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萬葉集・万葉集コミュのはじめまして

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私は万葉集と明日香が大好きで、万葉集に出てくるところをよく歩いています。
今日からこのコミュニティーに参加をさせていただきます。
私の好きな歌は天の香具山を歌ったものです。
添付の写真は、先月に天の香具山を歩いた時に見つけたものです。

コメント(107)

>>[67]さん

はじめまして

段々このコミュも熱くなってきて嬉しいですね。

どんどんコミュニケーションしたいです。

旅人と憶良の友情については知らないので、是非教えて頂きたいです。

「酒をほめる歌」とかあった気がしますが、あれは六朝の「竹林の七賢」の真似ですか?

あんまり詳しくない辺りなので是非教えてください。(^^)

おから

>>[67]さん
旅人にとっては大宰府に逃れてきたのは正しく苦難の連続だったかもしれませんが、筑紫歌壇を形成した2年間は双方にとって一時であったとしても政治の事を忘れる事が出来た2年間だったのかもしれません。

写実的に彼は詠んでいるんですが、和歌の基本はこの自分が感じた感情や景色を写実的に詠む事が大切で、彼の歌が一番優れている所かなと考えています。
経験を言語化出来る知性と感性は本当に作品を読めば分かりますし、感情と理性のせめぎあいが凄いと思いますね。

何か…本当に有り難うございますm(__)m

>>[69]

 旅人と憶良とは年齢は近いですが、家柄が大きく異なりますし、上司と部下という関係でもありますので、友情とは少し違うかもしれませんね。

 でも、2人とも万葉集に残っている歌はあらかた九州時代のものですので、九州で2人が出会い、お互いに刺激しあって2人とも歌作が盛んになったということはありそうに思います。

 讃酒歌13首の中にある「古の七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし」(340)の歌は、「竹林の七賢」そのものを題材にしていますね。13首全体としては、藤原氏に対する鬱憤の歌と思えます。
>>[70]

 九州に着いて早々、奥さんを亡くしていますし、望郷の思いをうたった歌もあるし、つらかったでしょうね。

 都に帰ることになった時はさぞ嬉しかったでしょうけど、実際に自宅に着いてみたら、「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」(451)ということで、何とも気の毒です。

 「経験を言語化できる」ことは羨ましくも貴重な能力ですね。それでも旅人自身は「筆の言を尽さぬは、古今、嘆く所なり。」(793序注)と言っているわけで、旅人としてはまだまだ満足できなかったのでしょうね。
>>[71]さん

明日は用事がないので、「筑紫歌壇」あたりをちょこっと読んでみます。

「憶良らは今はまからん子泣くらんそを負う母も我を待つらむ」だったかな?

(確認をとっていませんが)

憶良の歌はストレートに感情を表現しているので覚えやすいですね。

これもたしか学校で習った気がします。

思うのですが、日本の文化は日本の自然と切り離せません。

日本の自然を守ることは、日本の文化を守ることだと思います。

おから
>>[73]
 確かにそうですね。
 万葉集では四季分類のある巻は、巻8と巻10だけですけれども、それ以外の巻の歌にも季節感のある歌は多いですよね。
 やがて古今集以降になると、巻の立て方は四季分類から始まりますし、俳句には季語がありますものね。
 季節ごとに自然が大きく変わることも自然の豊かさですよね。
僕の歌の先生は憶良なんですが、やはり何処かに感情を躊躇ってしまう部分があって、まだまだ修業が必要だと感じます。

ただ、悲しみや苦しみを肯定する作品をあえて選んで作り続けたのであれば、それは凄い事だと思うんです。だって人間が持つ普遍的な感情を肯定する事は生きる活力にもなるし、必要な事だから。

僕ばっかり憶良の事しか語ってすみませんm(__)m
もっと勉強しなくちゃなぁ…。
それでは、話題をちょっと変えましょう。

憶良や旅人も大歌人ですが、赤人や人麻呂は、「歌聖」と呼ばれます。

人麻呂の長歌のテクニックは信じがたいほどすごいと思うのですが。

萬葉のエベレストだと思います。

わたしは今、保田與重郎の「わが萬葉集」を毎日少しずつ読んでいますが、その同好の士がいれば嬉しく思います。

そのあたりについて、どなたかご意見はありませんか?

