキを買った。

「お持ち帰り時間、どれくらいですか?」

 と店員さんに訊かれ、

「3時間くらいですかね。飛行機が欠航にならなければ」

 とボケた。軽くスルーされた。

 おねえさんは黙って、保冷剤を入れていた。

 ゲートに向かっていると、北海道行きの、ある路線の欠航が決まった。本当に天候が悪かったのだ。

 家族に、「なんか、○○線欠航なんだけどw」とメールを送信した直後、アナウンスがかかり、われわれの路線も欠航が決まった。

 口に出したら本当になる――むかしのひとは、よく言ったものである。

 ◇◇

 どうしようもないので、関東の叔母の家に泊まらせてもらうことになった。いきなりの旅行延長だったが、祖母は喜んでいた。久しぶりの親子水入らずもできたようで、思わぬハプニング続きだったが、すべてがいい方向に転んだ。

 北海道に帰る日、再び悪天候の予報だった。チェックインする前に情報モニターで確かめると、戻るかもしれないという条件付で飛ぶという。

 まあ、どうしようもないしな――と思いながら自動チェックインを利用した。ところが、はじかれる。予約は済ませてあったので、わたしは首をかしげた。

 なんでだろうと思いながら、カウンターで手続きを行った。すると、

「お客様のご予約、キャンセルされております」

 と説明され、思わず大笑いした。どうも、予約変更の手続きに不備があり(航空会社のひとにしてもらっていた)、自動的にキャンセルされてしまったらしい。

 わたしは笑いながら、「そうですか。でも、新しく取っていただければ」と言うと、係員さんが、「それが、満席で……」と顔を曇らせた。

 すごい。「家に着くまでが遠足=気を抜くな」とはよく言ったものだ。

 結局、ワンランク上の席を無料で提供してくれることになった。羽田に戻るかもしれないという条件付だったが、飛行機も無事北海道に着陸し、旅行は終了した。

 最後の最後まで、ハプニングがラッキーにかわった、記憶に残る旅だった。

 思い立ったが吉日とは、よく言ったものである。

 ◇◇

 祖母が沖縄の海に触れているとき、わたしは思った。これで、将来彼女が亡くなっても、わたしは泣かなくなっただろう、と。

 祖父のときは後悔が強かった。生きているうちに、思い描いていたことを叶えられなかった後悔。だから、今回の沖縄旅行が計画されるまでは、わたしは、「いまばあちゃんが死んだら、たぶんまた後悔の念が残るんだろうなあ」と思っていた。それで泣くだろうと思っていた。

 ひとはなぜ、気づいていても、思っていても、行動になかなか移さないのだろう。後悔は先にたたない。先人が口をすっぱくして唱えても、なかなか心に届かない。「わかっているんだけど」とつぶやいて、それで終わる。

 わたしは、与えられたこの機会に感謝した。おそらく、祖母がその気にならなかったら、再び心残りが増えてしまっていた気がする。

 波に触れる写真を撮り、濡れた靴の写真を撮り、照れくさそうに笑う写真を撮り、おいしそうに食べ物を口にする写真を撮り、それらを沖縄の海で休んでいるときに見返して、「これのうちのどれかが、遺影になんのかなあ」なんて思ったりした。思っているうちに、泣けてきた。薄情な孫である。

 ◇◇

「これで最後の沖縄だ」

 那覇空港の出発ロビーで、祖母はそんなことを言っていた。なんも、身体を鍛えておけばまた来れるべや、とわたしは思って、でも言わなかった。

「次は、違うところにしようよ」と答えた。



 あれから二ヶ月経った。彼女はぴんぴんしている。雪が溶け、散歩を始めた。いい心がけだ。まだまだ長生きしてもらわないと困る――。



 祖母は今日も、ナンプレに精を出している。

コメント(113)

今俺も後悔しないように祖母孝行と親孝行してます。
一票。
みちさんの世界が覗けて、惚れ惚れしました電球おばあちゃんも元気で長生きしてほしいなぁ。

一票ですぴかぴか(新しい)
タイトルからは想像できない素晴らしいお話に
一票です
俺の歳では、ジジババ孝行できる人も居ない…
思い立ったが吉日
いいね

一票です(´・ω・`)

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