弓削皇子作242番歌群についての若干の考察
弓削皇子の吉野に遊(いでま)しし時の御歌一首
滝(たぎ)の上(へ)の 三船の山に 居(ゐ)る雲の 常にあらむと わが思はなくに
(吉野川の激流の側にある三船の山にかかる雲のように、いつまでもここにいられるなどとは思っていないのだ………私は)
(巻三 ー242)
巻三の配列を見ると、巻頭の235、6、7の三首は持統か文武かははっきりしないものの、天皇に関する歌ということで巻三の巻頭に置かれたのだろう。次の四首目238長忌寸意吉麻呂の歌は、歌の「宮中まで漁師の網引する声が聞こえる」という内容から、文武三年(699)正月の難波宮行幸の際のものと思われるが、製作年代を考えると配列的に不自然であることから、これも天皇に関する歌としてこの位置に纏めて配列せしめたものと思われる。
その次の239長皇子の歌群の後には弓削皇子吉野に遊(いでま)しし時の歌の関連歌群242、3、4があることから239歌群は弓削皇子関連歌群以前に作られたものと見るのが常識的というか一般的だろう。そこで、この弓削242歌群について考えてみることにしたい。
まずこの弓削242歌群が作られた時期だが、伊藤先生もいつ頃の歌とも知られぬと述べている。が、後の歌の配列から考えると、少なくとも人麻呂が長田王と筑紫下向した時の歌245が作られたと思しき持統十年(696)の初夏以前であることは間違いないだろう。
そして243、244の歌からは春日王と人麻呂も同行していると考えられるので、持統吉野行幸の時のものに違いないだろう。そして、これは某詞人が弓削に仮託したものと思われるが弓削の吉野での歌とされる111番があり、そこには霍公鳥が詠み込まれている。仮託するくらいであるから某詞人はまず間違いなく弓削が従駕した年月を知っていると思われるが、それはやはり霍公鳥の鳴く初夏であろう。
そして弓削や春日王、人麻呂そしておそらくその某詞人も参加したのではないかと考えられるからいつにも増して大掛かりな行幸だったのだろう。それはまず間違いなく五月だろうと私は思うのである。
なぜなら天武皇統にとって「吉野の五月」というのは、以下の理由により非常に重大な意味を持っている(伊藤先生)と考えられるからである。
⑴天武天皇が壬申の乱において吉野で蹶起を決意したのが壬申の年、即ち天武元年(672)年の五月であること、
⑵これも⑴の影響と思うが、天武在位中吉野に行幸したのは一回だけ、天武八年五月五〜七日のことで六日には草壁以下六皇子の著名な盟約が行われたこと
すると人麻呂はこの時の吉野での宴の席において間違いなく持統讃歌を詠んだものと思われる。その吉野での持統讃歌は36、7歌群と38、9歌群との二つの歌群があり、38歌群には次の左注がある。
「右は日本紀に曰はく『三年己丑の正月、天皇吉野宮に幸す。八月吉野の宮に幸す。四年庚寅の二月、吉野の宮に幸す。五月吉野の宮に幸す。五年辛卯の正月、吉野の宮に幸す。四月吉野の宮に者幸す』といへれば、未だ詳らかに何月の従駕に作れる歌なるかを知らず」
この「右」とは常に紛らわしく分かりにくい言葉だが、ここにおいては36、7と38、9の
双方の歌群のことと思われる。するとこの双方の歌群は持統三年〜五年の間に行われたいずれかの吉野行幸の際に詠まれたものと考えて差し支えないだろう。
これらの年度のうち、持統にとって非常に大切な年というのは前年に皇太子草壁を喪い、一月に称制を捨てて自ら即位した持統四年(690)に違いないだろう。そしてその四年の五月に即位の祝賀として吉野行幸が行われたのではないかと私は思うのである。
36番歌には「大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る」と、38番歌には「行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す」、反歌の39番には「神ながらたぎつ河内に舟出せすかも」と如何にも旧暦五月に相応しい句が並んでいるが、36番は単なる川遊びとも考えられ「鵜川を立ち(鵜飼を催す)」という語からはやはり38番が旧暦五月に相応しいのではないかと思うのである。
ただ、伊藤先生は自説の「吉野の五月」に関わらず「上記第二歌群は即位より一カ月のちの二月十七日の折のものと考えられる」と述べているが根拠は述べていない。如何に旧暦とはいえまだ寒い吉野の二月に鵜飼をするとは思えないのだが、いずれにしろ持統四年に作られたものには違いないと思われる。
すると、弓削の242〜4歌群もこの持統四年に詠まれたものと考えてまず間違いないだろう。
そして、この弓削皇子242〜4歌群が作られたと思われる持統四年(690)から人麻呂が同行、筑紫に下向したらしい長田王作245が詠まれた持統十年(696) までの期間は六年となる。