おから




家持が筆を折る瞬間、彼はきっと心の支えを失ったような辛さを感じていたんだと思う。
自分の家や一族を守る為にはなりふり構っておれなかっただろうし、これ考えると想像し過ぎて涙が出そうになりますあせあせ
家持は筆を折ったのですか?

それは知りませんでした。

わたしの知識はその程度です。

ぜひ、詳しくご教示頂きたいです。

わたしは國史の知識が弱いし、國史の知識がないと正確に萬葉は読めません。

わたしは、最後の歌(巻二十、4516)「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)」は萬葉完成の祝い歌だと思っていましたが、違うのでしょうか?

萬葉の成立には、多々謎はあります。

大伴家持が大成したにしろ、その過去に消えてしまった「人麻呂歌集」や、「類聚歌林」などの素材は、豊富にあったはずです。

また、東歌や防人歌などは、誰がどういう形で集めたのか、不思議です。

つまり、萬葉は、独りが成したことではなく、家持もそれはよく知っていたと思います。

講談社文庫の「萬葉集事典」(中西進・著)はよくできていて、ちょっと調べるには便利ですが、もうちょっとしっかりした、ボリュームのもう少しある「研究史事典」があると助かるのですが。

どなたか、適価で入手しやすい、また詳しい「萬葉集事典」があれば、教えて欲しいです。

白川静先生は、「字訓」で、よく萬葉のことを書かれていますが、白川先生は、萬葉は、どのくらいされたのでしょうか?

初期萬葉論と、後期萬葉論は出しておられますが、完全な萬葉の専門家の論が是非聞きたいし、知りたいことも沢山あります。

久松潜一先生は、随分萬葉には打ち込まれたと思いますが。

詳しい専門の方が居られたら、是非ともご教示頂きたいです。

たとえば、朝鮮語から萬葉の出鱈目を言う俗説は、漸く消えてホッとしました。

あれは國史への侮辱だと憤慨したものです。

心ある人は、せめて萬葉仮名の研究史を深く学べば、ああいう俗解には堕さないものと思いますが。

萬葉研究のハードルが低くなるといいと感じ、それを専門家の努力に期待します。

必ずしも流麗な歌ばかりではなく、またよく読んで、かつ人生を積んでようやく判る歌もあると伺っています。

また、いまだに定訓を得てない歌には、いつかは定訓が付く可能性があるのでしょうか?

わたしは、萬葉から古典に入ったのですが、萬葉自体は、なかなか進んでいなくて、ばーっと興味が散らばってしまったことは、過去にも言いました。

例えば、古今集だと、そういう現象はおきないのですが、萬葉だけは特別です。

不思議な歌集だと思うところです。

皆さんは、ばーっと巻一から巻二十まで通読されているのでしょうか?

巻が二十というのも、ひょっとすると「論語」に合わせたのかもしれません。

これは全くの憶測ですが。

皆さんはどう思われますか?

おから

大変愚案を呈してしまいましたが、識者のご賢察を仰ぎたいと思います。

いまは、儒典を読む事が面白く、それはいずれ萬葉にやくに立つと思っています。

言い訳です。

おから
思いだしましたが、保田與重郎も、萬葉を「慟哭の歌」と言っていた記憶があります。

ご興味のある方は、「わが萬葉集」(文春学藝ライブラリー刊、¥1940プラス税)がお勧めです。

漫獨するに良く、また精読にも耐えると思います。大変面白い本です。どうも絶筆らしいですが、保田の萬葉愛が偲ばれます。

この本も以前挙げましたが、繰りかえし宣伝する値打ちはあると思います。

おから
>>[81]
家持は40代に入った頃にピタリと作品を残しておらず、その後大伴家や一族を守る為に奔走したと考察サイトで知りました。
僕のかなりの空想が入っていますが、もし一族や家を守る為に彼があえて折ったと想像すると苦渋の決断だったかと思いますし、何かやりきれない感情が残るんですよね。

説明不足で申し訳ありませんでしたm(__)m
>>[82]

そうですか。

大伴家の家職と、萬葉の仕事は関係があったのでしょうか?

