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備後の歴史を歩くコミュの大仙神社跡 福山市駅家町服部永谷

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服部大仙神社
福山市駅家町服部永谷に鎮座する。

伯耆大山に鎮座する大山寺の本尊は地蔵菩薩である。本地垂迹により地蔵菩薩は智明権現と称された。この智明権現は牛馬の守護神として全国に勧請された。明治の神仏分離により智明権現は廃止され、大山寺も大神山神社に分離された。備後の智明権現も大仙神社として牛馬守護の信仰が続いた。近年になり農業も機械化が急速に普及し、村々で飼育されていた牛馬は姿を消した。それに伴い大仙神社の御神徳も衰退していった。

文化15年(1818)、山手村庄屋三谷家が菅茶山に差し出した『山手村風俗書上帳』には「1月24日、牛馬守護神という服部大仙社へ牛馬を率いて参詣した」という記述が見られた。わざわざ山手からここまで参詣したということは、参詣したのは山手村だけではなく備後一円から集まっていたのであろう。その服部大仙社は地図には記載があるものの『広島県神社誌』への収録はない。ここも例に漏れず衰退したのだ。訪ねてみると地図の示す通り服部八幡神社西方の山麓に鎮座していた。大仙社への道がわからず、椋山城趾を示す案内板があり、この途中にあるのだろうかとそちらに進むと、山頂の椋山城趾に行き着いてしまった。一度降りて右に行った三叉路を左にとって上るとわけなく大仙神社に着いた。しかし、社殿は礎石ばかりですでに無く、昭和63年3月12日(旧1月24日)服部永谷の若井一巳氏により「大智明大権現」と刻字された石囲いにご神体が安置されているのみであった。横面には「伯州大山大智明大権現の分霊を勧請したと伝える。市場に市が立っていたようで市の宮である」と紹介されている。かつて旧暦の1月24日には市が立つほど賑わっていたのだ。

智明権現は、明治以降は大神山神社が大国主命を祭神として受け継いだ。大国主がウサギを助けたように農家では牛馬の守護神となった。しかし、衰退の一途を辿っている。この服部大仙社は備後分社として後世に遺していただきたい。

地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.18.47.691N34.34.11.840&ZM=9

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