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浦和ロックンロールセンターコミュのマンドレイク

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すみません。管理者に断りなく勝手にトピを立ち上げさせてくださいませ。

あの「虹伝説」をもつマンドレイクが、のちにP-モデルへと進化したことを後年になり(ネットを初めてから)知りました。たしかマンドレイク、1977年、78年の2度観た記憶があるのですが、メンバー的にはどうだったのでしょうか?そっくり新バンドに移行したわけじゃないのかとは思うのですが…不勉強ゆえよく分かりません。諸先輩方、もしよろしければ御教授いただければ幸いです。

コメント(20)

たしか、平沢進とキーボードの田中靖美、ドラマー(の名前は忘れた)の3人はマンドレイクからのメンバーで、そこに秋山勝彦が加わったと。
マンドレイクからP-MODELになった時は、本当に驚きました。
大雑把に言うと、プログレから突然テクノポップでしょ?
でも、両方とも好きだったな〜。

マンドレイクの情報は本当に少ないから、詳細はM@URC様の登場を願うしかないが、彼もご多忙なことですし…。
きっと、いつかマンドレイクの紹介なども載せてくれることでしょうから、気長にURC WEBの更新を待ちますか…。

ちなみに、秋山くんはグローリアの高校の同級生。
彼とは、私はバンド連合の時代に一緒にコンサートをやったことがありました。
当時は阿鼻叫喚という名前のプログレ系のバンドで、キーボードをやっていた。
P-MODEL以降の活動でギター&ボーカルもやってるし、マルチな人ですね。

実は、私の知り合いのドラマー藤掛正隆氏が秋山君とユニットを組んでいることが最近わかって、そのうちにライブ観に行ってみようかなと思っているところです。

すみません、話が横道にそれてばかりで。
マンドレイクもP-MODEL同様メンバーの
変動もあったようですが、ドラムは
田井中貞利さんですね。
77、78年の田島ヶ原コンサートでのマンドレイクのメンバーは、下記の通りだと思います。

平沢進
田中靖美
阿久津徹
田井中貞利

この時期は、この基本的なラインナップに変動はなかったと記憶しています。P-MODELへの移行にあたっては、よっちゃさんの言うとおり、ベーシストだけが秋山くんに交代する形だったことは、間違いありません。

そういえば秋山くんがURCの事務所に持ってきた「阿鼻叫喚」のデモテープを覚えていますが、オルガン主体のとんでもなくアバンギャルドというかフリーキーな音楽性でした。

彼がベースを弾いたのはP-MODELに参加する時が初めてだったはずです。「イン・ア・モデル・ルーム」のレコーディングが終わった段階でも「自分のベース・ギター持ってない」と言ってましたね(笑)

マンドレイクやP-MODELのURCとの関わりの部分については、いずれHPに何らかの形でupしたいと思っており、自分の中では優先事項の一つなのですが、はて(例によって)いつになるやら・・・
 私の大学時代の友人が、エフェクターやミキサーとかの自作機材をP-MODEL(マンドレイクもなのかな?)のために作っていたようです。当時のロッキンfとかのエフェクター自作講座に記事を書いていたりしてました。
 そういえばそいつはU高校。恐るべしU市(現さいたま市U)
確か、阿鼻叫喚のステージって、私が人生で初めて、「頭のいい人のやることって、わからないものだな」って感じたものだった、ような記憶があります。でも、もしかすると、阿鼻叫喚自体ではなくて、その他の人のステージを見て、「これこそ阿鼻叫喚じゃん」と思ったからかもしれません。今となってはわかりません。眼鏡をかけた人がいたっけな。
姉貴が、秋山さんと同級生でしたので、阿鼻叫喚の高校文化祭ライブなんてのを見ました。曲の途中で、クロール奏法を披露していただきました。でも、その後、P−MODEL見た時の方が衝撃的でしたが。
ぶらんぱさんは、P-Modelも浦和で観られたのでしょうか?80年前後に出演してもらってたころ、彼らはほとんどパンクバンドでしたね。秋山くんは、つまらないヤジをとばした客の所まで行って叩いたりしてましたからね、それも演奏中に(笑)