「新撰姓氏録」あたりは、何かのヒントになるのかもしれません。

ウィキペディアで調べるだけでも、かなり古い家柄で、古来は軍事に関わる家柄のようです。

ここからは、専門書に当たらないとちょっとわからないですね。

大伴氏と、中臣氏(藤原氏)の間に何らかの出来事があった可能性があるとも思えますが、わたしは國史をちゃんとしていないので、憶測です。

続日本紀を丁寧に見ると何か見えてくるかもしれません。

そんなことばかり考えているので、萬葉自体を読むのがなかなか捗らない訳です。

六国史を読みこなすのも、かなり読解力が要り、宣命書なども知る必要もあります。

大學では、日本古代史の研究会に入りましたが、相当に大変で脱落しました。

いきなり「研究発表せよ」といわれましたが、発表もなにも、全く知らなかったので、無茶なものでした。

「國史大辞典」などを読んだら、なにか見える可能性もあります。

本当は、もっと詳しい、専門家だと、サッといい答えが出るのでしょうが。

わたしは、今は「言海」という辞書についての小説があり、面白く読んでいて、手が余り空きません。

言海も、諸橋大漢和も、面白いといえば面白いですが、萬葉とは余り関係がありません。

先ほどちょこっと書きましたが、白川静先生の「字訓」を丁寧に読むと、白川先生の萬葉観は、ある程度見えると思うのですが、白川先生は、萬葉の一流の専門家とは伺っていないので、先ほども書いたように、全ての史料を網羅した、「萬葉大辞典」があると、随分助かると、こういう時に思うのですが。

大伴氏の史料は、一体どこからの引用なのかも、考える必要もありますね。

家持が、ある年齢から歌を止めたのは、空想をたくましくすると、面白い小説になりそうです。

もしかすると、萬葉を解く鍵の一つになるかもしれません。

おから


どうも話題が発展しないので、努力を必要とするようです。最低限、天平時代の歴史を調べることは、そう難しいことでもないので、自己努力でやってみます。白川先生の本で、「詩経と萬葉は、似たところがある」という言葉も面白かったので、詩経も、できたら読んでみようと思います。萬葉は、新潮の紫の本の第一巻から、ぽつぽつ読むつもりです。なにか発見があったらアップします。

おから
ちなみに今読む本は子供用で、集英社の「日本の歴史4,天平の時代」ってのです。たまたま部屋に転がっていたので、とりあえずこれを読んでみます。

おから
>>[86]

どうも遠い世界のできごとのようで、何が何やら判らないです。

すみません。

わざわざ発言したものを特に消す必要も無いと思いますが、私には謎の世界です。

ところで、続日本紀が手に入りましたが、漢文読解力がないと歯が立ちません。

また、日本漢文は、中国漢文とは違う部分もあり、勉強が要ります。

必要だと思って、宣長の「古事記伝」は読んでいます。

また「わが萬葉集」もちょっとずつ読んでいます。

ご報告できるような大発見は、今のところないです。

なんともトンチンカンな発言でしたらお詫びします。


おから

>>[87]
 入手された続日本紀はどのようなものでしょうか?
 国史大系本などだと厳しいかもしれません。
 岩波の新日本古典文学大系本でしたら、原文(返り点つき)、読み下し文、脚注、詳細な補注が付いていますので、分かりやすいと思います。
>>[88]さん

ええと、仰るように、國史大系本ですね。大學一年生の頃これでやってたので、(続日本後紀でした)ただ読むだけなら、難しいところはそれほどありません。

しかし、その中から重要なデータをピックアップするのは、大変です。

あと、固有名詞とかでは、詳しい注がないと何が何やら判らなくなる可能性もあります。

萬葉に関係する部分は、ごく一部なので、真剣に読む必要があります。

集中力が要ります。

たしか、岩波のは図書館に行けばあるはずです。

また、部屋のどこかに「続日本紀宣命」という岩波文庫があるはずです。

この「宣命」だけは特殊な読み方があるので、訓練が要ります。

ところで

ちょっと気になっているのですが、「セーラー服」ってのは、特に消さなくても良かったのではないでしょうか?

