萬葉集・万葉集コミュの235歌について

人麻呂作235番歌について

天皇(すめらみこと)の雷岳(いかづちのをか)に御遊(いでま)しし時に柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも
(天皇は神であられるから天雲に轟く雷の山の上の仮宮にいらっしゃることだ)
原文; 皇者神二四座者天雲之雷之上尓廬為<※①流鴨>
(巻三ー 235)

左注;右は或る本に曰く「忍壁皇子に献る」といへり。その歌に曰はく
王は神にし座せば雲隠る雷山に宮敷きいます
(大君は神であられるから雲に隠れて轟く雷の山に仮宮を建てていらっしゃる。
原文; 王神座者雲隠伊加土山尓宮敷座

柿本人麻呂が天武朝に出仕したのは、天武九年(680)人麻呂が天武朝で活動していたと認められる二〇三三番七夕の歌(人麻呂歌集)の件から考えて※②天武四年(675)、人麻呂二十歳くらいのことではないだろうか。天武元年(672) 六月壬申の乱が起きて終息した後、天武が明日香浄見ケ原に宮を作り、さらに持統八年(694) 十二月に藤原京へと遷都したのだが、その間に詠まれたと思しき歌に

壬申の年の乱の平定せし以後(のち)の歌二首
訓読; 大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居(たゐ)を都と成しつ
(大君は神でいらっしゃるから、赤い馬が腹這う田んぼを都になさってしまわれた)
原文; ※③皇者神尓之座者赤駒之腹婆布田為乎京師跡奈之都
(大伴御行・巻十九ー 4260)

大君は神にし座せば水鳥のすだく水沼(みぬま)を都となしつ
(天皇は神でいらっしゃるので、水鳥が鳴き集まる水沼を都としてしまわれた)
(作者未詳・巻十九ー4261)
がある。

私は以前投稿した【89】～【91】の中で述べた土橋先生や奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長松井章氏の話から、この歌に詠まれているのは湧水過剰であったという藤原京のことだろうと思っている。今、4261の「水沼」という語を見るとその思いはさらに強くなる。
藤原京も※④その後のtake5さんの話から天武時代から既に始まっていたということだから、この御行たちの歌は上記からやはり藤原京完成前の工事終盤に詠まれたものではないだろうか。

一方、人麻呂235の歌は持統に献じたという意見が強いが、確かに足が弱くなった持統が標高10メートルそこそこの雷山で国見をした時のものと考えると持統晩年くらいの時代の作と考えるのが妥当なのかもしれない。若い文武ならまず甘樫丘、香具山、畝傍山あたりの、さらに見晴らしの良い山に登るのではないだろうか。尤も意外なことに、茂吉氏によると「現在でも雷岳の上に立てば、三山を込めた大和平野を一望のもとに眼界に入れることが出来る」ということである。
(但し、1938年以前のことではあるが)

「大君は神にしませば」の語は、この235と4260、4261の二つの歌群の歌が詠まれた壬申の乱後の時代の天皇権の伸長と時代気運の中に生まれたものである(犬養先生)
235歌の題詞に「天皇雷丘に御遊しし時」の作歌とあるが、この語はその持統と思しき天皇が、雄略天皇の忠臣であった小子部栖軽(チイサコベスガル)が雷神を捕らえたという伝説(別頁参照)を持つ雷丘に行幸(多分国見だろう)をして仮の庵をするのを、その伝説を踏まえながら「天雲の中に鳴り轟く雷の上にさえも仮の行宮にしておいでになる」と表現することによって、天皇への絶対的な礼讃を表したものである。
持統晩年というのは、純粋な詩人・人麻呂が傾倒していたと思しき高市皇子を喪い、持統や不比等側の醜い権謀術数に辟易して1701～1706のような不比等批判の寓意を含んだ歌を詠んでいる頃だが、まあ正直なところ飯のタネだとか建前とかもあろうが、やはり義理堅い人麻呂は、草壁皇子挽歌で引き立ててくれた持統が自分の最大の庇護者でかつ恩義ある天皇であるということも弁えていたのだろう。

＞飛鳥に行き雷丘に登ると、その小ささに驚くであろう。横にある甘樫丘より小さいからだ。しかし大切なのは大きさではなく、その土地に対する言い伝えなのである(上野先生)

こういった時代背景や由緒ある伝説、地霊等をご存じない輩は、低い雷丘を見て大袈裟な誇張だと貶したり、つまらぬ郷土意識からか某のトンデモ説にカブれたのか、明日香の雷丘ではなく某地方の某所を詠んだものだなどと言ったりしがちだが、私はこのどこにでもあるような取るに足らないような(しかし、繰り返すが雷丘は別頁にあるように古い伝説を持ち、しかも今は鳥形山にある飛鳥坐神社は天長六年(829)以前はこの雷丘にあったと思しき飛鳥の「神奈備山」なのである
(犬養孝・万葉の旅上)
小さな丘をも、その地の持つ伝説を踏まえ、このように表現するところに時代気運を背負った人麻呂の心のうねり、昂りや歌の心の大きさといったものが読み取れる。(犬養先生)
従って、小さな丘、低い丘などということは別に疑う理由にもならないし、某のトンデモ説を鵜呑みにしての万葉歌を軽く見る或いは貶すような軽々しい発言は厳に慎んで頂きたいものである。

