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memo メモ めもコミュのメモ 291108

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10+1 No48 review

●アルゴリズム的思考の軌跡をめぐって 磯崎新×柄沢祐輔
 かなり以前からリニアに対してノンリニアという変化を掲げていた磯崎さんだけに、時代変化の中でアルゴリズムというものがどう扱われて来たのか、また今後どう扱われていく可能性があるかをテクニカルではない面からなんとなく感じさせてくれる。

バッチワークは違うものを重ねて縫い合わせるだけで、その縫い目をシームレスにしてしまえばノンリニアのイメージに近づくのではないか。さしあたりは、その継ぎ目を消す方法を考えればいい。
p.79

 と、端的にノンリニアに対しての構え方を伝授してくれるあたりがにくい。そこで本人も述べているが、では完全なシームレスを目指すのかと言うと、必ずしもそうではなく、海に対して島が点在して浮かぶ情景を提出する。ゆえに完全にパッチワークをシームレスな一枚の布に還すのではなく、その間を狙う。これは環境管理型アーキテクチャに対して社会学者が危機感を持っている部分にも対応してくるし、伊東さんや古谷さんが多様性があって機能を啓示する、という部分にも対応してくるだろう。

●アルゴリズム的思考と建築の「新しいリアル」 伊東豊雄+フロリアン・ブッシュ×柄沢祐輔

 本文を読んでいて伊東さんはやはり菊竹スクールの出身なんだなと再確認させられたように思う。いわゆる新陳代謝する建築というあの建築の姿というよりは、その本質的な部分を受け継いでいるように思える。と考えると京都国際会議場やスカイハウスと中国のオペラハウスあたりの建築は似ているような気もしてくる。

言い換えればミースの均質化グリッドというのはそういうものでしたが、それと同じ種類のことを全く違うシステムでやろうとしていて
p.84

 まさに、増殖のスタイルと言えないだろうか。しかし、ミースを出してくるあたりが冷静さを感じるし、菊竹さんをちゃんと再考しているように感じる。また「多様性を与えれば人はそれぞれの場所に適応する」という考え方は菊竹さんが使う「機能を啓示する空間」から来る考え方とも読めるだろう。もちろん、その提供の仕方が多を用意するのか、空白とするのかでやや異なる部分ではあるが二つの考え方は相反するものではないだろう。

 デザインの過程について言及している部分が興味深いが、果たして本当の事を言っているのかは事務所にいかなきゃ謎。

伊東:ここでいう人間がアクティビティをどのように起すのかみんなで話し合って、それが台中の場合は言語からスタートするわけです。
p.86
ブッシュ:もともとのコンセプトにもとづくルールを基本にして、そこから改めて、空間のシステムのスタディが始まります。そのスタディ・プロセスの段階からアルゴリズムによるデザインが中心になります。ただし、私は建築をつくるプロセスというのはアルゴリズムで形を作るだけでなく、ソーシャル・プロセスであると認識しています。簡単なルールから多様なものが出来るアルゴリズムを使って、オートポイエーシスのようにたいへんレスポンシヴなシステムを作っていくんです。
p.86

 スタートが言語で始まるという点が形態のイメージを固定させない方法をとっているのだろう。またアルゴリズムの生成自体が人工言語によって行われることも考えると言語によるイメージが共有されることがエスキスの段階で重用視されるのは当然なことなのだろう、形態はアルゴリズムから自然と現れてくるのであるから。そこでの人工言語と形態の橋渡しを巧く行うと言う点からも生成のシステム、ソフトが用意にいじる事の出来る状態になっているのが望ましいのはかなり大事な事だろう。その辺りまで来ると、ソフト開発を用意に行える技術なり環境が身近にある必要性がかなりある。AAスクールなどでソフトを自前でつくる技術をみなみなが持っている事を考えると、ちょっと自分の立ち位置にひよる。

伊東:ある運動体として不安定でアンバランスな状態での一瞬のバランスを、そのままストップモーションのように建築化できるようになった。それが非常に複雑な力学を可能にした。スピード感や運動状態を描くことは興味深いですね。
p.85
ブッシュ:建築は自然のもののように周りの環境に最初から反応して展開していく。構造、環境、経済などのパラメータはお互いに影響しあい最適化される。その結果生まれた建築というものは、自然が建築になった建築だと思います。
p.89

