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備後の歴史を歩くコミュの浦上八幡神社

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浦上八幡神社(うらかみ) 福山市春日町浦上に鎮座する。

天文7年(1538)坪生村の新中八幡宮から浦上村馬場山に勧請し、天文18年(1549)に現在地に社殿を造営し遷座した。坪生村の新中八幡宮は、現在の坪生八幡神社で祭神は応神天皇一柱だが、ここ、浦上八幡神社の祭神は神功皇后、応神天皇、宗像三女神という八幡神である。大正4年に村内の29社をここに合祀している。神社の合祀であるが、最初は明治9年に荒廃した小社、小堂の類は最寄りの社寺へ合併または移転を明治政府が命じた。明治39年には内務省が神社整理(合併)を本格的に指示し、神社合併が推進された。合併の多い例をあげると、油木町の亀鶴山八幡神社は明治40年から43年にかけて218社もの神社が合併された。県内の神社数の変化は、明治31年には約9700社もの神社が存在したが大正5年には5500社に減っている。昭和13年には5300社となり、戦後は政教分離がなされた結果、宗教法人化した神社は2800社となったが、2500社程度の小祠が地域住民の力で現在でも存続している。

本殿は三間社流造であるが、さらに向拝が付く。通常の向拝部分には床板が張られ吹き放ちの外陣となっている。参道は長い。階段の途中には随神門が建つ。

写真(狂ちゃん撮影)
左:石鳥居と長い参道
中:拝殿 向拝は向唐破風
右:随神門

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.25.31.164N34.31.13.729&ZM=9

コメント(9)

浦上八幡神社

写真(狂ちゃん撮影)
左:由緒書
中:本殿
右:本殿と境内社 29社が合祀されている。
浦上八幡神社

写真
狛犬(昭和12年10月吉日の銘)

境内の薬師堂
茅葺き屋根をトタンで覆ってます。
浦上八幡神社

随神門と中に収められている木像2体
随身門に納められている木像の狛犬2体

江戸時代中期、明和4年(1767)に建てられた第2石鳥居
浦上八幡神社

銅板葺き屋根の三間社流造に一間の向拝を持つ。前方一間通りは吹き放ちの外陣で、外陣内陣ともに柱は角柱が使われている。身舎と外陣とは4本の海老虹梁が渡される。身舎柱は長押が打たれ頭貫で固定され、中は平三斗、四隅は連三斗が桁と梁を受ける。前面の柱間には蟇股が置かれている。側面と背面は何も置かない。妻飾は豕扠首という古様式だ。向拝は虹梁型の頭貫で固定され、その木鼻には動物の彫刻が施さる。連三斗が桁を受け、垂木との間には手挟、柱間は蟇股を置く。
境内の薬師堂ですが、付近の辻にあったものが戦後境内に移築されたものと思います。


浦上八幡神社の御旅所

どう見ても前方後円墳に見えるのですが・・・。
今度、全景を撮ってきます。

この場所には東西10kmの福山断層が通っていて、さらに南北にも亀裂が入った渓流の出口にあたる土地なので、その影響ではっきりとした地電流の変化があり、磁気変動が心地好く脳を刺激してくれる、昔ながらの言い方をすれば“霊場”に該当するスボットになっています。そのため、なかには脳を活性化されすぎて、気分が悪くなる人や、夜に来ると磁気刺激の影響で幽霊が見えてしまう人もいるようです(笑)。

斎女様達はこのような磁気の変動が起こっている土地で、好んで脳を活性化させるトレーニングをなさいます(六甲山の布引の滝もその一つですね)。隧神門のところで斎皇時代に耀姫様が神遊の舞を披露なさったこともある思い出の場所です。

活断層の真上の軟弱地盤の田畑に建てるわけにはいかないので、強固な岩盤の上に建てようとしたものの、あまり山の斜面を削ると崩壊を招く可能性があるため、ギリギリ奥行きを確保しようとしても狛犬を置くスペースが足らず、結果的に隧神門を下に置く形式を取ることになったようですね。

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