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備後の歴史を歩くコミュの南宮神社

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南宮神社(なんぐう) 府中市栗柄町

あじさい寺で有名な神宮寺を持つ南宮神社に行ってきた。本殿は寛文九年(1669年)の再建とされ、府中市文化財に指定されている。五間社入母屋造千鳥破風付き、軒唐破風向拝で銅板葺き屋根という堂々たる本殿だった。意匠は吉備津神社によく似ているが、吉備津神社は七間社であるからそこよりは一回り小さい。一宮に遠慮したのかも知れない。建立当初は柿葺(こけらぶき)で、後に檜皮(ひわだ)に葺き替えられたが、平成五年に銅板葺きとなった。創建は大同二年(807年)とされ、国府の南に鎮座する宮で南宮と称するという備後を代表する古社の一つだ。神仏習合時代の名残で神宮寺を有し、また境内には鐘楼も残っている。釣るされている梵鐘であるが、最初のものは福島正則が没収。広島に持ち帰る途中尾道沖で沈没したとある。二代目はペリーが来日の際、大砲を造るために供出された。それ以降、百五十年間ほど梵鐘のない鐘楼だったが、平成十六年七月に新造され、やっと釣り下げることが出来たとある。鐘楼を持つ神社は、全国でも二百社余り、広島県では二社しかない珍しいものだそうだ。明治に始まった神仏分離での廃仏毀釈をどうやって免れたのだろうか。木梨城主杉原又太郎が社領四十二貫を寄進しているが福島正則により没収。しかし、水野勝成が神田一反を寄進したとある。この神社も勝成の恩恵を受け、今日まで紡がれてきた神社だ。

祭神は孝霊天皇、イザナギ、イザナミ、金山毘古神。相殿神として宗像三女神以下多数が列挙されている。

神社の脇に南宮神社の主祭神である孝霊天皇御陵とされる古い宝筐印塔が建っている。孝霊天皇が譲位後、この地で崩御され築かれた説と、御子の吉備津彦が御分霊を祀る御陵を築かれたという説と2説ある。境内や周辺には桜がたくさん植えられており、もう一週間ほど後で参拝すれば満開の桜が出迎えてくれたはずだ。


写真

左:派手さの全くない本殿、しかし存在感は肌で感じた。
中:軒唐破風 神紋は「五瓜に唐花」吉備津神社と同じだ。
右:鐘楼

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.14.17.751N34.32.58.552&ZM=9

コメント(22)

南宮神社

写真

左:神宮寺
中:随神門
右:3〜4分咲きの桜
南宮神社

写真

左:孝霊天皇御陵
中:桜
右:境内社
左:すぐ下に神宮寺がある
中、右:グランドゴルフをされていました。
個展会場に行く前に友人とアジサイ寺に行ってみました。
残念ながら、アジサイはまだまだ咲いてないようなので、あまのさんに教えてもらった南宮寺に行ってみました。
立派な社殿に圧倒されました。
 杉の木も大きい!!
手洗い場で(なんていうのかなあ)
 こんな可愛い看板を見つけました。
 馬も元気そうにしていました。
アジサイまだですかあ。
咲いてから行こうかなぁ…。

白馬くん、なんてご立派な檻に入ってるんでしょ☆
動物園みたいぢゃ(笑)

手洗い場はたぶん手水舎というのだと思います。
そのまんまですけど……。
手洗い場・・・でもいいと思いますが、手水社(てみず、ちょうず)とかいいます。

デッサンされましたか?
いえいえ・・
 鐘はつきました。
 
えっ!

鐘をついたんですか!!

勝手に・・・?
え?