 およそ、ここから生まれてくる自然は彼岸としての自然ではなく、人間を含んだ環境としての自然となっているはずである。伊東さんも「どうやってもう一度自然の部分としての建築という思想を生み出していけるのか、これからのテーマはそこに尽きると思います。」と前半ではアルゴリズムが持つ形態生成のおもしろさに焦点を当てて話しつつも次の目標を確実に掲げている。有限量の計算不可能性はムーアの法則によってどうにか解決されるとして、より今ある方向をより複雑な計算にしてコンピュータにかける時代は今後過ぎ去り、新たな計算を作り上げる方向性として目指すべきである。しかし、異なる次元にあるものをどのように組み合わせて最適化させていくのかは難しい課題だろう、およそ最適化の基準は個別解となるようなものとなり、ローカリティが繁栄されてこざるをえない状況となっていくのではないだろうか?


●新たな秩序の現れとして 藤本壮介×柄沢祐輔

 藤本さんは実際にコンピュータに計算をかける設計をメインでやっているわけではないゆえに、設計のルールがどのようにあるべきか?という点においては本書における他の人たちより自由な意見が投げかけられているように思う。

ルールを決めるのは僕の中では、先にやるべき方法などではなく、秩序化していく状態を見守っていくなかで湧き上がってくるものです。
p.94

 たぶん、ルールが改変されたり生み出されるプロセス自体を制御していくのは「人」の介入をなくしては難しい課題となってくるのだろうと思うが、現在のある生成過程における時間断面を取り出す、立ち上げるという考え方からより一歩飛び出したものへと繋がっていく可能性を示唆しているように思う。そのための手助けとしてのアルゴリムズなりデータが今後組み立てられるべきなのだろう。

経路とものの配置というさきほどのお話が、ものがあって経路が出来るか/経路があってものが置かれるか、というふたつの状態を示しているのだとすれば、おそらく表と裏の攪乱という感覚は、どちらが先に出来たか良く分からないという新たな三つ目の状態であるのだと思います。〜、シンプルな座標系だと思っていたものが、その座標系の上に置かれたものに、逆に座標系の軸足が入れ替わっている、そういう入れ替わりというか反転がつねに起こっているというか、そういう感じでしょうね。
p.101
銀閣寺の秩序は決してある一点から全体を俯瞰したときのレイアウトではなくて、もう少し時系列をともなっていたり、実際に動いて言う事ではなくても、ある連なりとして記述されるわけですよね。
p.101-102

 庭をテーマに出されるとやはり武満徹さんを思い起こす。下の文章などはまさに武満徹の日本庭園に対しての考え方に近いだろう。音楽的に建築を考える部分も含めて近いのではと思う、演奏者と生活者が重なり合うバリ島での音楽の存在の仕方はプロフェッショナルとしての演奏者ではないゆえに演奏のゆらぎと、またメンバーも固定しないという演奏のゆらぎゆえに、変化幅を持った音楽となっている。庭という空間のあり方と同時、バリ島(以前の)での音楽のあり方もまた建築を考えるヒントとなっていくのではないだろうか?


●ソフトウェアを用いた大規模都市計画の実践 ヤコブ・ファン・ライス(MVRDV)×柄沢祐輔

 データスケープという方法論の可能性を要約してくれているので、過激な彼らの建築作品の裏側にどのようなものがあるのかを知るには良い入門となるのではないだろうか?

ファン・ライス:ソフトウェアという方法論は議論の起こる場面では良く機能します。ソフトウェアの性質は、最適解をみつけることにあるからです。そういう場面には、潜在的なたくさんの解決方法があります。要は、そのなかから皆にとって最も魅力的な解を発見することが重要なのです。複雑な決定構造がある際にはこの方法論は上手く機能しますが、一方、ひとりの人間が決定権を持つような場合はあまり機能しません。
p.105

 この点はデータを扱って最適化を求める建築を考える上でかなり重要な部分だろう。また同時に一人の潜在的な部分にある欲しいものを再現するという部分が現在の情報技術において達成されていない証拠となる(しかし、達成されたからとて合意形成の最上の手段であるかは不明であるが)。客観化されることの重要性は多人数で物事を把握することが、可能になる、という部分である。一人であれば自分の欲しいものはちゃんとわかっている。ただ、個人的には個人を時間軸上に延ばす事で多人数という状況を作り出すことは可能であると思われる。私たちは未来についてそれほどまでに遠くまで訪ねることはできない。