＞この一首の荘重な歌調は、そういった手軽な心境では決して成就し得るものでないことを知らねばならない。叙情詩としての歌の声調は、人を欺くことが出来ぬものである(茂吉氏)
確かに歌、中でも天皇を讃美する歌を作ることは人麻呂に与えられた人麻呂の神聖な天職なのである。そう思うと恋歌ばかりに人気が集中していた中で、この歌を滅多に居ない「好きなうた」として挙げていた前トピ主催者「あさみさん」は優れた感性と知識の持ち主だと思うのである。如何にも人麻呂らしい一気呵成に詠みあげられたと思しき力強く勢いのある歌はやはり人麻呂らしき風格を漂わせており素晴らしい。

左注については既に他のトピで説明したが、忍壁皇子への献歌とあるものの、万葉集の献歌には「こんな歌を詠みました」という次第で作品を献るという傾向がある。この考え方でゆくとこの「或る本の歌」は「235の初案であり(万葉集注釈)、235に関連して初めはこんな歌を詠んだのです」と忍壁皇子に献じた歌であるかもしれない」(伊藤先生)とあるが、その通りだろうと私には思われる。或いは天皇が雷の丘で国見をなさるので、その後の宴のために歌を用意しておいてくれとかの要請があったのかもしれない、それで作った歌を忍壁に見て貰ったということも考えられるだろう。
「或る本」とはおそらく人麻呂歌集ではないのだろうか。

なお、この「ある本」の歌の「皇」「王」という用字については既に述べた岩波古語辞典⑴の記述から問題はないと思われる。

⑴おほきみ【大君・大王・王】
とは《仕える者の側から天皇・諸王などを言う語。類義語スメロキ・スメラミコトは能動的な行為の最高の主体としての天皇をいう》
①天皇の敬称「やすみししわがー」〈記歌謡98〉　
②親王・諸王の敬称。皇女・女王にもいう。「(春日王ガ弓削皇子ヲ)ーは千歳にまさむ」
〈万243〉
③ 略
▽「奈良」時代に「大皇」「太皇」「皇」「大君」などとある場合は、すべて天皇を指す。

また235の「皇」の用字も歌が天皇、それも文武ではなく持統への献歌と思われることから、この頃には非常に多かった行幸の後の宴の場で詠まれたものと考えると事々しさは感じるものの用字として問題はないと考える。しかし人麻呂が宴で「すめろぎ」と詠んだかというと、宴の場ではそうは詠まなかったのではないか、やはり「大君(おほきみ)」と詠んだであろうと私は思うのである。が、はっきりしたことは分からない。

※①………底本「鴨流」。類聚歌集他による(中西先生)

※②尤も2033番歌は非略体歌だから、それ以前から既に略体歌を製作していたものと思われる

※③皇………訓読が「大君(おほきみ)となっていることに注意(伊藤、中西、犬養先生)

※④take5さんの話………天武朝末年からかなり本格的に始まっていたことが判明したようです（飛鳥時代の古代史本（他の最近の本）でも、以前は藤原宮の造営が持統朝からと考えられていたそうですが、今では天武紀通りに、天武朝からが定説になってきているようです。）

コメント(3)

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[1] mixiユーザー 05月23日 20:24

行き廻る丘と雷丘について

最近さる本で知ったのですが、どうやら現在、雷丘は山田道と住宅によって分断されており、私たちが普通に雷丘だと思っているのは分断された雷丘の北部の方の部分です。

従って、以前「好きなうた2」の【98】「行き廻(み)る丘」で
＞下の写真において正面が甘樫丘です。犬養先生は、著書のこの角度での写真で飛鳥川左の竹藪の丘を雷の丘と説明されていますが、これは誤りで雷の丘はもう少し離れた場所にあります。

また【101】で
セプテンバー………＞犬養先生は、著書のこの角度での写真で飛鳥川左の竹藪の丘を雷の丘と説明されていますが、これは誤りで雷の丘はもう少し離れた場所にあります。

take5さん…………この道、私も赤かめバスで２回通ったことがありますが、確かに雷の丘はこの写真からするともっと左の方ですよね。

としていますが、それは誤りで【98】の左の豊浦地区の写真の左端に写っている竹林のあるこんもりした丘も分断されてしまった雷丘の南部なのです。犬養先生には大変失礼を申し上げてしまいました。ここに訂正とお詫びをさせて頂きます。

[3] mixiユーザー 06月03日 10:50

現人神信仰の起源について

武内誠明治学院大学助教授(執筆当時)はその著書「古代天皇の全て」で「崇神天皇や雄略天皇の時代、大物主神は天王に祀られることを嫌い、自ら大田田根子を祭司に指名しているし、一言主神は天皇とともに狩をしただけで去ってしまい、天皇に従おうとはしない。
推古天皇や聖徳太子は神々のそのような伝統的なあり方を改め、神々を天皇権力を支えるものとして位置付けようとしたのである。日本書紀は推古天皇のとき、河辺臣という者が大船をつくりに安芸国に赴き、『たとえ雷神であっても天皇の命にそむくことは許さない』と言って、船の材料とする木を伐るのを妨害した雷神を退治した説話を伝えている。そういった話が作られた背景に、推古朝に神々は天皇に従うものでなければならないとする考えがあったのだろう」と述べている。

235番の「天皇(すめらみこと)の雷岳(いかづちのをか)に御遊(いでま)しし時に柿本朝臣人麻呂の作れる歌」に詠まれている雷丘の伝説も、こうした「神々は天皇に従うものでなければならない」とする推古朝にあった考えに基づいて作られた説話(伝説)なのだろう。

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