寺の鐘って、たいがい勝手につくでしょ?
うん、わたしも迷ったんだけど、一緒に行った友人が
アジサイが咲いてないから、鐘ぐらいつかしてもらわんと
などと、変な理屈でついてたのが、あまり気持ちよさそうだったので・・・ついついと。
鐘の音って、なんて心地よいのでしょう・・・
鐘の音というのは護国安泰だかなんだかを祈願するものだから、
たくさん撞かれた方がいいんだとか思ってますヨ。
場所によっては、お布施を…とか書いてあって撞くようにしているところもあるけれど。
遊び半分に撞くのはよくないけれど、祈りをこめて撞くのはよいのだと思いますよ。
鐘の音で時報を知らせている寺もないだろうし。
(いや、一部あるかもしれないけれど)
気になったからちょっと調べてみた (^-^;ゞ

『梵鐘は寺院において色々な行事を行なうときの合図に、また朝夕には時を伝えるとともに、衆生[しゅじょう]の愚かしい考えや悪行を引きとどめることを目的として打ち鳴らされる。さらに、その音色を聞くことによって、地獄の苦しみから逃れ、極楽に往生できるとされている。 』
とか『寺院にとって梵鐘とは、朝夕の時報、諸行事の合図はもちろんのこと、鐘を撞くことによって、仏道に帰依し、悟りが得られますように祈願するという大切な目的があります。』
鐘の音で清浄にするという意味もあるようですね。

私は鐘をついた後は、ちゃんと合掌してお祈りしております。
まあ、でもお参りせずに観光の場合は、おさい銭もあげておりませぬゆえ (^-^;ゞ
うちの裏にある三宝寺さんは、今でも毎時に鐘の音が聞こえてきます。午後10時が最後かな・・・?

なり出すと手を止め、つい数を数えてしまいます。
「聞き入る」のですね。
南宮神社の紫陽花は今が見頃です。
雨が降ったこともあって紫が映えます。
見所は参道の脇と随神門の右下がいいです。

左;参道
中:参道左側の紫陽花
右:随神門下の参道右側の紫陽花
それまで降っていた雨が上がって、傘をたたんでゆっくりと散策・・・。

良いタイミングで行かれましたね!!
はい、よかったです。
地元ながらいつも行くタイミングを外していました。

神社下にある神宮寺はあじさい寺とも呼ばれています。
個人的な好みとしては神社の所にある紫陽花の方がいいですが・・。
南宮神社

7月1日は「虫送り」のお祭りでした。
あいにくの小雨の中でしたが鉦、太鼓の音が響いていました。

昔の人は、この音で稲に付く害虫を追い払うと考えたのです。
2008年1月8日、南宮神社の鐘撞堂と随神門の二棟が府中市重要文化財に指定された。鐘撞堂は17世紀中ごろ、随神門は1687年の建立とされる。寛文9年(1669)に造営された本殿は昭和58年12月6日、先に府中市重要文化財に指定されている。

鐘楼は切妻造です。このように四本の柱を「ハの字」のように下部よりも上部の方を狭くして安定させる造り方を「内転び(うちころび)」といいます。四本の角柱は上二カ所、下一カ所の「貫(ぬき)」で固定され、特に最上部の貫を頭貫といいますが、その上にさらに「台輪(だいわ)」とよばれる板材を乗せています。柱上に木を交差させて組む「三斗組(みつとくみ)」を置いて桁と梁と支えます。梁は虹のように緩くですが弧をかかせてあるものを虹梁(こうりょう)といいます。桁(けた)は二重の繁垂木を支え、虹梁は真ん中から大瓶束(たいへいつか、短い丸柱)を建て大棟を支えます。柱間では台輪と虹梁の間に間斗束(けんとつか)を建てて中心が下がるのを補強しています。たかが鐘楼、されど鐘楼。手抜きのない凝った造りといえます。

随神門は貞享4年(1687)の建立である。桁行三間、梁間二間、切妻造で三間一戸と称される。中の一間が通り抜けが出来る。12本総ての柱は角柱を使い、貫と長押で固定される。柱上は斗供などの組み物は使わず、舟肘木という古い様式で梁桁を支える。屋根は桟瓦葺だ。新聞には「随身門」とあったが「随神門」が一般的な表記だと思う。

写真

左:随神門
中:鐘撞堂(かねつきどう)鐘楼(しょうろう)ともいう。
右:南宮神社本殿

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