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安岡正篤コミュの愛と敬 (中江藤樹)人生と陽明学

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 藤樹先生は人間の人間たる所以、人身の最も大事な要素・作用は愛と敬にあると言われておる。中でも先生は特に敬と言うものを重んぜられた。
 愛は普遍的なもので、人間ほど発達しておらぬが、動物も持っておる。しかし、敬は「天地の為に心を立つ」と言う造化の高次の働きであって、人間に到ってはじめて発達して来た心である。これは人間が進歩向上しようとする所に生ずる心であって、人間が理想に向かって少しでも進歩向上しようと思えば、必ず敬の心が湧く。湧けば又進歩向上することが出来る。これがあることによって人間は人間足りえるのであります。
 現代は人間が人間を見失い、自分が自分を見失ってだんだん機械化し、組織化し、大衆化し、従って動物化する。人間が人間でなくなるから、人間が人間でなくなるから、自然と人間の大事な資本である例えば愛にしても敬にしてもみな滅ぼしてゆく、だらしがなくなる。徒に物質的な満足・享楽、功利主義・享楽主義になって、その結果遊惰になる。現代の言葉で言えばバカンス・レジャー等と言うものになる。そういう生活は人間として眞ではない、偽りである。
 愛と敬は先ず親子関係から始まる。
 敬という心は、言い換えれば少しでも高く尊い境地に進もう、偉大なものに近づこうという心であります。従ってそれは同時に自ら反省し、自らの到らざる点を恥ずる心になる。
 省みて自ら懼れ、自ら慎み、自ら戒めてゆく、偉大なもの、
尊きもの高きものを仰ぎ、これに感じ、憧憬れ、それに近づこうとすると同時に、自ら省みて恥ずる、これが敬の心であります。
 少しでも高きもの、尊きものに近づき従って行こう、仏・菩薩・聖賢を拝みまつろう、ということが建前になると、これは宗教になる。省みて、恥じ、懼れ、慎み、戒めるということが建前になると、道徳になる。
 敬があるということはお互い感心しあうということです。夫婦はお互い感心し合わなければいけない。ということは単なる肉体的・功利的関係ではだめだということです。純人間関係、つまり精神的関係になって来なければ敬というものは生まれて
こない。日本人は愛するということを参ったという。参ったということは敬するということです。男が女を、女が男を尊敬して始めて参ったという。単なる愛ではない。これからの日本の若い人は男女共に相手に参らなければいけない。参らぬ様な恋愛はしないほうが良い。
 同じ様に親子の間も、親は子に参り、子は親に参らねばならぬ。ことに親といっても、父母には自ずから分業があって、母は愛の対象、父は敬の方を分担するように出来ておるから、子どもを偉くしようと思えば、先ず父親が敬するに足る人間にならなければならぬ。これが一番大事なことです。安岡正篤(人生と陽明学)

コメント(1)

敬。
本当に人間にとって欠かしてはならない感情だと思います。

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