柄沢:ドゥルーズは潜在性と可能性を区別しています。可能性とは単なるヴァリエーションであり、潜在性は発見的なプロセスそのものを指しています。MVRDVはこの潜在性を「Capa-city」と読み替えて、既存の空間のなかから多様な潜在性を読み解き、実現しようとしているのですね。
p.108

 潜在的な部分に対するアプローチを都市レベルまで拡張するという試みは大変興味深い、ただ本書ではそれについて特別に触れられていないのが残念で仕方がない。潜在性とは非常に個人的な領域に属するものである、確かに自分の知らない自分をさりげなく導きだしてくれて支えてくれるような都市のあり方は素晴らしい、しかし先ほど磯崎さんの言葉も出したが、それはある種、海に沈み込む世界である。人は秘密を持つから人格を保つ事が出来るとデリダが言うとき、潜在性を可能性として表面に浮かび上がらせる事は人間にとってどのような意味を持つ事なのか、またどのようにそれは達成すべきか?現実主義的な合理主義な考え方でもいいからビジョンを早く描くべきである。移り行く自己としての像は潜在性を明かされてもなお、海を泳ぎ続ける実態を持つ事ができるのだろうか?そういう意味では攻殻機動隊の世界が意外にもすぐそこまで来ているとも捉えられるのかもしれない。


●相互触媒的な建築 セシル・バルモンド+ピータ・ロイド・ジョーンズ×ピーター・ディヴィス+ジェニー・サビン×デヴィッド・ルイ×エリック・エリングソン+アアロン・レヴィ

 アルゴリズムが対象としているのは建築の「シェイプ」ではなく「フォーム」であると本書から読み取ることが出来ると思います。異なるフォームとフォームの接面にシェイプは浮かび上がる表面のことでありそれが具体的な形となって現れ来るもので、フォームとはそのような表面を作り出す力であり、アルゴリズムはその異なる二つの力を均衡させる力学であり物理モデルである。力学関係に影響させる因子は、そこにある光だったり重力だったり風や熱や人の動きなどが関わってくるということはローカルな要素との均衡を考えていく事に繋がる。ゆえにシェイプは状況の変化とともに変わってゆくものである。
 
セシル:フォームはダイナミクスです。それはいわゆる字義通りのシェイプとは関係がない。フォームとは、空間の接続性の相対的な配置に関係があります。それは、より深遠な共鳴を呼び起こす、接続性によるリズムであり、より深いアーキタイプの感覚なのです。〜、フォームを追求する際に私が採る一つの方法は、ヴォリュームと表面との張力を考えることです。つまりヴォリュームから感じ取られる空間感覚と、そこから生じる空間の表面との対決です。
p.113
セシル:フォームには美学はありません。シェイプにはあります。〜、建築のフォームにおけるコーディングは、ローカルな立ち位置に大きく依存します。つまり、ほんのちょっとしたスタート地点の差異が、異なったフォームに至ります。コーディングは、私がアーキタイプと名付けるとても不安定なコアと、建築のマテリアリティである外的な周辺との間に存在しているのです。
p.115

 フォームには美学はない。フォームとは非常に抽象的なある種の均質空間的な存在である。多であり無であるような存在。たぶんフォームにおけるコーディングは違うと思う。そうではなくシェイプをコーディングしていくものでありフォームはもっと次元の異なる存在のように思われる。

エリック・エリングソン+アアロン・レヴィ :イリヤ・プリコジンは触媒を「自分自身には影響を受けることなく変化率を修正する」エージェントと説明しました。相互触媒的とは、触媒作用のプロセスにおいてあらゆる個体がダイナミックなフィードバックの輪に巻き込まれる中で、変化を永続させる相互関係をつくる物質が少しずつエージェントの役割になっていく、相互依存という新しい役割を提起するものです。
p.109

 触媒の役割は非常に興味深い。都市や建築を構成する上で、なにが触媒の役割を果たす可能性があるのか。そこをしっかりと捉えられ機能させることができれば永久動力機関としての可能性が少し見えてくるのではないだろうか?

