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音楽ダイアリーコミュの2/07ラロ

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『スペイン交響曲』初演1875年
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ヴィクトール・アントワーヌ・エドゥアール・ラロ(Victor Antoine Édouard Lalo, 1823年1月27日 - 1892年4月22日)は、フランスの作曲家、ヴァイオリンおよびヴィオラ奏者。スペイン交響曲(ヴァイオリン協奏曲第2番に当たる)、チェロ協奏曲が有名。歌劇《イスの王様》は、今日ではまず全曲が上演されることはないが、その序曲はフランス歌劇の序曲集といった盤などにも収められていることがある。

* 祖父の代まではスペイン人(バスク系)だった。
* 1839年にパリへ出て、ヴァイオリンをアブネックに、シュールホフらに作曲を師事
* 1845年から作曲を開始する。48〜49年に数曲の歌曲を出版するが失敗。室内楽も試みたが、これも同様だったため、しばらく作曲から遠ざかる。
* 1855年に仲間と弦楽四重奏団を結成し、ヴィオラの担当として活躍。
* 1865年にアルト歌手と結婚。そのことに元気づけられ、作曲の意欲が再燃。
* 1874年にヴァイオリン協奏曲第1番へ長調をパブロ・デ・サラサーテのヴァイオリンにより初演し、大成功する。

その後もスペイン交響曲やノルウェー幻想曲などがサラサーテによって初演され、ラロの人気は高まる。

* 性格ははなはだまじめ。
* 室内楽に熱意を注いでいた。

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コメント(1)

第2番《スペイン交響曲》作品21は、エドゥアール・ラロが1874年に、パブロ・デ・サラサーテのために作曲した作品。ラロの代表作と看做されている。ニ短調をとる。1875年2月にパリで初演された。19世紀から20世紀前半までは、第3楽章「間奏曲」をカットする習慣が続いたが、20世紀後半にメニューインなどが全曲演奏および全曲録音に着手してから、現在ではカットなしの演奏が一般化している。

交響曲と題され、5楽章からなるものの、実質的には、ヴァイオリン独奏と管弦楽のために作曲された、交響的協奏曲にほかならない。随所にスペイン的な主題が使われ、フランスにおけるスペイン趣味の流行の前触れを告げた。(本作の初演は、ビゼーの歌劇《カルメン》の初演に先立つこと実に1ヵ月であった。)

ヴァイオリン協奏曲と公称されたラロの作品は、《第1番 ヘ長調》作品20があり、交響曲と公称されたラロの作品はト短調の作品(作品番号なし)のみである。《スペイン交響曲》から13年後の、この《交響曲 ト短調》は独奏楽器を伴っておらず、トーマス・ビーチャムに愛されたものの、めったに上演も録音もされていない。

本作は以下の5楽章からなる

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