この配列された歌と歌との間の(期間の)長短には、当然のことながら基準や標準などというようなものなどは無く、短ければ一、二年、長ければ十年以上ということもあり得る。しかしまあ五、六年というのは丁度適当(？)というか妥当な長さなのではないだろうか。
この推測が正しければ文武三年(699)に三十才前後で亡くなったと思われる弓削は、この242歌を作ったのは持統四年690)で弓削が二十一才の頃ということになる。
おそらく弓削の処女作であろうが若干二十一才でこんな秀歌を詠めるとは、さすが人麻呂に指導されたと思しく弓削の歌才も相当なものである。
しかし、二十一才でこんな悲観的な歌を詠み三十才くらいで世を去らねばならないとは、弓削皇子という人は悲しい運命の人に違いない。
弓削皇子の吉野に遊(いでま)しし時の御歌一首
滝(たぎ)の上(へ)の 三船の山に 居(ゐ)る雲の 常にあらむと わが思はなくに
(吉野川の激流の側にある三船の山にかかる雲のように、いつまでもここにいられるなどとは思っていないのだ………私は)
(巻三 ー242)
巻三の配列を見ると、巻頭の235、6、7の三首は持統か文武かははっきりしないものの、天皇に関する歌ということで巻三の巻頭に置かれたのだろう。次の四首目238長忌寸意吉麻呂の歌は、歌の「宮中まで漁師の網引する声が聞こえる」という内容から、文武三年(699)正月の難波宮行幸の際のものと思われるが、製作年代を考えると配列的に不自然であることから、これも天皇に関する歌としてこの位置に纏めて配列せしめたものと思われる。
その次の239長皇子の歌群の後には弓削皇子吉野に遊(いでま)しし時の歌の関連歌群242、3、4があることから239歌群は弓削皇子関連歌群以前に作られたものと見るのが常識的というか一般的だろう。そこで、この弓削242歌群について考えてみることにしたい。
まずこの弓削242歌群が作られた時期だが、伊藤先生もいつ頃の歌とも知られぬと述べている。が、後の歌の配列から考えると、少なくとも人麻呂が長田王と筑紫下向した時の歌245が作られたと思しき持統十年(696)の初夏以前であることは間違いないだろう。
そして243、244の歌からは春日王と人麻呂も同行していると考えられるので、持統吉野行幸の時のものに違いないだろう。そして、これは某詞人が弓削に仮託したものと思われるが弓削の吉野での歌とされる111番があり、そこには霍公鳥が詠み込まれている。仮託するくらいであるから某詞人はまず間違いなく弓削が従駕した年月を知っていると思われるが、それはやはり霍公鳥の鳴く初夏であろう。
そして弓削や春日王、人麻呂そしておそらくその某詞人も参加したのではないかと考えられるからいつにも増して大掛かりな行幸だったのだろう。それはまず間違いなく五月だろうと私は思うのである。
なぜなら天武皇統にとって「吉野の五月」というのは、以下の理由により非常に重大な意味を持っている(伊藤先生)と考えられるからである。
⑴天武天皇が壬申の乱において吉野で蹶起を決意したのが壬申の年、即ち天武元年(672)年の五月であること、
⑵これも⑴の影響と思うが、天武在位中吉野に行幸したのは一回だけ、天武八年五月五〜七日のことで六日には草壁以下六皇子の著名な盟約が行われたこと
すると人麻呂はこの時の吉野での宴の席において間違いなく持統讃歌を詠んだものと思われる。その吉野での持統讃歌は36、7歌群と38、9歌群との二つの歌群があり、38歌群には次の左注がある。
「右は日本紀に曰はく『三年己丑の正月、天皇吉野宮に幸す。八月吉野の宮に幸す。四年庚寅の二月、吉野の宮に幸す。五月吉野の宮に幸す。五年辛卯の正月、吉野の宮に幸す。四月吉野の宮に者幸す』といへれば、未だ詳らかに何月の従駕に作れる歌なるかを知らず」
この「右」とは常に紛らわしく分かりにくい言葉だが、ここにおいては36、7と38、9の
双方の歌群のことと思われる。するとこの双方の歌群は持統三年〜五年の間に行われたいずれかの吉野行幸の際に詠まれたものと考えて差し支えないだろう。
これらの年度のうち、持統にとって非常に大切な年というのは前年に皇太子草壁を喪い、一月に称制を捨てて自ら即位した持統四年(690)に違いないだろう。そしてその四年の五月に即位の祝賀として吉野行幸が行われたのではないかと私は思うのである。
36番歌には「大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る」と、38番歌には「行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す」、反歌の39番には「神ながらたぎつ河内に舟出せすかも」と如何にも旧暦五月に相応しい句が並んでいるが、36番は単なる川遊びとも考えられ「鵜川を立ち(鵜飼を催す)」という語からはやはり38番が旧暦五月に相応しいのではないかと思うのである。