ピーター・L・J:私たちは通常の過程と、通常でない過程との比較をしているのです。そしてそれら両方がお互いを特徴づけています。私たちがやっていることは、どのように通常の行程が作用するのかを知りたいわけです。なぜならそれはたびたび病気に結びつくからです。
p.112
ピーター・L・J:病理学の定義ではリニアリティ(線形性)とは、例えば、並列している遺伝子の配置を指し、それはある特定のパターンが明記されるよう、線形をしています。ひとまとまりの遺伝子が頭やつま先へと向かうための、また身体の前方か後方かの位置を指し示すための特殊なタンパク質であり、身体の設計図と前方/後方を支配する、ある規定された遺伝子です。私たち生物学者のノンリニアの定義はこの点において決定的に異なると思います。リニアリティは私たちには非常に重要です。そういった意味で私たちは、建築家やデザイナーといった、異なる方法でパターンを作り出す人たちの助けを得ることが出来ると思っています。私たちの一義的な目標は、これら個々のタンパク質、またそれらが時間と空間のなかで複数のパートナーと相互に影響し合う方法を解明し、その軌跡をたどることです。
p.112


 データを採取する上で生物学や病理学的な思考でデータを採取していくことは、とても意味がある事だと思う。異なる二つの状態間でどのような事がおこっており、それはどのようなメカニズムによって支配されているか?多くの予算や知能が投入された分野だけに興味深い。
 それを把握する上で、線形性というのは病理学では重要視されているということである。われわれは線形と非線形の二つを互いに使い分けながら物事を捉えていく必要性に立たされている。

ピーター・ロイド・ジョーンズ:環境の中のノイズには、個々のアイデンティティを作り上げる上での役割があります。私たちが直面している問題は、スナップショットという瞬間的な二次元表現がダイナミクスを失い、同時に環境の固有性を失ってしまうという事です。
p.110

 本論とはあまり関係ないが、海を泳ぎ続けられるか、否か、というのは上記で言うところのノイズにも大きく依存するだろう。またそのノイズがきっかけで大きなうねりを生み出す事もおおにしてあるはずである。そういう点で、攻殻機動隊での自閉モードなんてのは、なかなか良く出来たシステムである。


●Wiki的都市は構想可能か? 江渡浩一郎×柄沢祐輔


 建築におけるパターン・ランゲージがWikiの技術にどのように応用されているかを紹介しながら、パターン化されたアイテムに縛られた状態からさらなる自由度を持った開発・合意形成方法を模索している現状を紹介している。その上で有限大の建築の世界と無限大の情報空間との違いからWiki的な都市という建築空間における都市の難しさを導きだす。

江渡:アレグザンダー理論が〜、Wikiの世界では圧倒的に成功しているように見えます。なぜだろうと言う疑問はあるのですけれども、ひとつにはやはりインターネットの存在が大きい。どんな人間にも暇な瞬間があり、自分の専門知識を用いて世の中に貢献してもいいかなと思える。
p.122
江渡:資源が有限大の領域におけるWikiの利用法と、無限大である場合のWikiの利用法では大きな違いがある。結果、Wiki的都市、建築はいかにも苦しそうだなという感想になります。
柄沢:「従軍慰安婦」をどのように捉えるかという話ともつながってきますよね。ひとつしかない事件をどのように解釈するかという。
江渡:結果的そうですね。
p.125


上記のような点からしても、インターネットの存在が情報系と建築系の大きな違いとなっており、その違いを認識した上で情報空間と言うものを考えていく必要性があるだろう。本書ではテクニカルな部分に対する説明がかなりあることで、現状を把握するための入門としてはありがたい。


●複数のマテリアル/複数のアーキテクト 神成淳司×柄沢祐輔

 情報処理するアルゴリズムにおける計算不可能な性質を以下の四つに分類して現在、それぞれの不可能性に対してどのように対処をしようとしているかを明らかにして、その対処法の特質を説明してゆく。

第一の不可能性:数式化出来ないもの
第二の不可能性:莫大な時間をかけなくては計算出来ない(現実的な時間では計算不可能)
第三の不可能性:有限ではあるが、無限に等しいほどの計算対象(googleの検索アルゴリズムみたいなもの)
第四の不可能性:「○○が欲しい」という個人の欲求を予測(アンビエント的なもの、暗黙知のような感じ?)