騒がしいところを除けば、若い女もいいものです。

ただ、それと憶良がどう関係するかは考えても判りません。

なんとなく責任を感じるところですね。

おから

憶良を調べていた時にたまたま赤人と同年代に生きたと言う事に改めて気が付いて、もしかすると憶良は宮廷における赤人の評判や歌を知っていたちゃないんかね?と思うて、もし知っておったら彼が与えた影響で大きいんじゃなと思いました。

赤人は僕の主観ですが、柔軟性があり言葉で絵が描ける稀有な才能を持った歌人じゃと考えます。
才人が宮廷におりしかも同じ官僚であり歌人であるならば、きっと…概念を覆す程のショックがあったかもしれません。
>>[91]

それは大変に面白いことを見つけられましたね。わたしは赤人の方がずっと先輩のような気がしていました。ただ歌風というのか、受ける感じは、随分違いますね。それで同時代と気がつかなかったのですが。大変面白いと思います。

おから
>>[92]
僕の考えですが、40〜30才年が離れていてもおかしくない歌風じゃと考えます。
憶良が精力的にかつ全盛期だったのは60代に入ってからですが、憶良が持つ宗教観に基づいた思想や漢詩に対する深さは正に経験を積んだから紡がれた表現であり、悪く言えばリアリティーに走り過ぎて若干真面目過ぎたんだと思います。

一方赤人は逆に基礎をしっかりと抑えつつ31文字と言う自由を体現することで、自然の雄大さや美しさを見事に自分の言葉として表現しきる事が出来た。
これは勢いあるまだ形に囚われにくい若さがある故に出来た事じゃないでしょうか?

経験を積めば段々と定型律に則った歌らしい歌に自然となります。しかし、歌と言う形に当てはめてしまうと言葉の勢いが失速してしまいますから、如何に脱却するのが大切だと思います。
だから、当時の歌人達からすれば彼の存在は地位が低くありながらも異彩だったのかもしれません。
>>[93]

いろいろ面白いお話興味深いです。

また、実際に歌を詠まれておられるところのご意見がよく生きている論と承ります。

私にはうまくフォローする能力がありません。

これから考えてゆきます。

また、発見するところがあれば是非ご教授頂きたいと願います。

実朝が好きなのですが、大ちゃんさんが、赤人に仰るようなことは実朝にも言えるのかもしれません。

そんなことをふと思いますね。

おから
僕の万葉観と言うちゃろか?
あんましアテにはならんもんじゃあせあせ

中学の頃から憶良を切欠に好きなって、そこから一人で短歌を詠んできましたから殆どが知識は無く空想やと思うちょります。
一人の歌人として、僕の場合は見習っている存在なんかもしれんね。
結社に属せず短歌のみならず近現代文学や詩人とかが師匠でしたから、もう世間にはおらんけど読む事で教えてもらっちょるかもしれんばい。
初めましてpeloです。
初音ミクでこういった曲つくりました。もしお時間よろしければぜひ・・・
万葉集の言葉はほんと素敵ですね

(仕事中にバタバタしながら記憶だけで書いたので記述に誤りがあり^^;カッコ悪かったので削除&再投稿です)

はじめまして。take5(テイク ファイブ)と申します。

万葉集に興味を持つようになったのは、25年くらい前に梅原猛の「水底の歌」を読んだからで、岩波の日本古典文学大系の「萬葉集一」を古本で買い求めたのでしたが、結局、巻一と巻二の人麻呂の長歌と反歌(特に挽歌)になぜだか異常に興味を覚えてしまい、山本健吉や西郷信綱、北山茂夫、最近では佐佐木幸綱の人麻呂論などを読んでは、巻一、巻二をたまに読み返すだけで、巻三以降になかなか進めないままの、万年入門中の初心者です(また梅原猛の「黄泉の王」や里中満智子の「天上の虹」を読んだときにも、巻一、巻二の一部を読み返えしました)。「好きなうた。」などのトピックでの興味深い投稿を読ませていただきながら、少しずつでも巻三以降に進めたらなあと思っていますので、宜しくお願いいたします(ちなみに、現在九州在住ですが、上記の本などの影響で飛鳥時代にも興味を持ち、明日香村には三度、山の辺の道や藤原宮のあたりもそれぞれ一度訪れたことがあります。)
はじめまして。
万葉集については全くの初心者です。
図書館で講談社学術文庫の『万葉集入門』を借りてきて勉強を始めました。

小遣いを貯めて岩波文庫の万葉集セットを購入することを検討中です。

先輩方のご指導をよろしくお願いします。

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