ただ、伊藤先生は自説の「吉野の五月」に関わらず「上記第二歌群は即位より一カ月のちの二月十七日の折のものと考えられる」と述べているが根拠は述べていない。如何に旧暦とはいえまだ寒い吉野の二月に鵜飼をするとは思えないのだが、いずれにしろ持統四年に作られたものには違いないと思われる。
すると、弓削の242〜4歌群もこの持統四年に詠まれたものと考えてまず間違いないだろう。
そして、この弓削皇子242〜4歌群が作られたと思われる持統四年(690)から人麻呂が同行、筑紫に下向したらしい長田王作245が詠まれた持統十年(696) までの期間は六年となる。
この配列された歌と歌との間の(期間の)長短には、当然のことながら基準や標準などというようなものなどは無く、短ければ一、二年、長ければ十年以上ということもあり得る。しかしまあ五、六年というのは丁度適当(？)というか妥当な長さなのではないだろうか。
この推測が正しければ文武三年(699)に三十才前後で亡くなったと思われる弓削は、この242歌を作ったのは持統四年690)で弓削が二十一才の頃ということになる。
おそらく弓削の処女作であろうが若干二十一才でこんな秀歌を詠めるとは、さすが人麻呂に指導されたと思しく弓削の歌才も相当なものである。
しかし、二十一才でこんな悲観的な歌を詠み三十才くらいで世を去らねばならないとは、弓削皇子という人は悲しい運命の人に違いない。
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コメント(3)
私は以前に「好きなうた2」トピの【598】で
⑴ この三船山というのは山の塊がいきなり平地にのしかかっているように見えてしまうくらいの急傾斜で圧迫感さえ感じてしまい、煩悶の強い弓削がこの歌を詠んだ気持ちも分かるような気がします
そして
⑵ 弓削が人麻呂の歌を踏まえて詠んだとも人麻呂が弓削の歌を記録したとも考えられますが、まあ常識的には前者と考えるのが無難かと思います
と書いたが、後でこれでは⑴と⑵とが矛盾してしまっていると気がついた ^^;
そこで、おそらく弓削が吉野での宴の席で披露したと思しきこの歌を聞いた人麻呂が、何か思うところでもあってたのか書き留め、人麻呂歌集に載せたものではないかと思うようになったので、この場を借りて訂正させて頂く。
弓削皇子の御歌一首
※�＄晃�鳥 なかる国にも 行きてしか その鳴く声を 聞けば苦しも
(ホトトギスがいない国にでも行きたいものだ。その鳴く声を聞くと物思いが募って辛くなる)
(巻八ー1467)
弓削が病弱ということもあって文武三年(699)七月に、齢三十歳くらいで亡くなったことは既に述べた。
自分の血統を皇統に残すことに執着する持統の統治する「今」は、元来憂悶の強い貴種の弓削にとって生きてゆくのによくよく辛い思いのする時代だったということではないだろうか。弓削を考えるうえで下記の111番歌は極めて参考になると思われる。
吉野の宮に幸しし時に、弓削皇子の額田王に贈り与へるr歌一首
※�△い砲靴悗� 恋ふる鳥かも 弓絃葉の 御井の上より 鳴き渡り行く
(遠い昔を恋い焦がれる鳥なのでしょうか。ユズリハの花が咲く御井の上を鳴きながら渡って行くのは)
(巻二ー111)
この111歌は弓削皇子が吉野から藤原京付近にいる額田王に贈ったと思われる歌で、ホトトギスは死者の魂を乗せて飛んでくる鳥だと言われている(まあ鳥は皆そう言われているが)ことから懐古の象徴の鳥として額田王に謎をかけた歌と思われる。
つまり「貴女も私と同じあの鳥なのですね、天武の昔が懐かしく恋しいのですね」ということが言いたかったのだろう。これに対し、額田も
いにしへに 恋ふらむ鳥は 霍公鳥 けだしや鳴きし わが念へるごと
(昔を恋い焦がれるという鳥はホトトギスでしょう。きっと哀しく鳴いたことでしょう、ずっと私が昔を思い続けているように)
(巻二ー112)
と応えている。
※� 帖帖弔海硫里脇８教�で詠まれたものと思うが、最近では飛鳥もホトトギスの声がめっきり減ってしまったように思えるから藤原も同じだろう。ホトトギスの声が聞きたいと思われる万葉ファンは、吉野の宮滝か奈良市の柳生に行かれるとよいだろう。夜の宮滝は知らぬが柳生では夜にも煩いくらい鳴くから弓削の気持ちも分かる？かも知れない(笑)
お察しの通り双方の地とも鶯が多い、それだけ自然がよく残っているのだろう。
ただ、奈良県でホトトギスと同類の容鳥(カホトリ、郭公)の声を聞いたのは、奥千本西行庵の更に奥の山で聞いた一回だけであった。
※�◆帖帖鎮△掘△海�111歌は112、3と共に多分某詞人が弓削や額田に仮託した歌だろうということも以前に述べた。
しかし私は、同時にこの歌はたとえ仮託であろうともよくできた秀歌だと思っている。
良い歌というのは仮託であれ伝説であれ想像の歌物語であれ、良いものは良いのである。
穂積皇子の203番歌がよい例である ^^
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