その秋山くんは、今月19日にStormyMondayでライヴをやるようです。
http://www2.gol.com/users/fulldesi/live/
もう少し近場でやる時があればぜひ観に行きたいな。
私がP-Modelを始めて見たのは、埼大のムツメ祭??だったように思います。スタレビの前身の・・・??バンド名忘れましたが、「がんばれ田淵君」をやっていた根本氏の歌を聞いた記憶があります。まだ、P-Modelはアルバムを出す前で、平沢氏が指差したメンバーが動き出すような、小気味良い動きの仕掛けで、ノックアウトです。
>埼大のムツメ祭??だったように思います。

じゃ、秋山くんがその行為に及んだ(笑)79年のオールナイトコンサートですね。スターダストレヴューの前身バンドの名前は、アレレです。演奏力がありつつユーモラスで、ほんとに楽しいバンドでした。
「がんばれ田淵君」をやっていたとか、P-Modelの動きとか、バックステージで走り回ってた私より、はるかにぶらんぱさんの方がステージのことはよく覚えてますね〜。また何か思い出したらぜひ教えてください。
秋山君のバンドのドラマーの藤掛氏は、私が昨年参加していた布谷文夫バンドのキーボードの石井啓介氏とTGBOというキーボードインストのバンドやってるのです。
1年位前にTGBOを観に行って藤掛氏と知り合って、秋山君とバンドやってるのを知って、他にも共通の知り合いとバンドをやってるのが分かりビックリしたのでした。
グローリアにはその情報を伝えて、今度秋山君のライブ行ってみるべという話は出たんだけど…なかなかタイミングが合わず今のところまだ行ってないのでありました。
色々さん、情報ありがとうございます。

秋山くんのブログ、面白いな〜。今後時々覗かせてもらいます。
突然失礼します!
長いことマンドレイク/P−MODELのファンで、浦和に住んでいる者です。
地元にマンドレイクがこんなにも関わっていたなんて感動です。
先日、田島が原も感慨に浸り踏みしめて来ました。
(正確にはどこか分かりませんでしたが…)
埼玉大学にも学食を食べに潜ったりしているのですが…
ウラワロックンロールセンターの事務所って、どこにあったのでしょうか?
大学構内ですか?
創設スタッフが一人埼大生だったということはありますが、あとは埼玉大とは学園祭イヴェントのプロデュースをしていたというだけの関係です。

で、事務所は旧浦和市内を何ヶ所か転々としているんですが、浦和高校近くの谷荘というアパート時代が一番長く、76年から84年までそこに在りました。6畳一間で、大雨があると近くの小川が氾濫してよく水没しました(涙)。また浦高通り側に面した窓が、ちょうど人の出入りがしやすい位置・大きさであり、皆当たり前のようにそこから出入りしてました(笑)

マンドレイクのデモテープを持って窓から入ってきた平沢氏と初めて会ったのもそこです。P-MODELを始めたばかりの時にも、デモテープを聴かせに来てくれたな。何か鋭角的な感じが伝わってくる人だったので、彼の来訪はよく覚えています。

その後事務所は85年に浦和橋近くの常盤のマンションの一室に引越し、2回の「田島ヶ原」を開いた後、87年に引き払って事務所はなくなります。
>M@URCさん
詳しいお話、ありがとうございます。地元にまつわる平沢さんの話が聞けるのは嬉しいです。
平沢さん達が谷荘を訪れた時のエピソードは、マンドレイクCDのライナーノートにも書いてあります。
私のうちは北浦和駅周辺にあり浦高も近いので、先ほど深夜の散歩をして谷荘を探して来ました。
当然見付かりませんでしたが、浦高を少し過ぎたところの向かい側の少し奥まった家に入りたくなる様な窓はありました…。
青空駐車場の奥に在る木造のオンボロ長屋が谷荘でしたが、バブルの頃だったかな、白亜の瀟酒なアパートに改築されました。その時名前も変わったでしょうね。

記憶の糸をたどると、P-MODELを始めた時に聴かせてくれたデモテープに入っていた曲は、「美術館」と「ルームランナー」の2曲で・・・それを二人でその6畳で聴いていたというのは、今となっては何だかとてもシュールな感じがする(笑)

今調べてみたら、それは79年1月25日のことでした・・・調べればわかるっていうのがちょっとスゴイな、我ながら(笑)
始まったばかりのP^MODEL・・もう一度みてみたいものです。
本当の意味で、あれから、自分もバンドを続けて年取りました。あぁ。

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