 特にGoogleに関しての見解は個人的にはおもしろく、手掴みに探って周りにあるものから欲しいものを探っていた状況をボトムアップ型の考えると、○○と検索を入れて情報が出てくるGoogleのあり方はトップダウン型であるとしている。さらに情報への欲求がトップダウン型へ慣らされていく事で「○○のようなものが欲しい」という要求に答える必要性が出て来たとしている。それが第四の不可能性と呼ばれる。セマンティック・ウェブとかマテリアルとか暗黙知とか色んな呼び名がそれぞれに被りつつそこに当てはまるように思う。

柄沢:1990年代前半までに人工知能の問題は完全に限界に達して、人間がどうやって無限の情報の中から有意味な情報を選択しているかはわからない、というフレーム問題が出てしまった事で、第四世代のコンピュータの限界が定義され、人工知能についての見解が一見して少なくなったのだと思います。しかし、またそこでニューラル・コンピューティングによるイノヴェーションによってフレーム問題を人間が内在させ、Googleや巨大計算システムを利用することによって近似的な人工知能が出来るのではないかという可能性が見え始めている状態です。
p.129

 人間を内在させることで、創造性を組み込むことは非常に建築においては重要な方向性であると思う。われわれはそうなることによって情報と建築とを繋ぐ、動きものと動かないものを繋ぐ役目を果たしてくれると期待出来るからだ。それはある種の海の状態を肯定的に捉えるイメージの一つとなっていくように思う。


●何が(実際のところ)なされるべきなのか?MVRDVの理論的コンセプト バート・ローツマ

 MVRDVがどのような素地のもと、データスケープのような取り組みを行っているのかをオランダ、ひいてはヨーロッパの現状に基づいて彼らの活動を批評してゆく。その上で、データを扱うことの特徴を明らかにしてゆく。

現在、データは既にあらゆる言語に取って代わる、すぐれた国際言語として確立されている。今日の世界における「器官なき身体」として、貨幣がかつて果たしていた役割を受け継いでいる。ドゥルージアンの用語によれば、貨幣から物質までほぼすべてのものにおいて、データは魔術化されうる。
p.140
マースは、「Region Maker」を機械、あるいはより正確に言えば、コンピュータのサラウンド・システムに類似した、グラフィック・インタフェイスを備えたソフトウェアの一つ見なしている。通常コンピュータのサラウンド・システムは、ユーザが聴きたい音楽の種類に合わせて音響の調整を行えるようにイコライザー機能が付いている。そのため、コンサートホール、室内音楽のためのより親密な空間、ロックホール、そしてその中間にある全ての音響をシミュレートすることが可能なのである。
p.145

 データは異なる身体を繋ぐ要素としての価値がかなり高まっている。しかし、果たしてデータは貨幣のように交換可能なものなのだろうか?貨幣という尺度を持っていれば交換は可能であるように思えるが、ただのデータだけでは尺度を伴わないように思える。データが交換を成立させるものかは、やや考える必要があるように思う。
 伊東さんのところでも出て来たが、データを簡単に扱える仕組みがかなり重要となってくるだろう。その一つのあり方として、イコライザという説明の仕方は非常にわかりやすい。単純なスライダーによって、いくつかの因子をいじる事で生成されるものが変わる。変化がより直感的にわかるようなインタフェイスへと変化していってほしいものだが、まずイコライザーを少し研究してみたいものだ。

●アルゴリズム的思考とは何か 松川昌平

A:設計者(Architect)
B:建築(Building)
E:環境(Environment)
U:使い手(User)
問:設計者の思想や世界観
法:問を解決する手法
可:法によって導きだされた形
評:可への評価基準

七つの図によって現代で設計環境がどのようなバリエーションがあるのかを示す。コンピュータ、そしてインターネットの存在によってユーザーの立ち位置の可能性、そして設計者、設計物が世界に対してどのように開いていけるかを見る事が出来る。とりあえず、一度、図を見て楽しんでもらえればと思う。

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アルゴリズム的思考とは何か 松川昌平

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